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王都8

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「ごきげんよう、レディ・アリアルネ」

 その場にいた少年少女は、誰もがその名を知っていた。
 つい先ほどまで繰り広げられていた、箱庭に絡んだ子供の言い合いは、近頃の社交界の話題をまるごと映し出したようなもの。その渦中の箱庭師の生家はサリンガー侯爵家であり、そして彼女、アリアルネ・サリンガーはその義姉であり、宮中の女傑とも王妃の懐刀とも称される、サリンガー次期女侯爵だ。
 父であり現役の宰相であるサリンガー侯爵とともに、地盤は揺るぎなく、また王家への忠節も篤い。サリンガー家は今代、そして次代においても確実に、王宮でもっとも権勢を誇ることになる貴族家のひとつであろう。
 常に社交界での流行を先取りする様子から、精霊の箱庭についても、その圧倒的な人気を操っているのはこの女性だ、といささかの悪意とともに囁かれてもいる。
 いずれにせよ、気軽にこの距離で会える相手ではない。
 皆が、ごくりと息を飲んだ。
 中でも令嬢と少女とは、音が聞こえるかと思うほどの勢いで色を失い、わずかによろめいた。

「ええ、ごきげんよう、ターシャ」

 声が響いて、パラリと扇が開かれる音。
 少年少女達は見えない視線に押さえつけられたかのように、じっとうなだれて、アリアルネの顔すら伺うことができない。
 けれど。
 ひとたび、ぱちり、と扇が音を立てれば。弾かれたように、皆が揃ってそちらへ向かって頭を上げ、そして、垂れた。

「「ごきげんよう、レディ・アリアルネ」」

 見事な唱和に、ふふ、と可笑しそうな笑い声が返り、幾人かはほっと力を抜き、幾人かはさらに身を強張らせた。

「ごきげんよう、皆さん。上手なご挨拶ね。ついさきほどまで、噛み付き合っていた子達とそのお友達とは思えないわ。顔を見せてちょうだい」

 ひきつれた音を出したのは、少女だった。さすがに令嬢は自分を抑えたのだろうか、声は一切聞こえなかった。けれどふらりと少しよろめいたので、思わず、といった風に近くにいた少女がそれを支えた。いつの間にか、二人の周りを取り巻いていた者達は一人もおらず。
 優雅に立っているだけなのに堪え難い圧を感じる貴婦人の前に、二人だけが、取り残されていた。

「あら。仲がいいのね。さっきまでは、そうでもなかったようだったけれど?」
「……っ」
 とっさに反発しかけた少女の肘を、令嬢がぐっと抑えて、言葉を止めた。

「ふふ、ほらね、忠告してくれているじゃない。でもそうすると、あなた方はもしかして、共謀して箱庭師を貶めようとしたの?」

 これには令嬢がはっと口を開き、幾分か落ち着いたらしい少女に止められた。
 一度二人で視線を合わせ、ようやくそれぞれがきちんと立つと、再び、揃って丁寧な礼をとった。

「場をわきまえず、騒ぎを起こしましたこと、お詫び申し上げます。けれど、決して、共謀したなどと、まして、憧れの作り手とそのお家を貶すなど、思いもよらぬことでございます。……そもそも私たち、お互いの考え方の相違について、長らく抱えていた物がございまして。喧嘩してしまった、と申しますか」
「わ、私も、サリンガー侯爵家に物を申したつもりはございません。ただ……ただ、昨今の箱庭へのやんごとなき方々の傾倒は私からは、理解し難く……。その説明を求めたつもりが、つい喧嘩腰に……」

 二人、背中に少年少女の痛いほどの視線を感じるが、誰も、進み出て手助けをくれる者がいないだろうとわかっていた。感じるのは、隣り合う身の震えだけ。それが、例えようもなく暖かな縁に感じられた。
 それに、と令嬢は訝しんでいた。
 これまでサリンガー侯爵家は社交場でもやんわりと噂を否定していたと、母親からも聞いている。けれど貴族は噂を交わし合うことを社交の本質と捉えることも多い。頭ごなしに否定するのは、貴族として品がなく、かえって反発を受けるもの。『その点、やはりサリンガー家はわかっているのね』と言っていたのが印象深い。だからこそ令嬢は、サリンガー家が慎み深く否定している分、積極的に箱庭の魅力を語り尽くしていたのに。
 なぜ、今日はここまでの圧を感じるのか。おかしい、と思えば、言葉は干上がり、ただ重い体を必死で礼の形に留めた。
 貴婦人は、ゆったりと扇を口元に添え、二人に頭を上げるようにと告げた。

「そう、他愛ない喧嘩だったのね。微笑ましいこと。……ただ、未成年者だからといって、そのまま許しておけない事情もあるの。ーーたとえば。当家はもちろん作り手本人も、箱庭を『売った』ことは一度もない」

 え、と会場が戸惑う。今王侯貴族の中で、喉から手が出るほどに欲しいもの、といえば、精霊が宿るという、サリンガー侯爵家令嬢が手掛けた箱庭が、片手のうちに挙がるだろう。未成年とはいえ、家で社交場でと、耳にする機会の多い欲だ。
 更に言えば。
 少なくない者が、誰がどこから幾らで手に入れた、という話を聞いている。親たちがこそこそとしている噂話を小耳に挟んで。当然、売り物として、箱庭があるものだと思っていたのだ。

「自然なことよ。侯爵家としては当初から一貫して、専門の職人でもない当家の子女の手慰みの作品に値をつけて売るつもりはないもの。人気が出て、各方面から譲渡の依頼が寄せられるようになってからも、あの子自身の意志もあってそうしていたのよ。箱庭作りはあくまであの子の趣味であり、誰かのための贈り物として作るだけなのだから、と。
 ーーまあ、サロンや伝手で頼まれた時には、小さな作品を譲ることもあったようだけれど、特に金銭はいただいていないの。王家からも、箱庭を金銭でもって譲渡することは厳に控えるようにとお言葉があったこと、ご存知ではなくて?
 ……どこからか購ったというのであれば、それはお譲りした先のどなたかが売りに出したのでしょう。当家が売り渋って値を吊り上げている、なんて、どこから出た話なのか」

 コツ、と踵が床を踏む音すら、美しい。

「ーーあなた達だけに言うのだけど、当家では、箱庭作品をすべて記録しているの。そのものを見れば、それがいつごろの作品で誰にお譲りしたものか、すぐにわかる。
 だから皆さん、箱庭を対価を払って手に入れた方が身近にいらしたら、気をつけるように伝えて。おおっぴらに見せびらかせば、すぐに出処がわかるのよ、とね。下手をすれば、我が家からの贈り物を売りさばいたお家は恥を晒し、買ったお家も思いがけず後ろ指を指されるでしょうね」

 くすくすとホールでひとり、笑う。

「ああでも。かといって、人目から隠してしまうと、疚しい手段で手に入れたと言わんばかり。箱庭を譲った先のお家の中には、近頃盗難にあったと届け出ているところもあるのだから。盗品の売買疑いとなると、犯罪行為となるわね」

 少年少女は、息すら潜めて、真剣に聞いていた。顔色が悪い者もいる。身を寄せ合って、相談するように支え合う者もいる。
 少女はそれを居心地悪く見ていたが、それでも、やおら決然として貴婦人に向き直った。

「レディ、御家は箱庭を売ってはいらっしゃらないのかもしれませんが、箱庭の評判は御家の名声を上げる役には立っていると思います。その箱庭に、精霊なんてものが宿っていると謳うことで、この異様な状況を作り出してしまったと思われませんか? 結果的に自らの利になる作り話をされていながら、振り回される人たちだけを責めるのは、おかしくはないでしょうか。神殿だって——」
「定義をしてちょうだい」
「え?」
「定義をしてちょうだい」
「え……何を、でしょう」
「貴方の話に出てくる、いろんな登場人物を。そうね、紹介してちょうだい。お話には必須でしょう?」

 バカにされているのか、と少女の頬が赤くなった。けれど、答えないわけにはいかない。ひどい扱いだ、と少女は泣きたくなった。

「御家は、サリンガー侯爵家です。振り回される人たちは、箱庭を欲する方たちです。神殿は、神殿も、ですか?」

 なげやりに言えば、貴婦人は艶やかな金の髪に囲まれた白い顔を、困ったように少し傾けた。麗しい美貌なのに、ひやりとした。
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