5 / 10
君のことが好きだよ
しおりを挟む
まだ工房にいるべき時間。窓も閉め切って暗い自室で寝台に寝転んでも、眠りは訪れない。いや、眠ると過去のメギナルを夢に見る。いつもは幸せな時間だが、今日ばかりは、あまり夢でも会いたくない。
親方に言われた通り、職人としての目線でと思っても、目を閉じれば、花の色に染まってしまう。
何もできない。
ただ、心がじわじわと締め絞られていくのを、じっと感じなければならないなんて。
フォルセは両腕で目を覆った。
その時、寝台の横の窓が、こつり、と鳴った。
体を起こして様子をうかがうと、もう一度、こつり。
訝しんで木戸を押し開ける前に、風もないのに木戸がさっと開いて、ヒヤリとした外の風と共に、『フォルセ』とメギナルの声が入ってきた。
「メギナル様?」
どれほど落ち込んでいても、会えれば嬉しい。でも、婚約者と寄り添っていた姿を思い出すと、悲しい。
窓の外に難なく浮かんで微笑んでいるメギナルを見つめて、フォルセは喘いだ。
「先ほど元気がなかったから、気になって」
「あ、そんなこと、あの、可愛い婚約者様ですね……」
言うつもりもなかったのに、言いたくないことを言ってしまう。
気のせいか、メギナルの眼差しが鋭くなり、すっと近づいてきた、と思えば、いつの間にかフォルセの部屋の中にメギナルが立っていた。
「フォルセ。君にそんなこと言われると、なんだか寂しいな。でも、未来ある君の邪魔はしたくないから、僕からは何も言えないんだ。……わかるよね?」
わからない。
フォルセには何もわからなかったけれど、それは仕方がない。
わかるのを邪魔するように、メギナルの顔が近づいて、濃紺の髪を少し垂らして顔を傾け、そっと唇にキスをしたから。
「フォルセ、君のことが好きだよ」
間近で見る濃紺の瞳に、淡い髪の自分が写っている。
ふと、フォルセは瞬いた。メギナルの目の色は、いつ、黒から紺になったのだろう。
けれど、そっと目元にもキスを受けて、思考は散ってしまう。
「さっきの花の色は、君の目の色だね」
それから、フォルセは一層、仕事が手につかなくなった。叱られても、自分でダメだと思っても、目を飛ばすし色を間違える。間違いを恐れて、組む手が固くなり、紐が固く歪になる。練習で組んでみた糸巻き四つの基本の糸だって、おぼつかない。
何度、糸を計り直し、糸巻きにまき直しただろう。一度に染めた糸の中で仕上げないと、色の風合いが変わってしまう。焦りが、フォルセを蝕んでいく。だんだんと、食事も喉を通らずに痩せていく。
そんな中でも、メギナルが工房に顔を出せば、フォルセは顔を輝かせて走り寄り、手土産に涙を滲ませるほど喜んだ。幾度かプリアも伴って来たメギナルが、プリアよりもフォルセに近い位置で紐を見てくれるときには、俯いて顔を隠して、ほのかな優越を感じた。
紐は一向に進まないのに、メギナルは責めない。
「存分に悩んでくれてかまわない。いつまでも待つよ」
フォルセを自分の注文で独占しているからと、その分の手当も支払ってくれていると聞いて、フォルセの体の奥深くが喜んだ。
けれど、フォルセはやはり職人で。
いくら注文主に良いと言われても、思うように紐を組めない抑圧が、フォルセを追い詰めた。
ついに、ふらりとうずくまったフォルセを寝かしつけ、親方がため息と涙ながらに話して聞かせたのは、夫が調べてくれたフォルセの身の上だった。
「フォルセ、あんたの記憶にある商家は、確かにこの街にかつて実在し、没落して今はないそうだよ。だけどね、それはもう50年は昔のことだっていうじゃないか」
フォルセは、奇妙に冷静にそれを聞いていた。
「その家に娘がいたと覚えてる人もいたよ。私が直接、何人かから話を聞いてきた。小さなお嬢さんがいたはずだとね。でも、それはどう計算してもあんたじゃない。いったいこれは、どういうことなんだろうね」
親方は、聞いた話を忘れぬようにと書き付けた紙を渡してくれた。
見慣れた字で並ぶ、何人もの見知らぬ人の名と、証言。
そして書かれた、令嬢の名は、フォルセではなく、ラフォルセーヌ。
「でも、これも、私の名?」
混乱する。
記憶はまだはっきりとある。けれど確かに、着ていた服の様式が、とても古いことに気がついた。今はもう流行遅れが一周回って再び注目され始めている、総レースのドレスを着ている幼い自分に、違和感を感じた。
自分の幼い時の記憶ではないなら。
でも、なぜ? メギナルもその記憶を覚えているのは、なぜだろう。
けれど、思い返せば、はっきりと関係を言われたことはなかった。
疑問を抱けば、気がついてしまう。
記憶の少年は、黒い髪と目をしていた。整った顔立ちだったけれど、メギナルよりもっと甘い目をしていたし、何より、鼻の形も違う。
何故二人を同一視していたのか、わからない。
そう思った次の瞬間には、少年の顔にメギナルが重なった。
まるで、少年の記憶を上書きするように。
人は違う、けれど、あれはメギナルだ。
では、あれは、前世の記憶――?
親方に言われた通り、職人としての目線でと思っても、目を閉じれば、花の色に染まってしまう。
何もできない。
ただ、心がじわじわと締め絞られていくのを、じっと感じなければならないなんて。
フォルセは両腕で目を覆った。
その時、寝台の横の窓が、こつり、と鳴った。
体を起こして様子をうかがうと、もう一度、こつり。
訝しんで木戸を押し開ける前に、風もないのに木戸がさっと開いて、ヒヤリとした外の風と共に、『フォルセ』とメギナルの声が入ってきた。
「メギナル様?」
どれほど落ち込んでいても、会えれば嬉しい。でも、婚約者と寄り添っていた姿を思い出すと、悲しい。
窓の外に難なく浮かんで微笑んでいるメギナルを見つめて、フォルセは喘いだ。
「先ほど元気がなかったから、気になって」
「あ、そんなこと、あの、可愛い婚約者様ですね……」
言うつもりもなかったのに、言いたくないことを言ってしまう。
気のせいか、メギナルの眼差しが鋭くなり、すっと近づいてきた、と思えば、いつの間にかフォルセの部屋の中にメギナルが立っていた。
「フォルセ。君にそんなこと言われると、なんだか寂しいな。でも、未来ある君の邪魔はしたくないから、僕からは何も言えないんだ。……わかるよね?」
わからない。
フォルセには何もわからなかったけれど、それは仕方がない。
わかるのを邪魔するように、メギナルの顔が近づいて、濃紺の髪を少し垂らして顔を傾け、そっと唇にキスをしたから。
「フォルセ、君のことが好きだよ」
間近で見る濃紺の瞳に、淡い髪の自分が写っている。
ふと、フォルセは瞬いた。メギナルの目の色は、いつ、黒から紺になったのだろう。
けれど、そっと目元にもキスを受けて、思考は散ってしまう。
「さっきの花の色は、君の目の色だね」
それから、フォルセは一層、仕事が手につかなくなった。叱られても、自分でダメだと思っても、目を飛ばすし色を間違える。間違いを恐れて、組む手が固くなり、紐が固く歪になる。練習で組んでみた糸巻き四つの基本の糸だって、おぼつかない。
何度、糸を計り直し、糸巻きにまき直しただろう。一度に染めた糸の中で仕上げないと、色の風合いが変わってしまう。焦りが、フォルセを蝕んでいく。だんだんと、食事も喉を通らずに痩せていく。
そんな中でも、メギナルが工房に顔を出せば、フォルセは顔を輝かせて走り寄り、手土産に涙を滲ませるほど喜んだ。幾度かプリアも伴って来たメギナルが、プリアよりもフォルセに近い位置で紐を見てくれるときには、俯いて顔を隠して、ほのかな優越を感じた。
紐は一向に進まないのに、メギナルは責めない。
「存分に悩んでくれてかまわない。いつまでも待つよ」
フォルセを自分の注文で独占しているからと、その分の手当も支払ってくれていると聞いて、フォルセの体の奥深くが喜んだ。
けれど、フォルセはやはり職人で。
いくら注文主に良いと言われても、思うように紐を組めない抑圧が、フォルセを追い詰めた。
ついに、ふらりとうずくまったフォルセを寝かしつけ、親方がため息と涙ながらに話して聞かせたのは、夫が調べてくれたフォルセの身の上だった。
「フォルセ、あんたの記憶にある商家は、確かにこの街にかつて実在し、没落して今はないそうだよ。だけどね、それはもう50年は昔のことだっていうじゃないか」
フォルセは、奇妙に冷静にそれを聞いていた。
「その家に娘がいたと覚えてる人もいたよ。私が直接、何人かから話を聞いてきた。小さなお嬢さんがいたはずだとね。でも、それはどう計算してもあんたじゃない。いったいこれは、どういうことなんだろうね」
親方は、聞いた話を忘れぬようにと書き付けた紙を渡してくれた。
見慣れた字で並ぶ、何人もの見知らぬ人の名と、証言。
そして書かれた、令嬢の名は、フォルセではなく、ラフォルセーヌ。
「でも、これも、私の名?」
混乱する。
記憶はまだはっきりとある。けれど確かに、着ていた服の様式が、とても古いことに気がついた。今はもう流行遅れが一周回って再び注目され始めている、総レースのドレスを着ている幼い自分に、違和感を感じた。
自分の幼い時の記憶ではないなら。
でも、なぜ? メギナルもその記憶を覚えているのは、なぜだろう。
けれど、思い返せば、はっきりと関係を言われたことはなかった。
疑問を抱けば、気がついてしまう。
記憶の少年は、黒い髪と目をしていた。整った顔立ちだったけれど、メギナルよりもっと甘い目をしていたし、何より、鼻の形も違う。
何故二人を同一視していたのか、わからない。
そう思った次の瞬間には、少年の顔にメギナルが重なった。
まるで、少年の記憶を上書きするように。
人は違う、けれど、あれはメギナルだ。
では、あれは、前世の記憶――?
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説

両親や妹に我慢を強いられ、心が疲弊しきっていましたが、前世で結ばれることが叶わなかった運命の人にやっと巡り会えたので幸せです
珠宮さくら
恋愛
ジスカールという国で、雑草の中の雑草と呼ばれる花が咲いていた。その国でしか咲くことがない花として有名だが、他国の者たちはその花を世界で一番美しい花と呼んでいた。それすらジスカールの多くの者は馬鹿にし続けていた。
その花にまつわる話がまことしやかに囁かれるようになったが、その真実を知っている者は殆どいなかった。
そんな花に囲まれながら、家族に冷遇されて育った女の子がいた。彼女の名前はリュシエンヌ・エヴル。伯爵家に生まれながらも、妹のわがままに振り回され、そんな妹ばかりを甘やかす両親。更には、婚約者や周りに誤解され、勘違いされ、味方になってくれる人が側にいなくなってしまったことで、散々な目にあい続けて心が壊れてしまう。
その頃には、花のことも、自分の好きな色も、何もかも思い出せなくなってしまっていたが、それに気づいた時には、リュシエンヌは養子先にいた。
そこからリュシエンヌの運命が大きく回り出すことになるとは、本人は思ってもみなかった。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

実在しないのかもしれない
真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・?
※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。
※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。
※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる