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すれ違いの原因1

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 目の前のひとは、本当にリウトだろうか。
 湿ったせいでいつもより艶めく銀の髪も、伏せると頬に濃い影を落とす銀の睫も、月の雫で染めたように美しい。
 リウトにしか見えない。

「だがそうすると、毎晩が理性との戦いになる。耐えようにもすぐ隣にシャルフィがいるわけで。それで、俺の理性が負けて無理をさせて寝込ませたりしたら、俺は死ねる」

 なのに、その口から出る言葉は、リウトのものではあり得ない。
 もう、シャルフィは開いた口が塞がらない。口も、目もまん丸にして、急に人が変わったような夫を凝視した。
 ゆっくりと、瞼を持ち上げたリウトの薄灰色の目と、目が合う。
 と思うや、さりげなく寝台ににじり寄っていたリウトは、シャルフィの片手を握った。シャルフィの動揺を宥めるようでもあり、混乱に乗じるようでもあった。

「シャルフィ、もし俺が君を気遣うことができなくなったら、俺を刺してでも止めてくれる? そうしてくれると助かる。大丈夫、シャルフィに刺されたくらいでは俺は死なないから」

 枕を支えている手まで奪われそうになって、シャルフィは必死に枕へ顔を押しつけた。
 こんな至近距離では、直に空気を吸って無事でいられるとは思えない。
 はあ、と切なげなため息が聞こえた。

「やはり、俺が嫌いになった?」
「(ち、ちがう、でも今は離れて!)」

 枕を押しつけたまま叫んでも、言葉は聞き取れないかもしれない。それでも、リウトがシャルフィの拒絶を汲み取れないはずはないのに。

 握られたままだった手に、呼びかけるように触れる指を感じて、シャルフィの背中にきゅっと力が入った。
 ただ皮膚をそっと撫でているだけなのに。まるでその奥の血の流れを操るかのように、辿られるところだけが熱く脈打つ。行きつ戻りつする指は、その熱をゆっくりとシャルフィの中心へ押し戻そうというように、するりするりと腕を辿り、ゆったりした寝衣の袖を引っ掛けてたくし上げながら、震える肩へ。

 そこで、ぴたりと指が止まった。

「……もしかして君が嫌なのは、中年男特有の、いわゆる親父臭? 貴女よりだいぶ年が上だからな。貴女に恥ずかしくないように、嫌がられないように、気をつけてたんだけど。気を使わせたかな。もしそうなら臭い消しの薬草を……」
「ちがう!!」

 なんてことを、言うのだろう。
 年経た人間からは独特の臭気がする、というのは聞いたことがあるが、あの甘く包み込むように濃厚なにおいが、一般に疎まれる悪臭だとは、シャルフィには思えない。なにしろ女性ものの香水かと一度は疑ったほどだ。
 それに。

「どうして、私に恥ずかしいとか嫌われるとか、変なこと言うの!? 私、私は初めて会ったときからずっと、ちゃんと好きなのに!」

 叫びが口から迸り、そして入れ替わってリウトのにおいが、好機とばかりにシャルフィの中に押し入――。
 いや、その直前。口から外れた枕はどこかへ放り投げられ、代わりに、首に巻き付けたままだった布で荒々しく鼻と口を覆われた。
 間一髪、なんとかにおいは回避した。
 けれど浅い息をついて、足りない空気を喘いで取り込んで気がつけば、いつの間にかリウトに跨がられていた。
 顔の下半分を大きな手で布ごと塞がれて、荒々しい感情を隠さない眼にじっと見下ろされていた。

「シャルフィ、ちゃんと好きって、俺を男として好きってこと? それで合ってる?」

 強く寄せられた眉がかすかに震えているのに、シャルフィは目を見開いた。

 幼く拙い恋心なんて、年上で頼もしく経験豊富なこの夫にはとっくに知られていると思っていたのに。
 言ったことが、なかっただろうか。――なかったかもしれない。
 年上の大人の男に釣り合いたくて背伸びにばかり一生懸命で、結婚してからは与えられるものを享受するのに満たされず、けれどその不服を押し殺して取り澄ますばかり。シャルフィはリウトに、一度も自分の心を開いて見せたことはなかった。
 これが夫婦のすれ違いの原因だったなら、シャルフィの責任だ。

 勇気を出して、シャルフィはひとつ頷いた。リウトの眉間が少し晴れたのを見て、急にシャルフィの目から、あとからあとから涙が溢れ始めた。
 あれほど気を塞いだ悩みが、解決の糸口を得ようとしている。シャルフィが行いを改め心を開けば、もしかすると二人は円満に……。

「む、むぐ」

 希望を抱くも、それよりなにより空気が足りなくなって、シャルフィは首を振った。

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