噂(うわさ)―誰よりも近くにいるのは私だと思ってたのに―

日室千種・ちぐ

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十一話*

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 水音と衣擦れと、荒い息の合間に、ビシシアンが細く鳴いた。

「あの人の触ったところ、焼いてしまいたいほど嫌だった」

 そんなことを言われただけで、押さえつけていたものがついに反応してしまう。こんな男で、本当にいいのだろうか。
 熱をぐりりと押し付けると、ビシシアンがまた鳴いた。

「ごめん、我慢できなくて。ビーシャ、ほら、わかるだろう? 俺だって欲に塗れてる。君をいつだって自分のものにしたい。そんな俺は嫌い? 嫌いと言われるわけがないと思って尋ねるような男でもいい?」

 うんうんと頷く彼女が無防備で可愛い。
 きっと、わかっていない。
 清き水から立ち上がる真っ白な花が、男への想いのために澱のような悪意を生み出し、自分も窒息しようとしている。
 なんて哀れで愛おしいものか。これほどの愛を向けてもらえるなら、一緒に窒息しても本望だ。
 けれど、澱が涙に流れれば、そこにはまだ無垢で輝く白い魂がある。それを根こそぎにかっ攫い、花弁の隅々、花芯の奥まで、愛という欲を染み込ませてしまいたい。
 ――そんなことを思われているなんて、わかっていない。

 だから想いを込めて、手を撫でる。
 指の先から、肌の甘さを味わうように。
 爪の先、爪の付け根、一つ一つの華奢な間接をくるりと辿り、指の間まで。見せつけるように。

「や、なんだか、恥ずかしい……」
「嫌だったんだよね? 俺が、こうして誰かに触れられるのが」

 また、うんうん、と頷く。

「でも俺が触れたい相手は、ビーシャだけだ。触れられたいのも。ビーシャにも、俺だけ。そうだろう?」

 頷く途中で、は、と小さな唇から零れた吐息は、唇で受け止めた。
 ぴちゃぴちゃと響く音を、もう気にする素振りすらない。
 藍色の目は潤んで蕩け、ずっとアイゼンから離れない。

「愛してる」
「私も、私もすき。あいしてる」

 頭の片隅で、まだ婚姻前だと理性が警告している。
 何度か、体を離して落ち着こうと思ったが、到底かなわなかった。逆にいつの間にか、ビシシアンの香りのする寝台に、ふたり転がりこんでいた。

「ビーシャ、止まらない」
「いいの。やめないでアイゼン。私、私は、誰よりもあなたの近くにいきたい」

 花が、自ら誘った。
 アイゼンは嵐に傷ついた孤独な蜜蜂のように、従順にその誘いに従った。
 馥郁とした香りと、絹のような手触りと、春の土のような柔らかさ。
 手折って蹂躙したいと思っていたのが嘘のように、アイゼンはひとひらの花びらさえ散らしたくなかった。
 丁寧にゆっくりと、けれど執拗に、アイゼンは余すところなく触れて、口付けた。

「アイゼン……、アイゼン、あ、あ」

 か細い鳴き声が母を求める子猫のようだ。
 アイゼンは、今日初めて、ビシシアンが華奢なことを実感した。
 手も、腰回りも、足も、自分の半分もないかもしれない。
 覆い被されば、彼女の全ては自分の影にすっぽりと隠れてしまった。
 腕をつき、決して潰さないように、開かせた足の間に入り。ようやくそっと触れたそこも、酷く繊細で小さかった。
 ふうー、ふうー、と荒い息が漏れる。
 経験は無い。だが、どうしたらいいかは、聞き知っている。
 だがその前に、どこかの血管が切れそうだった。全神経が、愛しい女の中心に向いている。
 そっと指を濡らして、触れるか触れないかのやさしさを繰り返す。鳴き声。甘い。少し濡れている。声も、中心も。

「あ、いぜ、もうきて」

 ゆるしを得て、そこにじりじりと入っていけば、アイゼンの全ては、ビシシアンに包まれた。こんなに小さな体で、抱き締めてくれるようだった。
 もう、一人で、再び来る嵐に怯えなくてもいい。

「ビーシャ。ビーシャ、ありがとう」

 感極まって、思わずそのまま果ててしまった。
 それでも満たされた。愛しさを全て込めて、口付ける。
 不思議だ。アイゼンはビシシアンの中にいるのに、こうして口付けをして、ビシシアンを抱き締められる。互いに互いを抱き締めて、誰よりも近い。

「アイゼン……、アイゼン待って。なんだか」
「うん。もう少し、味わわせて」

 少しも動くことなく果てても、問題ない。ビシシアンはそんなことでアイゼンを嫌ったりはしないし、何しろ、恐ろしいほど衰えを感じない。
 明日は、休息日だ。
 侯爵に怒られる覚悟も、できている。
 花だけが、まだ自分の誘った蜜蜂の凶悪さに気がついていなかった。

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