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過ぎ去った恋
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身分証をつけて、靴下だけで、そっと教室に入る。
教室は変わっていなかった。でもやけに机が小さい。こんなに小さかったっけ? 一年生だから?
人の気配のない学校は、やけに緊張する。
「えっと、後藤ゆうの机……」
わざわざ声に出して、私は教室を見渡して座席表を見つけ、甥っ子の机を探し当てた。窓際の席だと言ってだけど、窓から二列目だった。
「あったあった。れんらくちょう。懐かしい!」
机から、表紙に動物が載った連絡帳を引っ張り出したところに、ガラリとドアが開いた。
本気で心臓が跳ねた。
「ひゃあっ」
「あ、失礼、驚かせて。廊下の端から見かけて」
「せ、せんせ」
少し息を切らした佐山君だった。元同級生。いや、待って。元同級生だと知られたくないから、ただの甥っ子のせんせ――。
「僕、佐山です、だよ。斉木ちせ、さんだよね? 覚えてる?」
あれ?
「覚えてないかな。6年生に転校しちゃったし。その直前の春の運動会で、君は、僕を引っ張って」
あ、あ、覚えてるんだ! どうしよう!
「放送係に誘ったんだよ。競技には参加できなかったけれど、君のおかげで、運動会には参加できた。あれは、嬉しかったんだ。本当に、嬉しかった。ずっとお礼が言いたくて」
――放送係?
無言で記憶を漁っているうちに、佐山君はどことなく落ち着かなげに、そわそわと体を揺らした。
「あー、ほんと突然ごめん。今、職員室で確認したとこで。斉木さんは、ゆうくんのお母さんじゃないんだね。叔母って書いてあった。緊急連絡網に。担任でよかった…。ほんと、泣きそうに安心した」
そう言って笑う顔を見て、閃くように思い出した。
どうしても競技に出ないならと、無理矢理押し込めた放送席。私が読むはずだった下級生のリレーの実況をぶっつけ本番で担当させられて、でもやりきって、得意げに笑ったあの男の子。
ちょっといいな、ってきっと思ったんだ、わたし。
いつもサボって隠れた校舎の影からじっと寂しそうに見ている顔より、ずっとずっと素敵で。いつもそうやって笑ってほしいなって。
当時はまだ、その気持ちが何かはわからなくて。芽が出る前の土の山みたいな、春の兆しみたいなものだったから、記憶と一緒に封じられていたのだろう。
思い出したからといって、それが一気に芽吹くわけでもないけれど。
恐れていたのと正反対の好意的な態度に、私は気づく前に過ぎ去っていたはじめての恋を、とても素直に受け止めた。
――で。
今はもう、二人とも大人で、保護者と教師でもない。そのことに佐山君も安心してくれた、ということは。
あ、いやいや、本気にとったらいけないやつかも。
もたもたおろおろとしていた私に、佐山君は真剣な顔で、この後時間があればご飯でも、とまで言ってくれた。
うう、甥っ子の運動会記念の食事予約さえなければね、行ったのだけど。
残念ながらとお断りして、連絡帳を持って姉のところに戻る。木陰で待っていてくれた二人は、私を見つけてにっこり、よく似た顔で笑った。
うんうん、わたしは今無職の居候だし、こうしてお供するのが一番よね、と甥っ子を姉と挟む形で手を繋いで歩いてたら。
「斉木さん!」
遠くから名前を呼ばれて、振り返った。声だけでわかる。
「あれ、せんせーだ」
走ってくる綺麗なフォームに見惚れていたから、追いつかれるまであっという間だった。
教室は変わっていなかった。でもやけに机が小さい。こんなに小さかったっけ? 一年生だから?
人の気配のない学校は、やけに緊張する。
「えっと、後藤ゆうの机……」
わざわざ声に出して、私は教室を見渡して座席表を見つけ、甥っ子の机を探し当てた。窓際の席だと言ってだけど、窓から二列目だった。
「あったあった。れんらくちょう。懐かしい!」
机から、表紙に動物が載った連絡帳を引っ張り出したところに、ガラリとドアが開いた。
本気で心臓が跳ねた。
「ひゃあっ」
「あ、失礼、驚かせて。廊下の端から見かけて」
「せ、せんせ」
少し息を切らした佐山君だった。元同級生。いや、待って。元同級生だと知られたくないから、ただの甥っ子のせんせ――。
「僕、佐山です、だよ。斉木ちせ、さんだよね? 覚えてる?」
あれ?
「覚えてないかな。6年生に転校しちゃったし。その直前の春の運動会で、君は、僕を引っ張って」
あ、あ、覚えてるんだ! どうしよう!
「放送係に誘ったんだよ。競技には参加できなかったけれど、君のおかげで、運動会には参加できた。あれは、嬉しかったんだ。本当に、嬉しかった。ずっとお礼が言いたくて」
――放送係?
無言で記憶を漁っているうちに、佐山君はどことなく落ち着かなげに、そわそわと体を揺らした。
「あー、ほんと突然ごめん。今、職員室で確認したとこで。斉木さんは、ゆうくんのお母さんじゃないんだね。叔母って書いてあった。緊急連絡網に。担任でよかった…。ほんと、泣きそうに安心した」
そう言って笑う顔を見て、閃くように思い出した。
どうしても競技に出ないならと、無理矢理押し込めた放送席。私が読むはずだった下級生のリレーの実況をぶっつけ本番で担当させられて、でもやりきって、得意げに笑ったあの男の子。
ちょっといいな、ってきっと思ったんだ、わたし。
いつもサボって隠れた校舎の影からじっと寂しそうに見ている顔より、ずっとずっと素敵で。いつもそうやって笑ってほしいなって。
当時はまだ、その気持ちが何かはわからなくて。芽が出る前の土の山みたいな、春の兆しみたいなものだったから、記憶と一緒に封じられていたのだろう。
思い出したからといって、それが一気に芽吹くわけでもないけれど。
恐れていたのと正反対の好意的な態度に、私は気づく前に過ぎ去っていたはじめての恋を、とても素直に受け止めた。
――で。
今はもう、二人とも大人で、保護者と教師でもない。そのことに佐山君も安心してくれた、ということは。
あ、いやいや、本気にとったらいけないやつかも。
もたもたおろおろとしていた私に、佐山君は真剣な顔で、この後時間があればご飯でも、とまで言ってくれた。
うう、甥っ子の運動会記念の食事予約さえなければね、行ったのだけど。
残念ながらとお断りして、連絡帳を持って姉のところに戻る。木陰で待っていてくれた二人は、私を見つけてにっこり、よく似た顔で笑った。
うんうん、わたしは今無職の居候だし、こうしてお供するのが一番よね、と甥っ子を姉と挟む形で手を繋いで歩いてたら。
「斉木さん!」
遠くから名前を呼ばれて、振り返った。声だけでわかる。
「あれ、せんせーだ」
走ってくる綺麗なフォームに見惚れていたから、追いつかれるまであっという間だった。
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