箱庭と精霊の欠片 すくうひと

日室千種・ちぐ

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王都2

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 ミリアンネ・サリンガー。サリンガー侯爵家次女。
 昨年の成人よりかなり以前に、趣味だという箱庭作りの才を発揮し、有力貴族間でその箱庭が驚くほど人気なのだとか。
 普通の箱庭ではない。サリンガー侯爵家の特産であるガラスの器に、緻密で精巧な小さな世界を再現した、芸術品としても優れた品でありながら、精霊が住む箱庭、あるいは幸せを呼ぶ箱庭、でもあるのだそうだ。誰が言い始めたのかわからない。だが、箱庭から歌が聞こえたり、箱庭のおかげで夫婦が円満になったりと、不思議なことがあると囁かれ、それが貴族の箱庭愛を加熱させた。
 本来、高位の貴族令嬢の趣味の工作物を一般の売り物のように扱うはずはないので、もちろん、おいそれと手に入るものではない。譲る譲らないで社交界でも牽制のし合いや諍いが絶えず、幾人かの不心得者が裏で高額で取引をして槍玉に上がり、また紛い物も出回って大騒ぎとなったという。
 その時点で、作り手であるミリアンネの身を案じ、非常に異例のことながら、王太子夫妻殿下自ら公にお言葉を発したそうだ。今後ミリアンネ・サリンガーによる箱庭制作は彼女の自由意志においてのみ許し、また何人たりと制作を命じることはできない、と。また、精霊の存在を作り手も侯爵家も確認したことはなく、その真偽に言及することはないと、王家に誓ったのだと。
 サリンガー侯爵およびアリアルネ・サリンガー次期女侯爵は王宮での重鎮であり、王家とも親しいことから、無理強いなどがあれば即刻明らかになってしまうだろう。
 王家はそうして、ミリアンネの作り手としての自由と尊厳を保証した。

 だが、光が強ければ、影もまた濃くなるということか。
 はじめは、精霊という作り話で箱庭の価値を不当に釣り上げているのではないか、というサリンガー侯爵家への中傷めいた噂が流れたという。
 侯爵家が、箱庭を贈り物として以外に他家へ譲ったことがないことは、高位の貴族や大きな商家ではよく知られていたために、あからさまな中傷として広まることはなかった。けれど下位の貴族や商家の間ではこの噂は根強く、沼の底から沸き立つ泡のように、幾たびも繰り返し囁かれていたようだ。
 サリンガー家としてはその度に噂を打ち消す徹底した対策をしたが、もともとやっかみまじりの噂は他にも挙げればキリがない。ミリアンネ自身の安全を脅かさないことをのみ、重視していたのが事実らしい。まして、サリンガー家自体への打撃など、そよ風に吹かれた程度だったのだ。

 ところが。
 箱庭の作り手であるミリアンネの婚姻が決まったころから、噂に変化があったという。

『箱庭の作り手がサリンガー侯爵家を離れる。辺境の地から南の大国へと、箱庭を交易に乗せ、次は辺境伯家が富を独占するだろう。ーーまたも同じ様な、詐欺めいた手口で』

 他人の幸せが憎くて仕方のない輩の囁く、変わり映えのない声に、今回初めて、そっと紛れてきたのは。

『神が認めていない精霊という嘘偽りの存在を主張することは、神への冒涜である』
『精霊の真実は、神の欠片ではないか。神から掠め取った力を箱庭に閉じ込めるのもまた、冒涜である』

 唐突に、神という名で飾り立てた理不尽な非難が振りかざされ。そして事実、暴力として奮われたという。
 ゆえに、クラークは呼び出されて、今ここにいるのだ。

「冒涜だ、などという噂に気がついたのは、貴方方の婚姻が発表されてからしばらく経ったころ。そして五日前、王都のミケナイ伯爵邸に深夜押し入った賊は、かの家で保管されていたミリアンネの箱庭を、その場で破壊しました。……こんなことは、初めてです。箱庭やそれがもたらす益を欲したのではなく、箱庭の存在自体を許し難いとする者たちがーー急に、現れた、というような」

 玲瓏たる美貌を俯かせて、サリンガー次期女侯爵が言葉の合間に思わずというようにため息をついた。妹を心配しているのだろう。姉妹の仲はよいと聞く。
 けれどセウスは、ひええ、と別の意味で気が遠くなった。
 箱庭に公に値は付けられない。サリンガー家は箱庭を売りに出すことはなく、王家が箱庭の金銭を介した譲渡を禁止したからである。けれど、贈られた箱庭への返礼として、郊外の別荘と土地をミリアンネに譲ろうとしたが断られた、と笑えない冗談を王弟が夜会で吹聴したこともあるそうだ。……おそらく事実ではないか。
 それほどに価値があるとされている箱庭を、もったいない。

「報せを受けてすぐさま、王太子殿かとご相談し、伝令をお送りしたのですが。
 その夜だけで、二件、襲撃があったと報告があり。どちらも、箱庭を破壊したあとは屋敷からいくらかの品を持ち去ったそうです。何人か負傷者もいるようですので、何某か攻防があり、犯人の目撃もあるはずですが。ミケナイ伯爵以外の家には協力を渋られて、表向きそれ以上の聞き取りはできていません。
 ……実はそちらの家には、サリンガー家から箱庭をお贈りしたことはないので、箱庭はこっそりとどなたかから贖ったものであるはずです。だから当家と関わるのが気まずいのでしょう。当家では、実は把握はしているのですけれど」

 その後、五日の間にさらに二件、未遂も含めれば八件の襲撃があったという。

「ミケナイ伯爵家をはじめ、どの家も口を噤んでいたはずですが、初めの襲撃の翌日には、貴族間だけではなく街ですら噂になっていたようです。犯人たちは犯行を吹聴したかったし、機に乗じた犯行を周りにも呼びかけたのやも、と思っています」

 クラークはしばらく宙を見据え、やがて薄い唇を開いた。

「そこまで攻撃的な行動がすでに起こっているのであれば、ミリアンネの身の安全のためにも、これまでの貴家の方針を変え、根本的な対応が必要と考えます。サリンガー家としては異存ないでしょうか」

 サリンガー侯爵が、無論異存はない、と頷く。にこりともしない主君は、通常運転なので、代わりにセウスは完璧な薄い微笑みを保った。

「では、噂の元についての情報収集は、引き続きお願いしたい。
 我々は、直接相手を叩き、これ以上の増長を防ぐことを優先します。王都の地図上に、これまでのすべての襲撃の場所と時間を示してください。箱庭を保持している家も、公式非公式関わらず、わかるだけ全てを示していただきたい」
「何をするのだ」
「次の襲撃を情報から予測しつつ、虱潰しに賊を捕らえます」
「王宮から兵を融通しよう」
「いえ、当座は連れてきた者たちだけの方が身軽です。殿下、王都の警備兵の巡回計画も回してください。情報が漏れると犯行自体を見合わせる可能性がありますので、しばらくは警備兵にも秘密裏に動きます」
「王都の警備兵にもか。……うむ、頼む。私からしても、ミリアンネ嬢は妹のようなものだ。王太子の名の下に存分に動いてほしい」

 クラークが胸に手を当てて、斜めに腰を折った。
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