4 / 10
親方と弟子
しおりを挟む
「フォルセ、ちょっと私の部屋においで」
さすがに見かねて、親方はフォルセを呼びつけた。
フォルセはその日何度目かの組み間違いに気がついて、紐を解いている最中だった。解く作業を雑にしてしまうと、糸巻きに巻いた糸の縒りがほどけて、使い物にならなくなる。だから、組む時の倍以上の時間をかけて解く。これが、まったくの無駄な時間になる。
昼前に魔術師殿の婚約者とやらが現れて以来、フォルセは全く仕事に集中できていない。
フォルセ自身にも自覚があるのだろう。
けれど、身を縮めるよりも、ほっと安堵した顔をしたのを見ると、自分でもどうしようもなくて、叱ってもらえるのを待っていたのかもしれない。
その幼さが心配にもなり、親方はフォルセの肩に温かな手を置いた。
何しろ、子供の頃から工房にどっぷりと入り浸り、狭い世界で組紐だけを中心に据えてきた娘だ。今が、遅い成長の時期なのかもしれないと。
「フォルセ、何を思い悩んでいるのか、とりあえず喋っておしまいよ」
よほど参っていたのか、フォルセはすぐに洗いざらい喋った。
メギナルに会って、昔の記憶を思い出したこと。今も勝手に想いを募らせていたこと。今日、婚約者の存在を知ったこと。すべて、独り相撲だとわかっていること。けれど辛くて、おまけに、仕事の自信も失いそうなこと。
あまりな内容に、親方は唸った。
「そりゃ、うん、辛かったね。失恋てのは、辛いよね」
注意を払っていたつもりだったが、ここまで思い詰めていることには気がつかなかった。孤児院の子の出自まで、深く確認して弟子に取るわけでもない。本人も忘れていたと言うように、親方だって、フォルセの過去を意識したことはなかった。
親を失い、家を失い、いろんなものを失っていたことに、同情が湧き起こる。
さらに恋も失ったのなら、それはこの若い娘にとって、酷なことだろう。
親方は、娘のような年の弟子に、共感を示した。
そこまではよかった。
「とりあえず、時間薬だね。ちょうど、仕事でも落ち込んでるっていうなら、そっちに頭の中身を集中させてみたらどうだろうね。腹が痛いときに、腕をつねるとちょっと忘れることも……ある、だろ?」
「……はい」
残念ながら、親方は助言がうまくなかった。
「すまないね、わたしゃ、あまり繊細じゃなくて。ただね、組紐のことはわかるよ」
フォルセが、はっと顔を上げた。
あの令嬢が提案した色とりどりの紐は、それは綺麗だろう。だが、すべて染色にかかる費用の高い色ばかり。それでいて、できあがるのは伸縮性と丈夫さはあれど、レースほどの繊細な模様は表現できない紐となれば、染色費を回収できるほどの数は売れないだろう。
所詮素人が思いついた、儲け度外視の、令嬢の手慰みの色使い。
親方には、そう見えた。
「自分を卑下せずに、職人の目で見直してごらん。あとは、自分で気がつくべきことだ」
結局、それ以上の言葉も思いつかないまま、少しだけ落ち着いた顔のフォルセが、工房の二階の自室に戻るのを見送ってからだ。急に、不安になったのは。
フォルセが一方的に好きになり――好きだったと思い出し――失恋したのだと言うが、本当だろうか。
フォルセが嘘をついている様子はなかった。
だが、魔術師メギナルの態度は、親方が見たり聞いたりする限り、ひどく曖昧だ。
過去のことに触れる言葉、菓子の差し入れなど、下心が在るようにしか見えないのに、あまりに当たり障りなさすぎる。まして今日も、婚約者を伴って来て、なのに奇妙にフォルセばかりを見ていた、気がする。
「……。うん、わからん」
親方はさっぱりと諦めて、街役場に働きに出ている夫が帰ってきたら、相談してみることにした。
さすがに見かねて、親方はフォルセを呼びつけた。
フォルセはその日何度目かの組み間違いに気がついて、紐を解いている最中だった。解く作業を雑にしてしまうと、糸巻きに巻いた糸の縒りがほどけて、使い物にならなくなる。だから、組む時の倍以上の時間をかけて解く。これが、まったくの無駄な時間になる。
昼前に魔術師殿の婚約者とやらが現れて以来、フォルセは全く仕事に集中できていない。
フォルセ自身にも自覚があるのだろう。
けれど、身を縮めるよりも、ほっと安堵した顔をしたのを見ると、自分でもどうしようもなくて、叱ってもらえるのを待っていたのかもしれない。
その幼さが心配にもなり、親方はフォルセの肩に温かな手を置いた。
何しろ、子供の頃から工房にどっぷりと入り浸り、狭い世界で組紐だけを中心に据えてきた娘だ。今が、遅い成長の時期なのかもしれないと。
「フォルセ、何を思い悩んでいるのか、とりあえず喋っておしまいよ」
よほど参っていたのか、フォルセはすぐに洗いざらい喋った。
メギナルに会って、昔の記憶を思い出したこと。今も勝手に想いを募らせていたこと。今日、婚約者の存在を知ったこと。すべて、独り相撲だとわかっていること。けれど辛くて、おまけに、仕事の自信も失いそうなこと。
あまりな内容に、親方は唸った。
「そりゃ、うん、辛かったね。失恋てのは、辛いよね」
注意を払っていたつもりだったが、ここまで思い詰めていることには気がつかなかった。孤児院の子の出自まで、深く確認して弟子に取るわけでもない。本人も忘れていたと言うように、親方だって、フォルセの過去を意識したことはなかった。
親を失い、家を失い、いろんなものを失っていたことに、同情が湧き起こる。
さらに恋も失ったのなら、それはこの若い娘にとって、酷なことだろう。
親方は、娘のような年の弟子に、共感を示した。
そこまではよかった。
「とりあえず、時間薬だね。ちょうど、仕事でも落ち込んでるっていうなら、そっちに頭の中身を集中させてみたらどうだろうね。腹が痛いときに、腕をつねるとちょっと忘れることも……ある、だろ?」
「……はい」
残念ながら、親方は助言がうまくなかった。
「すまないね、わたしゃ、あまり繊細じゃなくて。ただね、組紐のことはわかるよ」
フォルセが、はっと顔を上げた。
あの令嬢が提案した色とりどりの紐は、それは綺麗だろう。だが、すべて染色にかかる費用の高い色ばかり。それでいて、できあがるのは伸縮性と丈夫さはあれど、レースほどの繊細な模様は表現できない紐となれば、染色費を回収できるほどの数は売れないだろう。
所詮素人が思いついた、儲け度外視の、令嬢の手慰みの色使い。
親方には、そう見えた。
「自分を卑下せずに、職人の目で見直してごらん。あとは、自分で気がつくべきことだ」
結局、それ以上の言葉も思いつかないまま、少しだけ落ち着いた顔のフォルセが、工房の二階の自室に戻るのを見送ってからだ。急に、不安になったのは。
フォルセが一方的に好きになり――好きだったと思い出し――失恋したのだと言うが、本当だろうか。
フォルセが嘘をついている様子はなかった。
だが、魔術師メギナルの態度は、親方が見たり聞いたりする限り、ひどく曖昧だ。
過去のことに触れる言葉、菓子の差し入れなど、下心が在るようにしか見えないのに、あまりに当たり障りなさすぎる。まして今日も、婚約者を伴って来て、なのに奇妙にフォルセばかりを見ていた、気がする。
「……。うん、わからん」
親方はさっぱりと諦めて、街役場に働きに出ている夫が帰ってきたら、相談してみることにした。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説

両親や妹に我慢を強いられ、心が疲弊しきっていましたが、前世で結ばれることが叶わなかった運命の人にやっと巡り会えたので幸せです
珠宮さくら
恋愛
ジスカールという国で、雑草の中の雑草と呼ばれる花が咲いていた。その国でしか咲くことがない花として有名だが、他国の者たちはその花を世界で一番美しい花と呼んでいた。それすらジスカールの多くの者は馬鹿にし続けていた。
その花にまつわる話がまことしやかに囁かれるようになったが、その真実を知っている者は殆どいなかった。
そんな花に囲まれながら、家族に冷遇されて育った女の子がいた。彼女の名前はリュシエンヌ・エヴル。伯爵家に生まれながらも、妹のわがままに振り回され、そんな妹ばかりを甘やかす両親。更には、婚約者や周りに誤解され、勘違いされ、味方になってくれる人が側にいなくなってしまったことで、散々な目にあい続けて心が壊れてしまう。
その頃には、花のことも、自分の好きな色も、何もかも思い出せなくなってしまっていたが、それに気づいた時には、リュシエンヌは養子先にいた。
そこからリュシエンヌの運命が大きく回り出すことになるとは、本人は思ってもみなかった。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~
キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。
両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。
ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。
全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。
エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。
ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。
こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

【完結】私を裏切った前世の婚約者と再会しました。
Rohdea
恋愛
ファルージャ王国の男爵令嬢のレティシーナは、物心ついた時から自分の前世……200年前の記憶を持っていた。
そんなレティシーナは非公認だった婚約者の伯爵令息・アルマンドとの初めての顔合わせで、衝撃を受ける。
かつての自分は同じ大陸のこことは別の国……
レヴィアタン王国の王女シャロンとして生きていた。
そして今、初めて顔を合わせたアルマンドは、
シャロンの婚約者でもあった隣国ランドゥーニ王国の王太子エミリオを彷彿とさせたから。
しかし、思い出すのはシャロンとエミリオは結ばれる事が無かったという事実。
何故なら──シャロンはエミリオに捨てられた。
そんなかつての自分を裏切った婚約者の生まれ変わりと今世で再会したレティシーナ。
当然、アルマンドとなんてうまくやっていけるはずが無い!
そう思うも、アルマンドとの婚約は正式に結ばれてしまう。
アルマンドに対して冷たく当たるも、当のアルマンドは前世の記憶があるのか無いのか分からないが、レティシーナの事をとにかく溺愛してきて……?
前世の記憶に囚われた2人が今世で手にする幸せとはーー?

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる