6 / 10
職人の矜持
しおりを挟む
円形の紐台に、中央の穴から放射状に色とりどりの糸がかかっている。台の周囲に垂れ下がる糸の端には、手のひらサイズの木製の糸巻きがぶら下がっている。
フォルセの両手は、糸巻きを移動させて糸を交差させ、優しく締めたと思えばまた別の糸を交差させている。動きにつれて、糸巻きが台の四つ足に触れて柔らかな音が立つ。
音が鳴るのと歩調を合わせて、中央の穴から下へと、紐が伸びた。
糸巻きの数は40で多いが珍しくはない。だが色数は魔素の基本四色と銀糸の五色。糸巻きにかかる四色の糸は白を基調にしてゆるゆるとその色の濃淡を変えて束ねられている。
目で見ていては、色の変化に手が惑わされる。だからフォルセは色を見ずに体の記憶の通りに手を動かし、糸の張力を指に感じて、正しい力加減で糸を締めていく。
糸は規則正しく互いに絡まり、同時に、角張った紐の四面すべてに同じ鎖模様が浮き出るように、銀糸を織り込んでいく。
誰にでもできる技ではない。
いつもは女職人たちのささやきで賑やかな組紐工房が、とても静かだった。誰もが、フォルセの手元を固唾を飲んで見守っていた。
不調を通り抜けて、ずっと規則正しく動き続けていたその手が止まって、紐の末端の飾り結びを施した時には、工房中が息をついた。
巻き糸の少なくなった糸巻きを切り離し、端を整えてから、小指の爪ほどの幅の紐を巻き取りながら検分する。
なめらかな綾。乱れのない光沢。きゅっと引っ張れば少し伸び、強靱にまた戻るしなやかさ。そして何より、基本魔素の四色を絡め取り封じ込めて煌めく、銀の鎖の鮮やかさ。
凝り固まった首と肩を揉みながら、フォルセは満足げに微笑んだ。
職人としての、誇らしい笑みだった。
組み上がった紐を見て、メギナルは頬を赤らめてまで喜んでくれた。
「素晴らしいよ。僕のために、苦労して組んでくれて、本当にありがとう。魔術師の正装には、必ず身につけるよ」
ここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
フォルセの頬が、ゆるりと上がる。
もういいかな、と思った。前世の婚約者に、ここまで感謝されて、悔いはない。
――ただ最後に。
フォルセは、記憶に別れを告げるために、狭かった自分の世界を広げることにした。
糸工房へ、職人組合へ、組紐の卸先へと。
それとなく、話を聞きに出かけた。
魔術師は、憧れと畏怖の的。彼らは常に、人の注目を浴びている。
だから、人と付き合い慣れていないフォルセでさえ、ちょっと話を振れば、知ることができた。
魔術師メギナルと婚約者のプリア嬢は、幼い頃から婚約者の間柄で、魔術師として参加する公式な式典にはいつもプリアが寄り添い、相思相愛仲の良い二人なのだという。
そこにフォルセの影など、微塵もなかった。
どうしようもない理由で別れた初めの婚約者として、自分こそ正しい相手だと、どこかで思っていた。奪いたいとまでは思っていなかったけれど、プリアより近いところにいるかもしれないと、謂れのない優越感を感じたこともあるから、時間の問題だったのかもしれない。
けれど実際は、仲の良い婚約者の間に勘違いして割り込んだ、横恋慕の女でしかない。割り込むことさえ、できていなかったと、今ならわかる。
思わせぶりなメギナルの態度は、何だったのか。
魔術師は前世をも見通して、今世は結ばれるつもりのない昔馴染みを、少し懐かしんで戯れたのだろうか。
さすがに重い気持ちを抱えて街を彷徨っていたフォルセの横に、馬車が横付けされた。
フォルセの両手は、糸巻きを移動させて糸を交差させ、優しく締めたと思えばまた別の糸を交差させている。動きにつれて、糸巻きが台の四つ足に触れて柔らかな音が立つ。
音が鳴るのと歩調を合わせて、中央の穴から下へと、紐が伸びた。
糸巻きの数は40で多いが珍しくはない。だが色数は魔素の基本四色と銀糸の五色。糸巻きにかかる四色の糸は白を基調にしてゆるゆるとその色の濃淡を変えて束ねられている。
目で見ていては、色の変化に手が惑わされる。だからフォルセは色を見ずに体の記憶の通りに手を動かし、糸の張力を指に感じて、正しい力加減で糸を締めていく。
糸は規則正しく互いに絡まり、同時に、角張った紐の四面すべてに同じ鎖模様が浮き出るように、銀糸を織り込んでいく。
誰にでもできる技ではない。
いつもは女職人たちのささやきで賑やかな組紐工房が、とても静かだった。誰もが、フォルセの手元を固唾を飲んで見守っていた。
不調を通り抜けて、ずっと規則正しく動き続けていたその手が止まって、紐の末端の飾り結びを施した時には、工房中が息をついた。
巻き糸の少なくなった糸巻きを切り離し、端を整えてから、小指の爪ほどの幅の紐を巻き取りながら検分する。
なめらかな綾。乱れのない光沢。きゅっと引っ張れば少し伸び、強靱にまた戻るしなやかさ。そして何より、基本魔素の四色を絡め取り封じ込めて煌めく、銀の鎖の鮮やかさ。
凝り固まった首と肩を揉みながら、フォルセは満足げに微笑んだ。
職人としての、誇らしい笑みだった。
組み上がった紐を見て、メギナルは頬を赤らめてまで喜んでくれた。
「素晴らしいよ。僕のために、苦労して組んでくれて、本当にありがとう。魔術師の正装には、必ず身につけるよ」
ここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
フォルセの頬が、ゆるりと上がる。
もういいかな、と思った。前世の婚約者に、ここまで感謝されて、悔いはない。
――ただ最後に。
フォルセは、記憶に別れを告げるために、狭かった自分の世界を広げることにした。
糸工房へ、職人組合へ、組紐の卸先へと。
それとなく、話を聞きに出かけた。
魔術師は、憧れと畏怖の的。彼らは常に、人の注目を浴びている。
だから、人と付き合い慣れていないフォルセでさえ、ちょっと話を振れば、知ることができた。
魔術師メギナルと婚約者のプリア嬢は、幼い頃から婚約者の間柄で、魔術師として参加する公式な式典にはいつもプリアが寄り添い、相思相愛仲の良い二人なのだという。
そこにフォルセの影など、微塵もなかった。
どうしようもない理由で別れた初めの婚約者として、自分こそ正しい相手だと、どこかで思っていた。奪いたいとまでは思っていなかったけれど、プリアより近いところにいるかもしれないと、謂れのない優越感を感じたこともあるから、時間の問題だったのかもしれない。
けれど実際は、仲の良い婚約者の間に勘違いして割り込んだ、横恋慕の女でしかない。割り込むことさえ、できていなかったと、今ならわかる。
思わせぶりなメギナルの態度は、何だったのか。
魔術師は前世をも見通して、今世は結ばれるつもりのない昔馴染みを、少し懐かしんで戯れたのだろうか。
さすがに重い気持ちを抱えて街を彷徨っていたフォルセの横に、馬車が横付けされた。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説

両親や妹に我慢を強いられ、心が疲弊しきっていましたが、前世で結ばれることが叶わなかった運命の人にやっと巡り会えたので幸せです
珠宮さくら
恋愛
ジスカールという国で、雑草の中の雑草と呼ばれる花が咲いていた。その国でしか咲くことがない花として有名だが、他国の者たちはその花を世界で一番美しい花と呼んでいた。それすらジスカールの多くの者は馬鹿にし続けていた。
その花にまつわる話がまことしやかに囁かれるようになったが、その真実を知っている者は殆どいなかった。
そんな花に囲まれながら、家族に冷遇されて育った女の子がいた。彼女の名前はリュシエンヌ・エヴル。伯爵家に生まれながらも、妹のわがままに振り回され、そんな妹ばかりを甘やかす両親。更には、婚約者や周りに誤解され、勘違いされ、味方になってくれる人が側にいなくなってしまったことで、散々な目にあい続けて心が壊れてしまう。
その頃には、花のことも、自分の好きな色も、何もかも思い出せなくなってしまっていたが、それに気づいた時には、リュシエンヌは養子先にいた。
そこからリュシエンヌの運命が大きく回り出すことになるとは、本人は思ってもみなかった。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる