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王都20

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 空気を読むセウスの気遣いとは裏腹に、入室を求める声がして、二人の気の置けない会話は中断となった。
 壮年の神官が首座に近づき、囁きとともにひと束の朱紐を手渡した。神殿に伝わるという、記録のための編み紐だろう。編み方と本数などの組み合わせにより、複雑な文字情報も伝えることができるという。
 暗闇でも情報を得ることができるため重宝されていると聞くが、セウスの目には、絡まった紐でしかない。
 紐をたぐった首座の眼差しが、冷淡な色のまま、慈悲深く細められた。

「リガチェの弟子は、残る全員を拘束いたしました。九人おります。そちらで事情聴取が必要でしょうか?」

 この作戦及び調査には、セーヴィル辺境伯家、サリンガー侯爵家だけでなく、王家も関わっている。箱庭を狙っての襲撃被害を受けた貴族家も、また協力した貴族家もいる。不干渉の慣いから、神官を国の法で裁くことはしないが、少なくともどこかの貴族家が主導して、神殿の外で聞き取り調査をしておかなければなるまい。

「そうだな。聞き取りの間だけでもいい、身柄の引き渡しは可能か?」
「……あなたにであれば、お引き渡ししましょう。破門しない限りは神官であり、その身柄を保護する責任がありますので、現時点では他の貴族家には引き渡せません」
「神殿が裁けば、彼らは破門になるのか?」

 獅子は、穏やかな顔で足を組み替えながら、ほんのわずか、思案したようだった。

「異端教義の信仰、神官相手の布教、正しき神官による奉仕の場であるべき小神殿の名を借りて、異端の教義を無知無垢の民に対して騙し説いたこと。そして民を教唆し、窃盗の罪、強盗の罪、傷害の罪を犯さしめたこと
 ――全員破門、あるいは生涯洞穴篭りが妥当」

 朱紐を持ち来た神官が、押し殺したものの、大きく息を呑んだ。青ざめたその様子は、今彼が耳にした罰が、相当に恐ろしいものなのだと示すようだった。
 首座はそちらをチラリと見たが、気にはとめなかったようだ。

「生涯洞穴篭りとなれば、生涯穴蔵より出ること能わず。これは修行ではなく、生まれ直しの儀式とされております。
 破門となれば、その時点で神官の身分を失いますので、その後はあなた方の法にお任せいたします」

 主君が静かに肯定する。

「異端の教義を知らぬままに説かれた人々についても。
 神殿で把握できる情報を全て提供いたしますし、被害者には、神殿への信頼を裏切ってしまったことへの謝罪と、望まれる場合は改めて涵養の機会を作ることをお約束いたしますが。
 たとえ小神殿で学んだとしても、市井の人間は神殿の人間ではない。見習いも然り。彼らのうち、罪を犯した者への対応は、そちらでお願いいたします」

 これにもまた、是、と主君が答えるのを受けて、首座は再び紐を手繰った。
 その手がふと止まり、獅子が午睡から覚めて周りを見渡すように、ぱちぱちと瞬きをした。
 視線で呼ばれた神官が、何事か耳打ちをされて、強張った表情で出ていった。

「……さて、ノキ。彼に師はない。所属は東地区の小神殿。私の記憶にある限り、その小神殿には、これまで唯一神派と疑われた者はいない。その小神殿から、一昨日には、西南小神殿に身を寄せていたという」

 手伝いか何かのために派遣され、たまたま今夜、リガチェに帯同されたのだろうか。だが、あの箱庭に対する異様な反応をみるに、唯一神派と無関係だとは思えない。
 ふむ、と首座が、紐を弄り。やがて、大きな笑みを浮かべて主君を見た。

「わかったように思う。
 リガチェには、兄弟弟子がいる。ネグルという。修行も極め、人望も厚く。少なくともこの二十年、彼が唯一神派に関与した報告はない。
 リガチェには、神殿に立ち入ることを禁じてある。小神殿の若い神官は、気軽に神殿に上がることはできない。このところ貴族家からも拒否されていた彼らには、直近の神殿の情報は入らなかった。
 リガチェは小神殿に引き篭もっており、客も滅多に来ない。そのリガチェが、三日前、二十年ぶりにネグルと会った。東地区、ノキの所属する小神殿にて」

 今や獅子は完全に起き上がって、剥き出しにした牙をべろりと舐めたようだった。

「ネグルに会った日の夜、リガチェは、小神殿から神官見習い二人を追い出した。
 その翌日、ノキが西南小神殿に身を寄せたことになる。
 そして翌々日、つまり今夜、リガチェはノキを伴いアンダート伯爵家の催しに参加した。神官への疑念を払拭するためだという」

 ネグルという神官と会う前後で、リガチェの行動が大きく変わったということだ。
 緑の使途について、そして神官が疑われているようだという情報がーーもしかすると、次に取るべき行動の指示までもーーネグルからリガチェへともたらされたのだと考えれば、辻褄が合う。
 再び扉の外から呼びかけがあり、先程の神官とは別の、痩身の神官が入ってきた。
 首座は、今度は特に言葉遣いを改めることもなく、離れたまま、短く命じた。

「ネグル神官と、その関係者をすべて捕らえよ。……念のため、ネグルとの関係を問わず、東地区の花通り小神殿の神官も、全員だ」

 声もなく、動揺もなく、微かな会釈を残して、扉が閉まる。
 あれはおそらく、首座の子飼いの密偵、いや、神官兵、だろう。体の動かし方が、手練れのものだ。
 首座は紐を膝に置くと、太い指でトントンと椅子の手すりを叩いた。そしてまるでその音に揺られるかのように、そっと目を伏せ、微かに頭を前後に動かした。

「私の記憶にある彼の最大の罪は、過去に沸き起こった、神が神たる前には人であったと唱える一派が記録された神殿の歴史書を、すべて、灰にしたこと。。ーーネグルは、誰も知る者はいないと思っているかもしれないが。
 その説が異端中の異端であったことは確かだが、歴史を抹消するのは許されない。ましてそれは、第三者による客観的な記録だった」

 記憶をたぐっていたかのような指を止め、首座はひとつ、緩やかな息をついた。

「彼は唯一神の一派には与しないと思っていた。だがその実、一人誰よりも激しい理想を持ち、自分に従順な弟子達だけに、その思想を明かしていたのか
 ーーネグルは、多くの弟子を持ち、弟子以外にもネグルを慕う者は多い。東の小神殿にも、ネグルの弟子とされた者はなかったはず。これは、想定の中でも一番の大仕事になりそうだ」





 神殿内には、鏡や専用地下水路を使った連絡手段が備えられていることは、糸から知らされている。王都内といえど広い。各地区に散らばった小神殿に可及的速やかに伝達をするために、古くから改良されながら伝わる独自の方法があるという。
 さらには、今夜に備えて、初めから各地区に兵力を置いておいたに違いなかった。
 ネグルら一派を拘束したとの報告が入るまで、わずか三十分。
 だが、静かに報告に戻った痩身の神官の言を受け、首座が息を吸って天を仰いだ。

 ネグル本人と弟子の29人は拘束したが、残りは既に王都を脱しているという報せだった。めいめい、修行のため国の各地に旅立つと申請したと、神殿の記録にあったという。
 その始まりの時期は、ミリアンネの輿入れの日だ。

「クラーク殿、謝らなければなりません。これは私の不明」
「もうひとつ、よろしいでしょうか」

 神官が口を開く。木か岩が口を聞いたような、囁くような声だ。

「東の花通り小神殿は、空でした。小神殿長を始め、神官10人、誰一人おりません。こちらも、ネグル神官の名で、各僻地の小神殿にて奉仕活動のため王都を出る許可が降りていたよし。三日前のことです」

 その時、扉越しに慌ただしい気配がした。

「失礼いたします。拘束した神官をひとり、神官兵の付添にて、入室させます」

 それは、武装した人間を室内に入れる際の、クラーク達への配慮だろう。神官が静かに扉を開けに向かい、そして二人だけを室内へと引き入れた。
 神官兵を誇示する緋色の大布を体に巻きつけた巨漢と、手首を金属環で拘束された神官が入ってくる。その足が止まるのを待たずに、首座が優しげに問いかけた。

「ネグルの導き子、サンテでしたね。そなたの理を明らかに示す機会を与えましょう。ネグルの信心は神殿のものであれば誰もが知るところ。では、そのネグルの進む道には、当然、公正なる理があるのでしょう。
 今夜、精霊が宿るという箱庭を破壊した神官が、ネグルの導きによる行為だと主張するために、このように強硬な手段を取ることになってしまいました。これは、いかなることか。そなたなら、我らの理解の手助けをしてくれるのではないですか?
 まだ今なら、大ごとにせずに済むでしょう」

 親が子供を、師が弟子を、愛しみ導くような声だった。
 神官達にとって、首座ははるか高みの存在であり、至高である。
 その首座からこう問いかけられて、怯えた顔をしていた神官の目から、涙が盛り上がって床に落ちた。

「ネグル師は、箱庭の破壊など、お考えではありません。その神官がネグル師の弟子だなどと。紛い物か、勘違い者に違いありません。なんという厚かましさ、浅ましさ。かの箱庭を、自らの手で壊すなど。箱庭を作るのも魔の技であれば、人の手で破壊するのもまた魔の技。
 首座様、精霊は神の一部なのです。もちろん首座様はおわかりの上のことでしょう。
 ネグル師も、起こってしまったことは仕方ないとおっしゃいます。神は慈悲深く、たとえ力を奪われ封じられても罰を与えることもない、と。
 けれど欠片とはいえ神を箱庭に封じるなど、異端も異端、おそるべき冒涜であります。魔女の仕業と言うのももっともではないですか!
 慈悲深く許すばかりでは、世の道理が通りません。
 正さねばなりません。神は、神の元に返すべきなのです」
「返す?」

 瞬きもせずに言い募る神官に、柔らかく穏やかに、首座は問うた。

「はい。一度人の手で封じたものを人の手で壊しても、神は返せないでしょう。けれど、事故であれ運命であれ、人の手以外で解放されるなら、神は必ず、神の元へと帰るはず」
「そう、ネグルは考えていたのですね」

 萎れるように、神官が小さくなった。溜めていた瞬きを繰り返し、不思議そうに眉を上下に動かした。

「い、いえ。……ネグル師は、我らにはっきりとそうおっしゃったことはありません。ただ、思案に沈んでおられる時など、ふと呟いておられました。ですので我々は」
「なるほど、リガチェ同様の典型的な人心操作と、自分勝手な解釈からの暴走ですね。そこに、正しい信心はないようだ。修行も中途の半端な身で、神をどうこうできると考えるなど、とんだ不遜な愚か者よ」

 はっと、神官が口を噤んだが、首座は手を振って、下がらせた。
 同時に、協力感謝する、と一言残して、クラークが立ち上がった。

「クラーク殿、ネグルに会いますか?」
「不要だ」
「承知。あなたなら、ひと駆け、一昼夜ほどだろうか? 我らはそうはいかない。数日の遅れはお許しあれ」

 お気をつけて。

 首座の見送りに、主君の殺気立った気配に気を取られたセウスは、その真意に気づくこともなく、一礼だけ丁寧に返すと、慌ただしく後を追ったのだった。
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