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推せる!騎士夫婦(追加番外編)
侯爵夫人と騎士
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「それで」
こほん、とゼンゲン侯爵夫人は口元にあてた細い指の向こうで小さな咳払いをした。
社交界に参加したばかりの小娘ならば、びくりと背筋を伸ばしただろうが、奇妙な縁で長年友人関係にある子爵夫人は、またか、とあえて紅茶を一口飲んだ。
「んもう、焦らさないでちょうだい、アメリア。それでどうなの、最近の様子は」
「食いつき過ぎよ、ルシール」
「貴女だって、騎士と令嬢の組み合わせは好きでしょう? どうしてそんなに落ち着いてるのよ」
「私にとっては、娘夫婦だもの。なんだかちょっとね、手放しに楽しめないというか」
思い当たる節があったのか、ゼンゲン侯爵夫人ルシールは、はっとして姿勢を正した。
「まあ、そうね。わたくしだって、息子夫婦ではさすがにどうこう思わないわ」
「そうでしょう?」
それから、二人の妙齢の婦人はしばらく静かに午後の庭を吹き渡ってきた風を味わっていたが。
「いえ、やっぱり聞かせてちょうだい。我慢できないわ。うちは娘も息子も落ち着いてしまって。立場上気軽に城をのぞきに行くこともできないし、ロマンスに、騎士と令嬢のロマンスに飢えてるのよ……。飢えてるの……」
ルシールが情熱的な訴えをごく静かに無表情に放ったのに、アメリアは吹きだした。
「仕方ないわね、ルシールのためならもちろん、お話ししますとも。なにしろ、あの子たちの危機に騎士総長を駆り出してくれた恩人ですもの」
「騎士と言いながら政治と書類仕事ばかりの夫なんて、たまには動かさないといけないのよ。大したことじゃないわ」
それで? と手のひらを差し出さんばかりの要求に、アメリアはうーん、と記憶を探る。
*
乳母は見た。
お坊ちゃまは小さく産まれたことが嘘のようにすくすくと育ち、ぐずりもせず、夜もよく眠られるので助かっております。お健やかな心をお持ちなのだと思われます。
はい、ご当主夫妻のご関係も、また男女のしっとりと落ち着いた空気を帯びているかと。私の本分はお坊ちゃまのお世話ですので、お二人のおそば近くに常に控えるわけではございませんが、その、お坊ちゃまがどうしてもお母様を恋しがるときにはいつでも部屋を訪れてよいと言われておりますので。
一度、お坊ちゃまが目を爛々とさせてお母様を呼び続けられたときに、はい、もちろんまだおしゃべりはできませんが、声の様子がお母様を呼ぶときだけ違うのです、まだお夕食の時間が終わったばかりでしたので、一度お知らせをしようとご夫妻の部屋を訪れたのです。
……あの、そんなにご期待に添うようなお話ではないのですが、よろしいでしょうか。さようですか? わかりました。
それで、許可を得て……はい、当然許可をいただきました。勝手に入ったりはいたしません……許可を得て部屋に入りますと、ちょうど奥様がお休みの支度をなさろうという時で。その、奥様の靴下を子爵様が脱がせておられたのだと思います。
はい、私、恥ずかしくなってしまって。奥様も、私と目が合って恥ずかしそうになさっておりましたが。
なにしろ、ソファに浅く腰掛けた奥様の足を、子爵様が床に跪いてご自分の膝に靴ごと乗せて、それから靴、靴下とお脱がせになっていたのです。まるで、宝物の扱い方でしたわ。
こんな、お話でよろしいんですか?
はい、ではお坊ちゃまがお目覚めになる時間ですので、失礼いたします。
*
「いいわね」
鷹揚に頷いたルシールの頬が、少女のようにぴかぴかと赤く染まっていた。
アメリアはそれを満足げに見た。
仕入れてきた話でルシールが満足してくれるかどうかは、予想できるようで難しい。
こんなに輝く表情を引き出せたことを、話題提供者として友として、嬉しく思う。
「でも、基本と言えば基本ね。わたくし、二人を追いかけ始めた頃に、植物園で見かけたことがあるのよ。シャルフィ嬢はその時すこし顔色が悪くて、騎士リウトはとても気にかけていたのがよくわかったわ。それでも、やっぱり無理がたたってか、植物園の奥の方で座り込んでしまって」
夢見るように両手を組むルシールの目は、星を散りばめたように輝いていた。
「その時、騎士リウトはさっと自分の外套を外して、湿った土の上に広げてね。シャルフィ嬢をそこに少し休ませて様子を見てから、結局は抱いて運んでいったわ。外套はもちろん土まみれ。でも、シャルフィ嬢はそんなに汚れていなかったと思うの」
これは失敗したかもしれない。
そっちの方が派手だし、絵になる。
アメリアは密かに悔しがった。
「しかもね」
まだあるらしい。
「その時、騎士リウトが胸元からハンカチを出して、シャルフィ嬢のお顔に優しくあてて『貴女の好きなにおいにだけ、集中して』って言ったの! に、お、い! そんな、ちょっと普段は護衛騎士の範疇を超えないきっちりした騎士ぶりだと思ってたのにそんな、急に生々しくってよろしかったわよ!!」
「まあまあ、ルシール、立ち上がらなくても大丈夫よ。よろしくてよかったわ。大丈夫だから、座りましょう」
あえてゆったりと声をかけると、ルシールは浮かせた腰を、そっと再びソファに沈めた。
上品なレースの胸元に手を置いて、息を落ち着かせている。
一方アメリアは、ドレスの下に冷や汗をかいていた。
おそらく、リウトはハンカチにシャルフィの好むにおいを染みこませてていたのだろう。妊娠初期の夫婦の騒動を知っていれば、用意周到な気配りにしか受け取れない。
けれど何も知らない――いやルシールは都合良く忘れているだけだと思われるが――人間から見れば。
自分の身につけていた物のにおいを嗅げ、集中しろと言う男は、結構な変態ではないだろうか。
植物園という誰の目があるかわからない場所でそんなことをしていたのか、かの婿殿は。
アメリアを置いて、ルシールはまだ踊り出しそうにご機嫌だ。
若い頃から騎士に熱を上げていたルシールは、見事、将来有望な騎士家系のゼンゲン侯爵子息を射止めたのに、自分の恋愛より他人の恋愛を眺めるのをとても好む。
騎士を志していたアメリアは、従騎士になりたいと主筋のゼンゲン侯爵家に押しかけて、次期当主の婚約者ルシールと知り合った。
護衛兼友人の立場に引き上げてもらい、常に行動を共にして、よく城の訓練場に騎士たちをのぞきに行ったものだ。頼まれもしないのに、いくつの他人の恋愛ごとに奔走したか、いまや思い出したくもない歴史もある。
侯爵夫人と子爵夫人という立場になってからは、そう簡単に騎士たちに熱視線を送るわけにもいかず。
ルシールは、武の家門であることを有効に使い、ゼンゲン侯爵家一門の騎士たちの恋を見守るという趣味を得た。
その対象のひとりが、リウトだったというわけだ。
シャルフィの作戦にゼンゲン侯爵本人が協力してくれたと話を聞いて、アメリアの夫は腰を抜かし、アメリアも血の気が引いたが。
「だって、わたくしの推し騎士夫婦の危機だって聞いたから! あの人だって従騎士として可愛がっていたリウト君がその後どうしてるか気にしてたのだからいいのよ」
ルシールはからりと笑うだけだ。
その言葉にはアメリアの立場で同意することはできないが、おかげで娘夫婦がうまくおさまったのだから、ルシールはシャルフィたちの、そして子爵家の大恩人だ。
間違いない。
ただし。
「ねえ、リウト君騎士団に入りなおす気はないかしら」
「それはだめ。うちの人も後継者にするつもりですごく教え込んでるもの」
「そんなあ。それはもちろん、愛する人を守る殿方は皆騎士であるとわたくし思っているけれど。せっかくだから、本物の騎士になったらいいのに!」
「だめです」
それは譲れない。リウトは、大事な婿なのだ。
しょんぼりしたルシールを見て、思案する。
あといくつか、騎士らしい二人の話の用意はある。あるいは騎士らしくはないが、リウトの秘密の話もいくつか聞き取りしてきた。どちらの手を使って、この大事な友人を慰めようか。
けれどいつの間にか予定の時間となっていたらしい。
ノックの音がした。
今日もお茶会の終わりを見計らって部屋を訪れた人に、アメリアは立ち上がって丁寧な礼をした。
がっちりと分厚い体。背は高くないが、姿勢の良い姿。ゼンゲン侯爵だ。
「楽しんでいるかな?」
「はい、侯爵閣下、いつもありがとうございます」
「あら、あなた。今日は騎士団の方に行かれたかと思ってたわ」
「いつもあちこち出かけて忙しい君が、子爵前夫人と過ごす日は家にいるからね。捕まえやすいと思って午後は休みにした。私もたまには君とゆっくり話をしたい」
さて、ルシールは、本当に自分のことには興味がない。
騎士総長は只の肩書きではない。ゼンゲン侯爵は今も現役の騎士である。けれどルシールの目には、夫は騎士とは映らないようだ。
この国の最上位の騎士の妻でありながら、騎士と令嬢との仲を取り持ってはうっとりとする妻に、自分たちの結婚に不満があるせいだろうかと夫が悩んでいることにも。
妻の可愛らしい懇願に負けた体で従っておきながら、さてお返しにどう妻の関心を向けてもらおうかと手ぐすね引いていることにも、気づかない。
傍目には明らかな、こんなにわかりやすい溺愛も、さらりと流してしまう。
推せる騎士と令嬢の物語は、ここにもあるのに。
だれしも、自分のことはわからないものだ。
微笑んだアメリアは退出の挨拶をして、その場を夫婦に譲った。
今日は帰って、夫と盤上の戦いをする約束だ。
こほん、とゼンゲン侯爵夫人は口元にあてた細い指の向こうで小さな咳払いをした。
社交界に参加したばかりの小娘ならば、びくりと背筋を伸ばしただろうが、奇妙な縁で長年友人関係にある子爵夫人は、またか、とあえて紅茶を一口飲んだ。
「んもう、焦らさないでちょうだい、アメリア。それでどうなの、最近の様子は」
「食いつき過ぎよ、ルシール」
「貴女だって、騎士と令嬢の組み合わせは好きでしょう? どうしてそんなに落ち着いてるのよ」
「私にとっては、娘夫婦だもの。なんだかちょっとね、手放しに楽しめないというか」
思い当たる節があったのか、ゼンゲン侯爵夫人ルシールは、はっとして姿勢を正した。
「まあ、そうね。わたくしだって、息子夫婦ではさすがにどうこう思わないわ」
「そうでしょう?」
それから、二人の妙齢の婦人はしばらく静かに午後の庭を吹き渡ってきた風を味わっていたが。
「いえ、やっぱり聞かせてちょうだい。我慢できないわ。うちは娘も息子も落ち着いてしまって。立場上気軽に城をのぞきに行くこともできないし、ロマンスに、騎士と令嬢のロマンスに飢えてるのよ……。飢えてるの……」
ルシールが情熱的な訴えをごく静かに無表情に放ったのに、アメリアは吹きだした。
「仕方ないわね、ルシールのためならもちろん、お話ししますとも。なにしろ、あの子たちの危機に騎士総長を駆り出してくれた恩人ですもの」
「騎士と言いながら政治と書類仕事ばかりの夫なんて、たまには動かさないといけないのよ。大したことじゃないわ」
それで? と手のひらを差し出さんばかりの要求に、アメリアはうーん、と記憶を探る。
*
乳母は見た。
お坊ちゃまは小さく産まれたことが嘘のようにすくすくと育ち、ぐずりもせず、夜もよく眠られるので助かっております。お健やかな心をお持ちなのだと思われます。
はい、ご当主夫妻のご関係も、また男女のしっとりと落ち着いた空気を帯びているかと。私の本分はお坊ちゃまのお世話ですので、お二人のおそば近くに常に控えるわけではございませんが、その、お坊ちゃまがどうしてもお母様を恋しがるときにはいつでも部屋を訪れてよいと言われておりますので。
一度、お坊ちゃまが目を爛々とさせてお母様を呼び続けられたときに、はい、もちろんまだおしゃべりはできませんが、声の様子がお母様を呼ぶときだけ違うのです、まだお夕食の時間が終わったばかりでしたので、一度お知らせをしようとご夫妻の部屋を訪れたのです。
……あの、そんなにご期待に添うようなお話ではないのですが、よろしいでしょうか。さようですか? わかりました。
それで、許可を得て……はい、当然許可をいただきました。勝手に入ったりはいたしません……許可を得て部屋に入りますと、ちょうど奥様がお休みの支度をなさろうという時で。その、奥様の靴下を子爵様が脱がせておられたのだと思います。
はい、私、恥ずかしくなってしまって。奥様も、私と目が合って恥ずかしそうになさっておりましたが。
なにしろ、ソファに浅く腰掛けた奥様の足を、子爵様が床に跪いてご自分の膝に靴ごと乗せて、それから靴、靴下とお脱がせになっていたのです。まるで、宝物の扱い方でしたわ。
こんな、お話でよろしいんですか?
はい、ではお坊ちゃまがお目覚めになる時間ですので、失礼いたします。
*
「いいわね」
鷹揚に頷いたルシールの頬が、少女のようにぴかぴかと赤く染まっていた。
アメリアはそれを満足げに見た。
仕入れてきた話でルシールが満足してくれるかどうかは、予想できるようで難しい。
こんなに輝く表情を引き出せたことを、話題提供者として友として、嬉しく思う。
「でも、基本と言えば基本ね。わたくし、二人を追いかけ始めた頃に、植物園で見かけたことがあるのよ。シャルフィ嬢はその時すこし顔色が悪くて、騎士リウトはとても気にかけていたのがよくわかったわ。それでも、やっぱり無理がたたってか、植物園の奥の方で座り込んでしまって」
夢見るように両手を組むルシールの目は、星を散りばめたように輝いていた。
「その時、騎士リウトはさっと自分の外套を外して、湿った土の上に広げてね。シャルフィ嬢をそこに少し休ませて様子を見てから、結局は抱いて運んでいったわ。外套はもちろん土まみれ。でも、シャルフィ嬢はそんなに汚れていなかったと思うの」
これは失敗したかもしれない。
そっちの方が派手だし、絵になる。
アメリアは密かに悔しがった。
「しかもね」
まだあるらしい。
「その時、騎士リウトが胸元からハンカチを出して、シャルフィ嬢のお顔に優しくあてて『貴女の好きなにおいにだけ、集中して』って言ったの! に、お、い! そんな、ちょっと普段は護衛騎士の範疇を超えないきっちりした騎士ぶりだと思ってたのにそんな、急に生々しくってよろしかったわよ!!」
「まあまあ、ルシール、立ち上がらなくても大丈夫よ。よろしくてよかったわ。大丈夫だから、座りましょう」
あえてゆったりと声をかけると、ルシールは浮かせた腰を、そっと再びソファに沈めた。
上品なレースの胸元に手を置いて、息を落ち着かせている。
一方アメリアは、ドレスの下に冷や汗をかいていた。
おそらく、リウトはハンカチにシャルフィの好むにおいを染みこませてていたのだろう。妊娠初期の夫婦の騒動を知っていれば、用意周到な気配りにしか受け取れない。
けれど何も知らない――いやルシールは都合良く忘れているだけだと思われるが――人間から見れば。
自分の身につけていた物のにおいを嗅げ、集中しろと言う男は、結構な変態ではないだろうか。
植物園という誰の目があるかわからない場所でそんなことをしていたのか、かの婿殿は。
アメリアを置いて、ルシールはまだ踊り出しそうにご機嫌だ。
若い頃から騎士に熱を上げていたルシールは、見事、将来有望な騎士家系のゼンゲン侯爵子息を射止めたのに、自分の恋愛より他人の恋愛を眺めるのをとても好む。
騎士を志していたアメリアは、従騎士になりたいと主筋のゼンゲン侯爵家に押しかけて、次期当主の婚約者ルシールと知り合った。
護衛兼友人の立場に引き上げてもらい、常に行動を共にして、よく城の訓練場に騎士たちをのぞきに行ったものだ。頼まれもしないのに、いくつの他人の恋愛ごとに奔走したか、いまや思い出したくもない歴史もある。
侯爵夫人と子爵夫人という立場になってからは、そう簡単に騎士たちに熱視線を送るわけにもいかず。
ルシールは、武の家門であることを有効に使い、ゼンゲン侯爵家一門の騎士たちの恋を見守るという趣味を得た。
その対象のひとりが、リウトだったというわけだ。
シャルフィの作戦にゼンゲン侯爵本人が協力してくれたと話を聞いて、アメリアの夫は腰を抜かし、アメリアも血の気が引いたが。
「だって、わたくしの推し騎士夫婦の危機だって聞いたから! あの人だって従騎士として可愛がっていたリウト君がその後どうしてるか気にしてたのだからいいのよ」
ルシールはからりと笑うだけだ。
その言葉にはアメリアの立場で同意することはできないが、おかげで娘夫婦がうまくおさまったのだから、ルシールはシャルフィたちの、そして子爵家の大恩人だ。
間違いない。
ただし。
「ねえ、リウト君騎士団に入りなおす気はないかしら」
「それはだめ。うちの人も後継者にするつもりですごく教え込んでるもの」
「そんなあ。それはもちろん、愛する人を守る殿方は皆騎士であるとわたくし思っているけれど。せっかくだから、本物の騎士になったらいいのに!」
「だめです」
それは譲れない。リウトは、大事な婿なのだ。
しょんぼりしたルシールを見て、思案する。
あといくつか、騎士らしい二人の話の用意はある。あるいは騎士らしくはないが、リウトの秘密の話もいくつか聞き取りしてきた。どちらの手を使って、この大事な友人を慰めようか。
けれどいつの間にか予定の時間となっていたらしい。
ノックの音がした。
今日もお茶会の終わりを見計らって部屋を訪れた人に、アメリアは立ち上がって丁寧な礼をした。
がっちりと分厚い体。背は高くないが、姿勢の良い姿。ゼンゲン侯爵だ。
「楽しんでいるかな?」
「はい、侯爵閣下、いつもありがとうございます」
「あら、あなた。今日は騎士団の方に行かれたかと思ってたわ」
「いつもあちこち出かけて忙しい君が、子爵前夫人と過ごす日は家にいるからね。捕まえやすいと思って午後は休みにした。私もたまには君とゆっくり話をしたい」
さて、ルシールは、本当に自分のことには興味がない。
騎士総長は只の肩書きではない。ゼンゲン侯爵は今も現役の騎士である。けれどルシールの目には、夫は騎士とは映らないようだ。
この国の最上位の騎士の妻でありながら、騎士と令嬢との仲を取り持ってはうっとりとする妻に、自分たちの結婚に不満があるせいだろうかと夫が悩んでいることにも。
妻の可愛らしい懇願に負けた体で従っておきながら、さてお返しにどう妻の関心を向けてもらおうかと手ぐすね引いていることにも、気づかない。
傍目には明らかな、こんなにわかりやすい溺愛も、さらりと流してしまう。
推せる騎士と令嬢の物語は、ここにもあるのに。
だれしも、自分のことはわからないものだ。
微笑んだアメリアは退出の挨拶をして、その場を夫婦に譲った。
今日は帰って、夫と盤上の戦いをする約束だ。
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