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森の姫は王城を見て回りたい
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「ユーラ! 何をやってる。大人しくしておけ」
叱られて飛び起き、飛んでくる拳骨をさっと避けてから、ユーラは、まずい、という顔をした。
案の定、お目付役の金の目が、ぎゅっと三角になった。白い顔の眉間だけ、力が入って赤みがさしている。幼い時から追いかけ回され、もとい、世話になってきた若い叔父ケールトナは、普段が玲瓏な美しさのため、歯を剥かんばかりの今の様子は、子供向けの物語に出てくる魔の者のような恐ろしさだ。
これは、一回は拳骨をくらった方がよいものか、と迷っていると、傍らの東屋から気だるそうな声がかけられた。
「やめてちょうだい。ユーラと呼ばれると、私のことかと思ってしまうわ。不愉快よ。ねえ?」
東屋で、早速王都だからこそ手に入る香りのよいお茶とやらを淹れさせていたのは、王都から最も離れた、辺境といってよいネクトルヴォイの領主の娘だ。
ネクトルヴォイは森と古い縁があって、その伝手で馬車の旅を道連れとなって来たのだが、道中はたびたび不平を洩らし我儘を言っていた。中でも特にユーラに対して当たりがきつい気がする。その証拠に、主人の意を汲むのに聡い侍女たちが、したり顔で口々に意地の悪いことを言って同意した。
それを横目で見たケールトナは恐ろしい顔を引っ込めて、はあ、と気の無い返事をした。
「お嬢さんの名前は、ユーレイリアで、ユーラなんて愛称では呼ばれないでしょうに」
ぞんざいな言い方であり、言葉を否定されているのに、なぜかユーレイリアは頬を染めている。
見た目に騙されているな、と、それをユーラは半眼で眺めていた。冷たく見る先は、どちらかといえばケールトナである。
ケールトナは、外見だけはともかくいいのだ。顔立ちのみならず、金銀の髪の輝きも、均整のとれた長身も、無骨にならない程度の筋肉も、あるいはぞんざいなようでいて、身のこなしは優雅極まりないところも。らしい。
旅の空で、侍女たちがそんなことをくすくす笑いながら話していたのを聞いたのだ。
顔を出しておくといいことがある、と嘯いていた意味は、こうして旅に出てみれば、意外と簡単にわかってきた。この男は、自分の魅力を本当によく承知しているということも。
いやはや、効果は覿面。
ユーラの生ぬるい視線に気づいたか、ユーレイリアが、呆けていた口元をさっと扇で隠した。
「ともかく! 不愉快よ。別の呼び方で呼んでちょうだい。——そうね、私が別の名前をつけてあげるわ。名前を変えたらいいのよ」
ケールトナは、二人のまったく似通ったところのない娘たちを交互に見て、やがてニヤッと笑った。
「お嬢さんに名付けてもらうのは悪いからな、こいつのことは、ジュメ、と呼ぼう」
「え! ちょっと」
抗議しようとしたユーラは、頭から押さえ込まれてしまった。
「なんでジュメなの?」
カエルのように押しつぶされたユーラを見て嬉しそうなユーレイリアに尋ねられ、ケールトナはにっこり笑った。
「私たちの家系に伝わる古い言葉で、ありふれた石のことですよ」
「宝石ではなくて?」
「石ですね。その辺りに無造作にごろごろと転がっている。……ほら、寝そべって遊んでるから、泥だらけだ」
「あら、ほんとね」
ほほほ、とユーレイリアが笑って満足そうだったので、ユーラは諦めた。何事も、諦めが肝心である。と思うのに、そろそろとその場を離れようとしたユーラの首根っこを、ケールトナはがっしと掴んだ。
「で、ジュメ、どこへいくんだ」
「いや、あのー。だって」
ここはセントルヴォイ王国の王城だ。ユーレイリアが何をしに来たのか知らないが、列に並び、使いの者に名を告げた途端、長い列をすっとばして、この庭付きの客室へと優先して案内されたのだ。
同行者の確認もさっとされた程度で、ユーラとケールトナも同行者として城に入れたのには、裏にある事情を勘繰ってしまうほどだったが。ユーレイリアは嬉しそうにはしゃいで、テラスでのお茶会にすっかりご満悦の様子で、不安そうなそぶりもない。
もしかしたら、ユーレイリアの家は、この国でも特に丁重に扱われているのかもしれないと、ケールトナが小さな声で呟いていたが、ユーラは特に気にもしない。
ユーラは目下、庭から続く王城の敷地を見てまわりたくて仕方がない。なにしろ、竜たちは、王城にいるというのだから。
「ここは地の底に暖かい脈がある。水が地下を通って上がって来てる。風に花と若草の匂いもある。どこかで、いま、ご飯食べてるかも」
経験不足ゆえに、この国の言葉を平易に喋ろうとすると、拙い口調になってしまう。
そわそわと、庭を透かし見るように首を伸ばすユーラに、遠くでユーレイリアが眉を顰めて、騒がしいと嘆いている。
ケールトナは、示された方角をしばし眺め、うーん、と腕組みをした。
客用の棟は、城壁よりはるかに新しい時代に建てられたらしい優美な建築物だ。位置的には城壁の外に一棟だけ張り出しており、南にある城壁とは細い通路のみでつながっており、防衛上は城の外にある。ただ、庭は城の外周に繋がるが、そこも湖と崖とに囲まれ、外から地理的に隔絶されている。
その城の外周を廻りたいらしい。
ついつい、その行動の危険性を見積もって、どこまで許すか検討していたが。
「そういえば叔父上とは、お前を自由にさせる、と決めたんだったなあ」
しかたない。
そう呟くと、好きにしろ、と華奢な背をそっと押しやった。
庭へ向かって。
「え、いいの?」
「好きにしろ。人の飯の時間には戻ってこい」
わかった!と叫ぶ頃には、すでに庭に走り込んでいる。
庭は一応生垣で区切られているが、そんなものは、ユーラには関係がなかった。
「え……なに、いいの? あの子。問題を起こさないでしょうね?」
あっという間に生垣に潜り込んで見えなくなった背中に、ユーレイリアが我に返って騒ぎ出したが。
「ええ、鼻の利く娘なので、大丈夫でしょう。さて、私は晴れて自由の身になったわけで。よければお嬢さんの茶会にご招待いただけると嬉しいのですが」
ケールトナから今までにない笑顔を向けられて、ユーレイリアは領地から共に旅をしてきた気に食わない娘のことを忘れ去ることにしたのだった。
叱られて飛び起き、飛んでくる拳骨をさっと避けてから、ユーラは、まずい、という顔をした。
案の定、お目付役の金の目が、ぎゅっと三角になった。白い顔の眉間だけ、力が入って赤みがさしている。幼い時から追いかけ回され、もとい、世話になってきた若い叔父ケールトナは、普段が玲瓏な美しさのため、歯を剥かんばかりの今の様子は、子供向けの物語に出てくる魔の者のような恐ろしさだ。
これは、一回は拳骨をくらった方がよいものか、と迷っていると、傍らの東屋から気だるそうな声がかけられた。
「やめてちょうだい。ユーラと呼ばれると、私のことかと思ってしまうわ。不愉快よ。ねえ?」
東屋で、早速王都だからこそ手に入る香りのよいお茶とやらを淹れさせていたのは、王都から最も離れた、辺境といってよいネクトルヴォイの領主の娘だ。
ネクトルヴォイは森と古い縁があって、その伝手で馬車の旅を道連れとなって来たのだが、道中はたびたび不平を洩らし我儘を言っていた。中でも特にユーラに対して当たりがきつい気がする。その証拠に、主人の意を汲むのに聡い侍女たちが、したり顔で口々に意地の悪いことを言って同意した。
それを横目で見たケールトナは恐ろしい顔を引っ込めて、はあ、と気の無い返事をした。
「お嬢さんの名前は、ユーレイリアで、ユーラなんて愛称では呼ばれないでしょうに」
ぞんざいな言い方であり、言葉を否定されているのに、なぜかユーレイリアは頬を染めている。
見た目に騙されているな、と、それをユーラは半眼で眺めていた。冷たく見る先は、どちらかといえばケールトナである。
ケールトナは、外見だけはともかくいいのだ。顔立ちのみならず、金銀の髪の輝きも、均整のとれた長身も、無骨にならない程度の筋肉も、あるいはぞんざいなようでいて、身のこなしは優雅極まりないところも。らしい。
旅の空で、侍女たちがそんなことをくすくす笑いながら話していたのを聞いたのだ。
顔を出しておくといいことがある、と嘯いていた意味は、こうして旅に出てみれば、意外と簡単にわかってきた。この男は、自分の魅力を本当によく承知しているということも。
いやはや、効果は覿面。
ユーラの生ぬるい視線に気づいたか、ユーレイリアが、呆けていた口元をさっと扇で隠した。
「ともかく! 不愉快よ。別の呼び方で呼んでちょうだい。——そうね、私が別の名前をつけてあげるわ。名前を変えたらいいのよ」
ケールトナは、二人のまったく似通ったところのない娘たちを交互に見て、やがてニヤッと笑った。
「お嬢さんに名付けてもらうのは悪いからな、こいつのことは、ジュメ、と呼ぼう」
「え! ちょっと」
抗議しようとしたユーラは、頭から押さえ込まれてしまった。
「なんでジュメなの?」
カエルのように押しつぶされたユーラを見て嬉しそうなユーレイリアに尋ねられ、ケールトナはにっこり笑った。
「私たちの家系に伝わる古い言葉で、ありふれた石のことですよ」
「宝石ではなくて?」
「石ですね。その辺りに無造作にごろごろと転がっている。……ほら、寝そべって遊んでるから、泥だらけだ」
「あら、ほんとね」
ほほほ、とユーレイリアが笑って満足そうだったので、ユーラは諦めた。何事も、諦めが肝心である。と思うのに、そろそろとその場を離れようとしたユーラの首根っこを、ケールトナはがっしと掴んだ。
「で、ジュメ、どこへいくんだ」
「いや、あのー。だって」
ここはセントルヴォイ王国の王城だ。ユーレイリアが何をしに来たのか知らないが、列に並び、使いの者に名を告げた途端、長い列をすっとばして、この庭付きの客室へと優先して案内されたのだ。
同行者の確認もさっとされた程度で、ユーラとケールトナも同行者として城に入れたのには、裏にある事情を勘繰ってしまうほどだったが。ユーレイリアは嬉しそうにはしゃいで、テラスでのお茶会にすっかりご満悦の様子で、不安そうなそぶりもない。
もしかしたら、ユーレイリアの家は、この国でも特に丁重に扱われているのかもしれないと、ケールトナが小さな声で呟いていたが、ユーラは特に気にもしない。
ユーラは目下、庭から続く王城の敷地を見てまわりたくて仕方がない。なにしろ、竜たちは、王城にいるというのだから。
「ここは地の底に暖かい脈がある。水が地下を通って上がって来てる。風に花と若草の匂いもある。どこかで、いま、ご飯食べてるかも」
経験不足ゆえに、この国の言葉を平易に喋ろうとすると、拙い口調になってしまう。
そわそわと、庭を透かし見るように首を伸ばすユーラに、遠くでユーレイリアが眉を顰めて、騒がしいと嘆いている。
ケールトナは、示された方角をしばし眺め、うーん、と腕組みをした。
客用の棟は、城壁よりはるかに新しい時代に建てられたらしい優美な建築物だ。位置的には城壁の外に一棟だけ張り出しており、南にある城壁とは細い通路のみでつながっており、防衛上は城の外にある。ただ、庭は城の外周に繋がるが、そこも湖と崖とに囲まれ、外から地理的に隔絶されている。
その城の外周を廻りたいらしい。
ついつい、その行動の危険性を見積もって、どこまで許すか検討していたが。
「そういえば叔父上とは、お前を自由にさせる、と決めたんだったなあ」
しかたない。
そう呟くと、好きにしろ、と華奢な背をそっと押しやった。
庭へ向かって。
「え、いいの?」
「好きにしろ。人の飯の時間には戻ってこい」
わかった!と叫ぶ頃には、すでに庭に走り込んでいる。
庭は一応生垣で区切られているが、そんなものは、ユーラには関係がなかった。
「え……なに、いいの? あの子。問題を起こさないでしょうね?」
あっという間に生垣に潜り込んで見えなくなった背中に、ユーレイリアが我に返って騒ぎ出したが。
「ええ、鼻の利く娘なので、大丈夫でしょう。さて、私は晴れて自由の身になったわけで。よければお嬢さんの茶会にご招待いただけると嬉しいのですが」
ケールトナから今までにない笑顔を向けられて、ユーレイリアは領地から共に旅をしてきた気に食わない娘のことを忘れ去ることにしたのだった。
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