箱庭と精霊の欠片 すくうひと

日室千種・ちぐ

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王都16

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「では、緑の使徒というのはどうお考えですか?」
「緑の使徒?」
「それも、知らなくていいことでしょうか……? 最近、貴族の間でもちきりの噂のようですよ。西南地区で、箱庭の作り手を『神の欠片を略取する魔女』だと訴えた、不審な集団だとか。居合わせた警備隊に向けて仲間を突き飛ばして逃げたとか、辺境伯を田舎者で魔女に誑かされる愚か者だとこき下ろし、サリンガー侯爵家とセーヴィル辺境伯家が激怒しているようです」
「は、いえ、そんな。私の地区でそのような騒ぎが?」

 何者だ、そんな馬鹿は。
 貴族は確かな権力を持っている。神殿にとってもそうだ。王家よりは寄付をしたり受け付けたりと、貴族と神殿との関係はやや近い、だが馴れ合うことは決してない。
 密かに異なる教義を信じるとはいえ、外向きには当然我々も神殿の人間だ。貴族家そのものとの対立は避けつつの箱庭への対応として、噂を広げるという手段を取ったのだ。
 噂であれば、誰の口から出たものか証拠は何も残らない。どれほどの大貴族であろうが、噂を罪には問えないのだ。
 だが、その噂が意図的に神殿が流したものだとは、何を犠牲にしても隠し通さねばならない。明らかになれば、対立を生む。対立すれば、権力武力を持つ貴族家には勝つことはできない。何より恐ろしいのは、神殿という組織そのものが、誰かを切り捨てて対立を避けることだ。そう、かつてリガチェが、切り捨てられたように。
 神殿がそうなのだ。たとえ有力な商家や組合長などであれ、爵位もない者であれば、なおさらのはず。箱庭が許し難いといえ、箱庭を狙って貴族家に忍び込むなど、頭のネジが外れていると思うし、面と向かって侮辱するのは、それにまさる命知らずで愚かな行為だ。
 しかも、

「魔女だなどと……」

 呆れ気味に他人事として失笑したリガチェは、「魔女」という単語に、ズキンと頭の端が殴られたように痛んだ気がした。
 魔女、その単語を、誰か弟子が、ふざけて言っていなかっただろうか。神の力をむしりとるなんて、まるで魔女だ、と。さすがに「魔女」など、くだらなく古臭い民間の昔語りの中にしかない。今どき子供ですら信じることはないと、その弟子も、恥ずかしそうに冗談だ口が滑ったと話していたはずだ。
 口の中が、一瞬で乾いた。

「特に侯爵家の怒りは大きく、所構わず、「魔女」呼ばわりした者を探しているとか。怪しまれた商家が二、三軒、取引を一斉に停止されて廃業して一家離散になったとか。
 ……それがかえって、自分たちの醜聞を広めるだけだと、わからないものか、呆れますが」
「そ、それで、誰がその緑の使徒か、わかったのでしょうか」
「いえ、まだのようです。昨夜、そこまでの話を神殿で聞いたところなのですから」
「し、神殿で?」

 なぜ、西南地区の騒ぎが、西南地区の小神殿で耳に入らず、神殿で知られているのか。
 嫌な予感がした。

「首座様が、昨夜の会合で憂えていらっしゃいました」
「……首座様が?」
「ええ。あの方は箱庭を気に入っておられるので、心配されていたようです。これを機に、箱庭を全て神殿へ寄贈させるよう提言したのですが。
 あと、関連が不明ながら、このところ急に、これまでとてもよい関係を築いていた貴族や有力者の家から、神官たちが拒絶されるようになったという話も出ました。
 リガチェ、今日、あなたの弟子から、私との面会場所の確保ができなかった、と聞きましたが。初めてのことですよね? 関係があるでしょうか?」

 ズキン、ズキン、と痛みが酷くなる。
 だが、リガチェは微笑んだ。わけのわからないまま、ここで手の内を晒してはまずいという、保身の勘が働いた。

「おっしゃる通り、いつもにはないことでした。都合がつかないと言われただけですので、拒絶というものではありませんが。しかし、あちこちでそれでは、皆さん戸惑いますね」

 ネグルは少し空中を見て、それから、同志リガチェ、と静かな声を出した。

「今は、真実がどうであれ、疑われては危険です。
 もし、緑の使徒に心当たりがあれば、今すぐ縁を切ってください。多少の有力者であっても、気にすることはありません。彼らの判断で行ったことだと、言い切れるようにしてください。
 もう一つ、首座様が、西南地区の貴族家のパーティーを気にされていました。アーダントン伯爵家で行われるもので、箱庭を展示するそうですよ。……神に対して唾棄すべき行為ですが、ここに、貴方が参加してください。どなたか、付き合いのある家の者に連れて行って貰えばいいでしょう。拒絶されていないならできますよね。もし難しそうなら、言ってください。手助けしましょう。
 参加することで、神殿には箱庭に対して他意がないと示せるでしょう。……それに、貴方は箱庭を見たことがないという。一度、哀れにも閉じ込められた神の力を見てみるとよい」





 リガチェがよろよろと去った小神殿で、ネグルは束の間、放心した。
 小神殿の長が、そっと茶を出してくれる。僅かに指を動かして示せば、彼は静かに対面に座った。

「なんというか、言説を労するのは巧みなようですが、いささか信頼はし難い方ですね」
「リガチェ神官ですか?」
「はい。罰を受ける身でありながら、自分ではなく誰かの罪であると、なすりつける物言いでした」
「……そうですか」

 耳元で、立て続けに大きな音がした気がした。意図せず目を見開き、口元を押さえつけていたようだ。何度か呼びかけられて、なんとか体を立て直す。

「どうされました。大丈夫ですか?」
「少し目眩がしただけです。問題ありません。それと、リガチェ神官は、間違ってはいませんよ。罰を受けたから罪があり、罰を受けないから罪がないのではありません。たまたま罰を受けなかっただけ、紙一重の者だって、いるのです。彼は、間違ってはいない」
「……そうですか。言葉がすぎました。お許しください。
 それでは、伯爵家に行かせるのは彼一人で、大丈夫でしょうか?」

 すぐには返事ができない。
 ネグルにとって、リガチェは貴重な兄弟弟子だ。初めて会った時、神殿の中しか知らない自分に、ちっさいのに偉いなあ、と笑って、手土産だと赤い飴をくれたのを覚えている。わりと高級なお菓子だったようで、使いに出る市場などでは見たことはなかったし、あっても買うことはなかっただろう。小遣いもなかったが、興味もなかった。その後も、特に求めようとは思わなかったが。
 飴は、舌が焼けるかと思うほど甘かった。
 あの屈託のない笑顔は、あれから一度も見たことがない。

「リガチェ神官は、昔から純粋なところがありますからね。ひとり、頼りになる若い神官を送ってください。小神殿で問題がありそうなら、それも報告させて」
「はい、かしこまりました」

 この小神殿の長は、ネグルの直弟子だ。出家は遅かったため、リガチェとは入れ違いに側に置くようになったため、互いに面識はないはずだ。
 リガチェと同じく外から来たものなのに、あのような不安定さはない。彼が選ぶ神官であれば、任せてよいだろう。
 となれば、頭を占めるのは別のことだ。

「首座様に、箱庭を神殿で回収することを提案したけれど、やはり認めてはもらえませんでした」
「なんと。真の価値をわからぬまま抱え込む貴族も愚かですが、首座様も…」
「黙りなさい。首座様は、別格です」
「はい、申し訳ありません」

 謝罪しつつも、納得していないことはよくわかる。ネグルはため息をついた。

「辺境へ向かった者たちからは、何か連絡はありましたか?」
「はい、先方で協力者を得たと。地方の神官は、教典にも染まっておらず、柔軟に我らの教えを受け入れるものも多いようです。それぞれがとても意欲的に、箱庭の価値を貶めようと動いていると」
「箱庭を、無傷で、できれば穏便に手に入れるのが優先ですよ。その場で破壊など、とんでもない」
「承知しております。必ず、ネグル様の前に無傷で並べられるようにと、そしてネグル様が神の力を解放させるのを見たいと、そう一致団結しております」

 侯爵家にどれだけの数の箱庭があったのかは、わかっていない。だが、王都で貴族相手に埒のあかないやりとりをいくらしても、多くの貴族は箱庭を手放さないだろう。引き続き、神殿に引き取れるよう努力は続ける。
 だがまずは、ある程度数がまとまっているはずの、作り手の手元にある箱庭をどうにかしたい。
 その大半が、嫁入りとともに辺境伯領へと移動したのであれば。

「私が辺境伯領へ行くのは、さすがに疑いを招くでしょう。かわりに、もうあと10人ほどを送り出せますか? 侯爵家自ら、魔女と触れ回ってくれているのです。それを利用して、もう少し辺境での箱庭の価値を下げてください。
 最終手段ですが、ーー箱庭に何かあっても、だれも問題視しないくらいに」

 手に持つカップの水面は、しずかに凪いでいる。
 それが不思議だった。内心は、これほどまでに沸き立つものがあるのに。
 ネグルは、見たことがある。
 たまたま、貴族家ゆかりの子供が神殿に入りたいと希望したというので、話を聞いてやって欲しいと乞われ、出向いた時。サロンで貴族の婦人たちが集まって、ガラスの器にああだこうだと玩具のような細かい細工物を入れたり出したり、いじり倒していた。目を引かれたのは、貫禄のある夫人が、ひとり年若い少女に、自分のガラス器を恐る恐る差し出したからだ。
 傲岸で有名な夫人が、若い娘のように恥ずかしげにしているのに、怖いもの見たさのように目が向いたのだが。
 その少女が、会話をしながら、ふと何かを摘んだふうに指を合わせて、ひょいとガラスの器に入れたのが目に入った。貴婦人たちは、「ふり」だと思っただろう。おまじないだと、少女が言っていた。
 だが、ネグルには、見えたのだ。

 半透明の、羽のような煙のような、白い細い指につままれた何か。けれどそれはすでに器の中には見当たらず。視線を巡らせれば、夫人の肩のあたりにひらりと動き。そしてそれが、滲むように消えたのだ。
 ひとひらの淡雪のように。それは確かに、夫人に吸い込まれるように消えた。

 その後、その夫人が、人が変わったように優しくなったともっぱらの噂となった。
 箱庭との関連は囁かれたことがないが、ネグルは、その噂を聞いて、あの時自分が神の力を見たと確信したのだ。
 神の力を、人が吸収できることも。
 確信の瞬間、胸が強く早く鳴り響き、息が荒くなり、手足が震え、頭が熱く重くぼんやりとして、鼻血を出した。
 ーーそれは、神殿の外を知らず、何かを求めることもなかったネグルが、四十を超えて初めて知った、渇望、だった。
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