前世の真実、それは今世の偽の記憶、春は去り

日室千種・ちぐ

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フォルセの記憶

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「僕たちは生まれの魔術的巡り合わせがよいから婚約をしたけれど、僕は君を心から好きだよ」

 そう言ってフォルセの手を取ったのは、魔術師の証明のような黒髪黒目の少年だ。
 見つめ合う二人の背丈はあまり変わらない。
 星を宿すように煌めく深い瞳が、じっと真正面からフォルセを見つめている。フォルセの淡い色の髪がぼんやりと目の中に見えそうなほどに。
 いつもは自信に満ちあふれた彼が、少し眉を下げてうかがうような表情をするのは、フォルセの前だけだと知っている。
 フォルセは、春色の目を伏せた。

「ありがとう、メギナル。私も、あなたのことが好きよ」
「「二人の魂が、いつまでも共に在りますように」」

 声を重ねて、恋の成就を疑わずに祈った。
 あたたかな風のそよぐ庭。
 幸せで、遠い、過去の記憶だ。


***


 フォルセは12の年に孤児院から職業訓練に送り込まれた組紐工房の作業によく馴染み、そのまま工房の押しかけ弟子となった。5年間、割ける時間のすべてを投じて技を磨いて、19才の今はいっぱしの職人となったつもりだ。
 いずれは工房の女親方のように、自分の工房と弟子を持って切り盛りしたいという夢をぼんやりとながら持っていた。
 だから、朝から晩まで腰を痛めるほど編み続けることも、新たな編み方をあれこれ考えることも、糸染め担当との喧嘩のような切磋琢磨も、命を削りそうに緊張する顧客との打ち合わせも、どれも苦ではなかったし、このまま一生好きな仕事に打ち込んでいけると、そう思っていたのだが。

 ある日、少し難しい注文主として商談に現れた男性を見て、フォルセの人生は、糸を繋ぎ変えたように急激にその色を変えた。

 顧客の名は、メギナル。
 黒にも見える濃紺の髪と目、人形のように整った面立ちに穏やかな表情、謎めいた魅力を漂わせる男は、この国にはたった三人しかいない魔術師だった。

 この世には、時に魔術師として生を受ける者がいる。生まれ落ちたときから魔術師であるから、乳を必要としなくなればすぐに血縁や家のしがらみから逃れ、魔術師たちが集う塔で育てられる。
 長じれば、生まれ落ちた国に戻って、まさにその身その魔術のみで人々の敬意と畏怖を集める、稀なる高貴な存在となる。何しろ、魔術師たちの力は圧倒的なのだ。不可能は人の死を覆すことだけだとも言われるほどに。

 フォルセは弟子の一人として脇に控えていただけだ。名乗ることも挨拶をすることもない。ただ、これが魔術師というものかと、失礼のない程度に顔を確認した。
 その時は、おや、と訝しく思った程度だった。
 どこかで、よく見知った人のように感じたのだ。懐かしいような。既視感のような。
 それが、翌朝起きた時には、叫び出したいほどの激情が身の内に育っていた。
 
 夢を見たかのように、鮮やかに思い出したのだ。
 彼は、メギナル。
 フォルセが孤児院に入る前、裕福な商家の娘として生活をしていた幼い頃に、魔術的な巡り合わせを尊ぶ魔術師の塔による仲介を受けて、婚約を結び、そして互いに好き合っていた、フォルセのかつての婚約者だ。

 その後、子供のフォルセの知らぬところで生家は没落し、家族も親類も、使用人たちもいつの間にかいなくなった。フォルセは孤児院に引き取られたが、直後高熱で数日魘され、記憶も朧になっていたのだった。
 もはや、親の顔すらあやふやだ。かろうじて家名は覚えていたが、家の場所も、いや、そもそも家がこの街にあったのかどうかも、わからない。家族はどうしたのだろうか。心細さがにわかに募ったが、親の消息よりも、大好きだったメギナルとの婚約がいつの間にか取り消されてしまったことの方が気になった。
 つい昨夜まで、何も覚えていなかったのに。
 思い出してしまえば、失ったものが大きすぎて、フォルセの胸は痛むところもないほどに空っぽになった。
 残ったのは、かつて婚約者だったメギナルの思い出だけ。

「二人の魂が、いつまでも共に在りますように」

 そう言って、濃紺の髪と目をフォルセに真っ直ぐに向けて、自信に満ちて綺麗に微笑む、お人形のような少年の姿を、フォルセは朝食も取らずに何度も反芻した。

 その少年の微笑みが、昨日間近で見た魔術師メギナルの見たこともないはずの笑顔に重なっていくのに、時間はいらず。
 それから、フォルセは日々、メギナルにまた出会えないかと、そればかりを待ち望むようになった。

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