6 / 40
すれ違いの原因1
しおりを挟む目の前のひとは、本当にリウトだろうか。
湿ったせいでいつもより艶めく銀の髪も、伏せると頬に濃い影を落とす銀の睫も、月の雫で染めたように美しい。
リウトにしか見えない。
「だがそうすると、毎晩が理性との戦いになる。耐えようにもすぐ隣にシャルフィがいるわけで。それで、俺の理性が負けて無理をさせて寝込ませたりしたら、俺は死ねる」
なのに、その口から出る言葉は、リウトのものではあり得ない。
もう、シャルフィは開いた口が塞がらない。口も、目もまん丸にして、急に人が変わったような夫を凝視した。
ゆっくりと、瞼を持ち上げたリウトの薄灰色の目と、目が合う。
と思うや、さりげなく寝台ににじり寄っていたリウトは、シャルフィの片手を握った。シャルフィの動揺を宥めるようでもあり、混乱に乗じるようでもあった。
「シャルフィ、もし俺が君を気遣うことができなくなったら、俺を刺してでも止めてくれる? そうしてくれると助かる。大丈夫、シャルフィに刺されたくらいでは俺は死なないから」
枕を支えている手まで奪われそうになって、シャルフィは必死に枕へ顔を押しつけた。
こんな至近距離では、直に空気を吸って無事でいられるとは思えない。
はあ、と切なげなため息が聞こえた。
「やはり、俺が嫌いになった?」
「(ち、ちがう、でも今は離れて!)」
枕を押しつけたまま叫んでも、言葉は聞き取れないかもしれない。それでも、リウトがシャルフィの拒絶を汲み取れないはずはないのに。
握られたままだった手に、呼びかけるように触れる指を感じて、シャルフィの背中にきゅっと力が入った。
ただ皮膚をそっと撫でているだけなのに。まるでその奥の血の流れを操るかのように、辿られるところだけが熱く脈打つ。行きつ戻りつする指は、その熱をゆっくりとシャルフィの中心へ押し戻そうというように、するりするりと腕を辿り、ゆったりした寝衣の袖を引っ掛けてたくし上げながら、震える肩へ。
そこで、ぴたりと指が止まった。
「……もしかして君が嫌なのは、中年男特有の、いわゆる親父臭? 貴女よりだいぶ年が上だからな。貴女に恥ずかしくないように、嫌がられないように、気をつけてたんだけど。気を使わせたかな。もしそうなら臭い消しの薬草を……」
「ちがう!!」
なんてことを、言うのだろう。
年経た人間からは独特の臭気がする、というのは聞いたことがあるが、あの甘く包み込むように濃厚なにおいが、一般に疎まれる悪臭だとは、シャルフィには思えない。なにしろ女性ものの香水かと一度は疑ったほどだ。
それに。
「どうして、私に恥ずかしいとか嫌われるとか、変なこと言うの!? 私、私は初めて会ったときからずっと、ちゃんと好きなのに!」
叫びが口から迸り、そして入れ替わってリウトのにおいが、好機とばかりにシャルフィの中に押し入――。
いや、その直前。口から外れた枕はどこかへ放り投げられ、代わりに、首に巻き付けたままだった布で荒々しく鼻と口を覆われた。
間一髪、なんとかにおいは回避した。
けれど浅い息をついて、足りない空気を喘いで取り込んで気がつけば、いつの間にかリウトに跨がられていた。
顔の下半分を大きな手で布ごと塞がれて、荒々しい感情を隠さない眼にじっと見下ろされていた。
「シャルフィ、ちゃんと好きって、俺を男として好きってこと? それで合ってる?」
強く寄せられた眉がかすかに震えているのに、シャルフィは目を見開いた。
幼く拙い恋心なんて、年上で頼もしく経験豊富なこの夫にはとっくに知られていると思っていたのに。
言ったことが、なかっただろうか。――なかったかもしれない。
年上の大人の男に釣り合いたくて背伸びにばかり一生懸命で、結婚してからは与えられるものを享受するのに満たされず、けれどその不服を押し殺して取り澄ますばかり。シャルフィはリウトに、一度も自分の心を開いて見せたことはなかった。
これが夫婦のすれ違いの原因だったなら、シャルフィの責任だ。
勇気を出して、シャルフィはひとつ頷いた。リウトの眉間が少し晴れたのを見て、急にシャルフィの目から、あとからあとから涙が溢れ始めた。
あれほど気を塞いだ悩みが、解決の糸口を得ようとしている。シャルフィが行いを改め心を開けば、もしかすると二人は円満に……。
「む、むぐ」
希望を抱くも、それよりなにより空気が足りなくなって、シャルフィは首を振った。
0
お気に入りに追加
758
あなたにおすすめの小説
初恋の呪縛
緑谷めい
恋愛
「エミリ。すまないが、これから暫くの間、俺の同僚のアーダの家に食事を作りに行ってくれないだろうか?」
王国騎士団の騎士である夫デニスにそう頼まれたエミリは、もちろん二つ返事で引き受けた。女性騎士のアーダは夫と同期だと聞いている。半年前にエミリとデニスが結婚した際に結婚パーティーの席で他の同僚達と共にデニスから紹介され、面識もある。
※ 全6話完結予定
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。
みゅー
恋愛
王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。
いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。
聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。
王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。
ちょっと切ないお話です。
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
それは絶対にお断りしますわ
ミカン♬
恋愛
リリアベルとカインは結婚して3年、子どもを授からないのが悩みの種だったが、お互いに愛し合い仲良く暮らしていた。3年間義父母も孫の事は全く気にしていない様子でリリアベルは幸福だった。
しかしある日両親は夫のカインに愛人を持たせると言い出した。
不妊や子供に関する繊細な部分があります。申し訳ありませんが、苦手な方はブラウザーバックをお願いします。
世界観はフワッとしています。お許しください。
他サイトにも投稿。
【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!
たまこ
恋愛
エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。
だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。
婚約者が他の令嬢に微笑む時、私は惚れ薬を使った
葵 すみれ
恋愛
ポリーヌはある日、婚約者が見知らぬ令嬢と二人きりでいるところを見てしまう。
しかも、彼は見たことがないような微笑みを令嬢に向けていた。
いつも自分には冷たい彼の柔らかい態度に、ポリーヌは愕然とする。
そして、親が決めた婚約ではあったが、いつの間にか彼に恋心を抱いていたことに気づく。
落ち込むポリーヌに、妹がこれを使えと惚れ薬を渡してきた。
迷ったあげく、婚約者に惚れ薬を使うと、彼の態度は一転して溺愛してくるように。
偽りの愛とは知りながらも、ポリーヌは幸福に酔う。
しかし幸せの狭間で、惚れ薬で彼の心を縛っているのだと罪悪感を抱くポリーヌ。
悩んだ末に、惚れ薬の効果を打ち消す薬をもらうことを決意するが……。
※小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる