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春を残して春は去り

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 朝の挨拶が交わされる工房に、ぽつりと置かれたままの紐台がある。

「おや、フォルセは今日はまだ起きてきてないのかい?」

 だが、昨日まではなかった紐が、端まで綺麗に整えられて畳んでおかれている。

「吹っ切れたのかな?」

 それは見事な、春そのものの紐だった。
 魔術師の求めた銀の鎖に置き換えて、柔らかな螺旋を描く草花の意匠が組み込まれている。
 伝統的な草模様は男性の好むところだが、合わせて組み込まれた花の色は優しく、まさに萌えいずる春を描き出している。きっと女性の心もくすぐるだろう。
 いや、春を心待ちにする誰の心をも掴むに違いない。
 壁を越えた。
 弟子の手応えを、まざまざと感じる逸品だった。

「昨夜無理して仕上げたんだろ。いくらフォルセでも、無茶したもんだよ。いいよ、昼くらいまで寝かしてやろう。その後は、それはもう、働いてもらおうじゃないか」

 親方も、仲間たちも、くすくすと温かく笑って、それぞれの仕事に取りかかる。

「これを、見せつけてやりたいねえ」

 あの子はあんたたちの付けた傷を乗り越えた。そう、あの高貴な男女に突きつけてやりたい。
 だが、もうそんなことは些末な過去になるだろう。
 きっとフォルセは、引く手あまたの職人となり、身分は低けれど、この世界で大きく自由に羽ばたくだろう。いかに貴い身の上の者でも、無理を通せないほど、高く強く。

「楽しみだね」

 親方は、その紐を丁寧に整えて、化粧箱に入れた。
 美しい白木の蓋には、フォルセの名が確かに焼き付けられていた。



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