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紅茶の秘密(番外編)

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 シャルフィは紅茶がとても好きだ。
 それも煙臭の強い、ほとんど黒く見えるほど濃い水色の茶葉が特に。
 においに敏感で、葉巻も煙草も好きではないのに、煙臭い紅茶は好きというのは自分でも不思議だけれど。香り付きの紅茶は時に刺激が強すぎるのに比べて、微かに高雅な花のような香りも見え隠れする煙臭の紅茶は、疲れた気持ちも爽やかに慰撫してくれる気がするのだ。

 その大好きな紅茶を飲めない日々が、三ヶ月を超えたころ。
 シャルフィは朝から奇妙な悲しさを募らせて、寝台から出ることができなくなった。
 体調はこのごろ良好だ。悪阻もおさまり、食事が美味しくて食べ過ぎてしまうのがこの頃の悩みだが、散歩は続けているし、もともと痩せていたシャルフィは体重の増加をあまり気にしなくてよいと言われている。力強く膨らみ始めたお腹は毎晩リウトが塗ってくれる蒸留油のおかげでつるすべだし、時々腹の中でこぽこぽと泡のように動く存在は愛おしい。
 まあそれに、夜に体を動かす機会も増えてきたし……。

 満ち足りた日々。
 けれど同時に、どことなく、ぬるま湯に浸かって人生を無為に水に溶かしてしまっているような、拭いきれないもどかしさがある。朝靄のように微かな苛立ちが、じわりじわりと体の中に積もってきていた。

「シャルフィ、具合はどう?」

 忙殺されているはずなのに、シャルフィに異変があると聞けばリウトは必ず顔を見に来る。
 安心して。
 シャルフィはつい眉間に力を入れてしまった。せっかく、執務を抜けてきてくれたのに。

「昼間は暑くても、夜はうっかりすると冷える。もしかして体を冷やしたかな」

 しかめっ面にも動じずに熱を確かめたりして、リウトはそう言った。
 そんなはずはない。毎晩、いつもシャルフィの手足の温かさを確かめ、掛布を整えてくれるのを知っている。寒そうにしていればさらに体温を分けてくれるし、暑い夜は扇で仰いでくれるのだ。
 リウトもしっかり休んでと頼んでも、大丈夫だと全く言うことを聞いてくれない。
 昔、シャルフィが紅茶を飲み過ぎて眠れなくなったときは、睡眠はとても大事なのだと、両親を味方に付けてひと月の紅茶禁止を言い付けてきたのに。

 ああ、思い出した。思い出してしまった。

「……紅茶が飲みたい」

 煙臭くて、渋いの一歩手前の濃いやつを。
 紅茶に含まれる覚醒作用のある成分が、血の道を細くさせるとか。常飲すると胎児の発育にはよくないというアナ医師の説明はしっかり覚えている。
 けれど、飲みたい。これはもう、理性では抑えきれない欲求だ。

 そんなことではだめだ、と言われるだろうか。あと数ヶ月の辛抱だから、と励まされるだろうか。だめなのは知っているし、あと数ヶ月頑張るつもりは当然あるのに。
 でも少し叱られてもいい。いいから、少し、少しだけ、よく我慢してるね頑張ってるねと言って欲しい。

「そうか、飲みたいんだね」

 リウトは否定はしなかった。励ますことも言わない。
 シャルフィの肩を温めるように撫でて、それから、自室へ急ぎ足で向かいすぐに戻ってきた。

「シャルフィ」

 呼ばれて振り向けば、蝋引きの紙に包まれた濃い蜂蜜色の粒を目の前にかざされた。

「なに?」
「飴だよ。どうぞ」

 少し口を開けると、リウトの指がそこに飴を置いてくれたので、上手く口に含んでみる。
 蜂蜜飴で、機嫌を取ってくれるらしい。と思ったあとで、はっとシャルフィは口を手で覆った。
 紅茶の味がした。

「紅茶の飴だそうだけど。どう?」
「……美味しい」

 本当だ。本当に紅茶をたっぷりと使っているのだろう。微かな苦味もある。
 湯気のたつ淹れたての紅茶を飲むのとは違うが、確かにじわりと体に染み入るものがあった。

「たまには少し息を抜こう。君が鬱々としては、それこそ子に悪いはずだろう?」

 アナ医師にも確かめてあるというリウトの片手には、飴が入っていたと思しき硝子の密閉瓶がある。中に飴は半分ほど。
 おそらく、いくらか既に誰かが食べているのだ。

「リウトも、試したの? 甘い物は好きじゃないのに。珍しいわね」
「ああ……君は紅茶が好きだから、気に入るんじゃないかと思って、味見をね」
「そうなの」

 ころ、ころ、と口の中で丸い飴を転がしていると、気持ちがすっと楽になった。
 紅茶の味。
 リウトの思いやり。
 文字通り、詰まっていた息が抜けて、胸の奥深くまで風が通るようだ。
 シャルフィはリウトを見上げて、ほっと頬を緩めた。

「……ありがとうリウト。また爆発しそうになったら、一緒に食べてくれる?」
「ああ、もちろん」

 



 気分が上向きになったのだろう、シャルフィの紅茶色の目がキラキラと光を含んで煌めいた。
 飴くらいで機嫌をなおしてくれるなら、簡単なものだ。

 命を浪費することが耐え難いシャルフィにとって、胎児のためと頭ではわかっていても、思いのまま自由に行動することができないのは苦痛そのもの。これまでとはあまりに違う制限の多い生活に、鬱屈が溜まらないはずはないのだ。
 けれど、無茶はしなくなった。
 本当に、母親になろうとしているのだ。
 頬を膨らませて飴を味わう様子には、出会った頃の少女らしい面影があるのに。

 目を細めたリウトは、眩しい昼の寝室に相応しくない秘密を呑み込んだ。
 この飴は、近くに寄れなかったあの頃に、君の紅茶色の目を思い出して購ったのだと。
 二粒だけ舐めた飴は、リウトには甘過ぎたのだけれど。

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