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親方と弟子
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「フォルセ、ちょっと私の部屋においで」
さすがに見かねて、親方はフォルセを呼びつけた。
フォルセはその日何度目かの組み間違いに気がついて、紐を解いている最中だった。解く作業を雑にしてしまうと、糸巻きに巻いた糸の縒りがほどけて、使い物にならなくなる。だから、組む時の倍以上の時間をかけて解く。これが、まったくの無駄な時間になる。
昼前に魔術師殿の婚約者とやらが現れて以来、フォルセは全く仕事に集中できていない。
フォルセ自身にも自覚があるのだろう。
けれど、身を縮めるよりも、ほっと安堵した顔をしたのを見ると、自分でもどうしようもなくて、叱ってもらえるのを待っていたのかもしれない。
その幼さが心配にもなり、親方はフォルセの肩に温かな手を置いた。
何しろ、子供の頃から工房にどっぷりと入り浸り、狭い世界で組紐だけを中心に据えてきた娘だ。今が、遅い成長の時期なのかもしれないと。
「フォルセ、何を思い悩んでいるのか、とりあえず喋っておしまいよ」
よほど参っていたのか、フォルセはすぐに洗いざらい喋った。
メギナルに会って、昔の記憶を思い出したこと。今も勝手に想いを募らせていたこと。今日、婚約者の存在を知ったこと。すべて、独り相撲だとわかっていること。けれど辛くて、おまけに、仕事の自信も失いそうなこと。
あまりな内容に、親方は唸った。
「そりゃ、うん、辛かったね。失恋てのは、辛いよね」
注意を払っていたつもりだったが、ここまで思い詰めていることには気がつかなかった。孤児院の子の出自まで、深く確認して弟子に取るわけでもない。本人も忘れていたと言うように、親方だって、フォルセの過去を意識したことはなかった。
親を失い、家を失い、いろんなものを失っていたことに、同情が湧き起こる。
さらに恋も失ったのなら、それはこの若い娘にとって、酷なことだろう。
親方は、娘のような年の弟子に、共感を示した。
そこまではよかった。
「とりあえず、時間薬だね。ちょうど、仕事でも落ち込んでるっていうなら、そっちに頭の中身を集中させてみたらどうだろうね。腹が痛いときに、腕をつねるとちょっと忘れることも……ある、だろ?」
「……はい」
残念ながら、親方は助言がうまくなかった。
「すまないね、わたしゃ、あまり繊細じゃなくて。ただね、組紐のことはわかるよ」
フォルセが、はっと顔を上げた。
あの令嬢が提案した色とりどりの紐は、それは綺麗だろう。だが、すべて染色にかかる費用の高い色ばかり。それでいて、できあがるのは伸縮性と丈夫さはあれど、レースほどの繊細な模様は表現できない紐となれば、染色費を回収できるほどの数は売れないだろう。
所詮素人が思いついた、儲け度外視の、令嬢の手慰みの色使い。
親方には、そう見えた。
「自分を卑下せずに、職人の目で見直してごらん。あとは、自分で気がつくべきことだ」
結局、それ以上の言葉も思いつかないまま、少しだけ落ち着いた顔のフォルセが、工房の二階の自室に戻るのを見送ってからだ。急に、不安になったのは。
フォルセが一方的に好きになり――好きだったと思い出し――失恋したのだと言うが、本当だろうか。
フォルセが嘘をついている様子はなかった。
だが、魔術師メギナルの態度は、親方が見たり聞いたりする限り、ひどく曖昧だ。
過去のことに触れる言葉、菓子の差し入れなど、下心が在るようにしか見えないのに、あまりに当たり障りなさすぎる。まして今日も、婚約者を伴って来て、なのに奇妙にフォルセばかりを見ていた、気がする。
「……。うん、わからん」
親方はさっぱりと諦めて、街役場に働きに出ている夫が帰ってきたら、相談してみることにした。
さすがに見かねて、親方はフォルセを呼びつけた。
フォルセはその日何度目かの組み間違いに気がついて、紐を解いている最中だった。解く作業を雑にしてしまうと、糸巻きに巻いた糸の縒りがほどけて、使い物にならなくなる。だから、組む時の倍以上の時間をかけて解く。これが、まったくの無駄な時間になる。
昼前に魔術師殿の婚約者とやらが現れて以来、フォルセは全く仕事に集中できていない。
フォルセ自身にも自覚があるのだろう。
けれど、身を縮めるよりも、ほっと安堵した顔をしたのを見ると、自分でもどうしようもなくて、叱ってもらえるのを待っていたのかもしれない。
その幼さが心配にもなり、親方はフォルセの肩に温かな手を置いた。
何しろ、子供の頃から工房にどっぷりと入り浸り、狭い世界で組紐だけを中心に据えてきた娘だ。今が、遅い成長の時期なのかもしれないと。
「フォルセ、何を思い悩んでいるのか、とりあえず喋っておしまいよ」
よほど参っていたのか、フォルセはすぐに洗いざらい喋った。
メギナルに会って、昔の記憶を思い出したこと。今も勝手に想いを募らせていたこと。今日、婚約者の存在を知ったこと。すべて、独り相撲だとわかっていること。けれど辛くて、おまけに、仕事の自信も失いそうなこと。
あまりな内容に、親方は唸った。
「そりゃ、うん、辛かったね。失恋てのは、辛いよね」
注意を払っていたつもりだったが、ここまで思い詰めていることには気がつかなかった。孤児院の子の出自まで、深く確認して弟子に取るわけでもない。本人も忘れていたと言うように、親方だって、フォルセの過去を意識したことはなかった。
親を失い、家を失い、いろんなものを失っていたことに、同情が湧き起こる。
さらに恋も失ったのなら、それはこの若い娘にとって、酷なことだろう。
親方は、娘のような年の弟子に、共感を示した。
そこまではよかった。
「とりあえず、時間薬だね。ちょうど、仕事でも落ち込んでるっていうなら、そっちに頭の中身を集中させてみたらどうだろうね。腹が痛いときに、腕をつねるとちょっと忘れることも……ある、だろ?」
「……はい」
残念ながら、親方は助言がうまくなかった。
「すまないね、わたしゃ、あまり繊細じゃなくて。ただね、組紐のことはわかるよ」
フォルセが、はっと顔を上げた。
あの令嬢が提案した色とりどりの紐は、それは綺麗だろう。だが、すべて染色にかかる費用の高い色ばかり。それでいて、できあがるのは伸縮性と丈夫さはあれど、レースほどの繊細な模様は表現できない紐となれば、染色費を回収できるほどの数は売れないだろう。
所詮素人が思いついた、儲け度外視の、令嬢の手慰みの色使い。
親方には、そう見えた。
「自分を卑下せずに、職人の目で見直してごらん。あとは、自分で気がつくべきことだ」
結局、それ以上の言葉も思いつかないまま、少しだけ落ち着いた顔のフォルセが、工房の二階の自室に戻るのを見送ってからだ。急に、不安になったのは。
フォルセが一方的に好きになり――好きだったと思い出し――失恋したのだと言うが、本当だろうか。
フォルセが嘘をついている様子はなかった。
だが、魔術師メギナルの態度は、親方が見たり聞いたりする限り、ひどく曖昧だ。
過去のことに触れる言葉、菓子の差し入れなど、下心が在るようにしか見えないのに、あまりに当たり障りなさすぎる。まして今日も、婚約者を伴って来て、なのに奇妙にフォルセばかりを見ていた、気がする。
「……。うん、わからん」
親方はさっぱりと諦めて、街役場に働きに出ている夫が帰ってきたら、相談してみることにした。
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