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決着をつけましょう(リウト)3
しおりを挟む「閣下、ご無沙汰しております」
駆けつけたリウトに、玄関前につけた馬車から降りたものの、そこから離れる様子のないゼンゲン侯爵は、生真面目な表情で一つ頷いた。
「久しぶりに顔を見るが、良い感じに人間臭くなったな。大切なものがある人間の顔だ」
挨拶もそこそこ、しかも結婚式以来二年ぶりでの声かけとしては唐突だった。従騎士として付き従っていた頃は、軽口もあまり叩かない人物だったが。
だが不自然といえばこの訪問こそ不自然なのだ。
侯爵家はこの国に両手の数もない。公爵家のないこの国では最高位、どの家も盤石で、国の根幹に関わる立場の者を多く排出している有力貴族だ。中でもゼンゲン侯爵家は、侯爵本人が騎士総長、嫡男がその麾下にある空翔馬騎士団を率いており、系列の貴族家にも優れた武人が多い、武の頂点たる家門。この子爵家は、ゼンゲン侯爵家を主筋とし、間接的に王家に忠誠を誓っている。
つまりは、国王よりも直接的な主君その人だ。
たとえ従騎士時代の縁や、リウトを婿に紹介した縁があるとはいえ、侯爵自ら馬車に乗って子爵家にやってくるなど、国王が突然現れるのと同じほどにあり得ないことなのだ。
前触れもない訪いだが、馬車の腹には大きく侯爵家の紋章が輝いている。騎士服ではない優美な服装を纏っていても、ゼンゲン侯爵の筋骨逞しい体は隠されておらず、相変わらず、実際の背よりもはるかに大きく見えていた。
一目で貴人と見て取った取り次ぎの侍従は、さぞ慌てただろう。
リウトに報告した後、侍従は腰を抜かして部屋に座り込んでいた。
「おかげさまで」
咄嗟の当たり障りのない応答に、呵々と笑いが上がる。
「従騎士時代は空っぽの顔をしてたからな。腕は惜しかったが、あのままいざ戦争になったら真っ先に死にそうだった。だからこちらの子爵家へ紹介したのだ。それがどうやら当たったらしい。これは痛快だ」
そんな風に思われていたのか。
虚を突かれ、さらにその顔をしっかりと見られた。先ほどから、調子が狂う。
「なんだ、将来有望だから紹介されたといって欲しかったか?」
「……いえ、そんなことは。ただ、大変感謝しております」
それは、リウトの本心。
「よき伴侶に巡り会えたようだな」
「……は」
やはり、どことなく含みのある言葉に聞こえるのは、気のせいだろうか。
だが、考える前に、背後から気配が近づいてきた。
ひそやかな足音と衣擦れ。シャルフィだ。
反射的に足を動かして去ろうとして、踏みとどまった。
侯爵の訪問を、理由なく夫婦揃って出迎えしなかったとなれば、あまりに非礼だ。
今にも地を蹴ろうとする足をめり込ませる勢いで踏みしめる。そして、侯爵に顔を向けたまま、リウトは近づいてくるシャルフィに意識のすべてを向けた。
視線を向けていないのに、その顔色がやや悪いこと、久しぶりにドレスを着ていること、きっとそれはとても似合っていることが見えるようだ。
だが今日は来客予定などもなかったはずが。侯爵の訪問からそう時間は経っていない。なのにしっかりと準備が終わっていることに、ちらりと疑問がよぎる。
侯爵はというと、穏やかな顔でシャルフィを見つめていた。その視線は、慈愛と呼ぶに相応しいだろう。親子より年齢差があり、愛妻家と噂である。
なのに、その視線を遮ってしまいたくなった。
「そういえば、本日は如何なる御用向きでしょう」
せめて、その視線を剥がしたくて話しかけると、侯爵が面白そうに目を細めた。
「初めての出産でいろいろと心細いので、うちの細君に助言をいただきたいと、真摯な手紙をいただいてね。迎えに来たというわけだ」
「妻が手紙を? 侯爵家へ?」
またも、初耳だ。
家令の顔がよぎるが、家令にとっても相手が大きすぎる。ちらり、と義母の顔が思い浮かんだ。
「それは、有り難いご厚意……」
ドレスが重いせいだろうか、シャルフィは近頃にしてはよろよろとした足取りだ。きっと顔色が悪いだろうと思ったのはそのせいだ。とても他家を訪問できる状態ではないようだが。
いや、そもそも一人他家へ送り出すなど、受け入れられるはずがない。
馬車の中に同伴者もいないようだ。ここで侯爵に引き渡せば、シャルフィは侯爵と二人で馬車に乗ることになる。
どう角を立てずに断ればいいのかと思案を巡らせていたリウトは、すぐ隣から柔らかな薬草の香りがして、体を強張らせて横へ避けた。
においを嗅がせてはいけないと、咄嗟に。
シャルフィは、そこにあったリウトの腕に縋ろうとしたらしい。
消えてしまった腕に、小さな手は宙をかき、そのまま地面に膝から崩れ落ちそうになった。
咄嗟に、リウトが抱き止める。
意味もなく、自分の息を止めて。
だが腕は、久しぶりに感じるシャルフィの柔らかさに吸い付くように深く抱き込んだ。ああ、捕まえてしまった――。
「捕まえたわ」
胸元から、愛らしい声がした。
かちりと音がして、気がつけばリウトとシャルの腕に腕輪がはまり、それらを結ぶ鎖がふたりを繋いでいた。
よく見れば、罪人拘束用の金属輪だ。鍵がなければ決して外せない、恐るべき強度の代物のはず。
「は、ははは! 侯爵という罠はうまくいったかな、夫人」
愉快でたまらないというように、侯爵が大笑した。
「はい、侯爵様。このたびは、夫婦のお恥ずかしい行き違いの解消のために巻き込んでしまいまして、申し訳ございませんでした。奥様にも必ず後日お礼を申し上げに参ります。ああ! とても、とても上手くいきましたわ! ありがとうございます!」
何が起こっているのかわからないままのリウトに、侯爵が馬車に乗り込みながら肩越しに振り返った。
「リウトよ、諦めろ。我らは一番の宝に所詮勝てぬ身よ」
顛末は報告に来いと命じて颯爽と去る馬車を、シャルフィはリウトが見たことがないほど美しい礼で見送った。
いや、毎日見ていたから、わかる。
少しずつ、少しずつ、シャルフィの体は力を蓄えているのだ。体幹が強くなって、姿勢が綺麗になった。
眩しい。
どうしてこの人は、こんなに眩しく、リウトを惹きつけるのか。
中でもリウトが一番愛する紅茶色の目が、こちらを向いた。近くで見るのは本当に久しぶりだ。甘そうだ。舐めたくなるから、少し離れて欲しい。いやこの際だ、舐めてもいいだろうか。
「そうよリウト。諦めて、決着をつけましょう。この子は、待ってくれないから」
リウトが今にも襲いかかりそうになっていることなど欠片も想像していない、満足げな声で、リウトの宝がそう言った。
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