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王都1

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 セーヴィル辺境伯の領地は南の大国と接し、三十年ほど前までは日常的な国境侵犯に対して国防をほぼ一手に担っていたのが、両国間に巨大な緩衝地帯を定めたことで、今はその荒れた地から流れてくる獰猛な獣の討伐に注力しつつ、大国との交易の拠点となり、戦で疲弊した領地を癒し、さらに豊かになりつつある土地である。
 緩衝地帯を定めることとなった経緯は部外秘とされ、一般の貴族以下国民にとって事情は定かではないが、単なる制度上の取り決めではなく、両国とも、その荒涼とした土地に頼りなく描かれた細い街道以外踏み込むことはなく、休戦は一度も脅かされたことはない。その土地は、呪われでもしたかのように、延々と魔物のような獣を生み出す土地だ。けれどセーヴィル辺境伯の領民は、その土地を祝福の地と呼ぶ。その話は、またいずれ。
 休戦協定を守る存在とも言える荒地の獣は皆、通常の生き物の倍ほどの体躯と膂力を持ち、性質は凶暴で狡猾、そして貪欲で執念深い。それらと戦う日々を送る辺境伯家の戦士たちは、王宮の兵士たちを差し置いて、国随一の強さを誇ると、王家も認めていた。

 その屈強の戦士たちが、王都の門が見えた途端に安堵の大きな息をつき、無事にここまでたどり着いたことを天に感謝した。
 辺境伯の若き当主、クラーク・セーヴィルに側で仕えるセウスも、心持ち気を緩めて主君を見た。汗と土埃でベトついた髪が額や首に纏わり付くのを、もうすぐ清められると思うと心が浮き立つ。だが、クラークの表情を見れば、その時間ももう少し先だと悟ってしまった。

「皆は屋敷で休め。俺はこのまま、王城だ」
「承知」

 主君がそう言えば、そうなのだ。ただし、そうなると別の意味で身を清める必要が出てくる。

「我々だけであれば、伝令門が使えるはずです。そちらで汗を流すことくらいはできるでしょう。その間に、着替えを手配します」
「ああ」

 以心伝心の主従の最低限の確認に、無礼寸前の不機嫌そうな声が横入りしてきた。

「もう夜遅いですよ、王太子殿下もお休みじゃないですかね」

 この苛酷極まりない道中を命じる伝令を持ってきた男だ。名前は確か、ゼアだかモアだか。
 クラークは返事をせずにただ馬を進ませる。仕方なく、セウスは親切に回答してやった。これでも、この男は主君の新妻の実家の騎士なのだ。

「王太子殿下から辺境伯への緊急の呼び出しだ。いついかなる時でも、馳せ参じた時にはお時間をとってもらえる」

 厳密に言えば、辺境伯としての案件ではないかもしれないが。日に夜を継いで駆けてきたクラークのこの急ぎ様を見れば、一晩休んでから王宮へ参られては、とは、セウスには言えない。

「はあ、まあ一晩早く会えたところで、とは思いますが。じゃあ、俺はサリンガー家に戻りますね」

 その呑気な発言に、セウスは呆れるばかりだ。

「それは勝手だが、貴殿、サリンガー侯爵にご報告しなくていいのか?」
「しますよ、そりゃ。まあ、今回はアリアルネお嬢さんに、ですが」
「……多分、サリンガー侯爵家の方々も王城に詰めておられる。我々のおよその到着時期は見込まれているはずゆえ」
「え、この夜中に? 本当ですか?」

 面倒そうに答えられて、セウスは馬鹿馬鹿しくなった。

「貴殿は、本当にきちんとした騎士か? 伝令の重要性も把握していないとは。侯爵家の騎士としては、ありえない適当さではないか?」
「ああ、そうですねえ、真面目な奴らからミリアンネお嬢さんの護衛に選ばれていったんで、俺は居残り組になったんでしょうね。正直やる気はなくしたし、遠出も面倒だったんですが、伝令に行けばミリアンネお嬢さんに会えると思って受けたのに、会えないし……。個人的には無駄足で、げっそりですねえ」

 こちらがげっそりだ、とセウスは相互理解を諦めた。勝手にしてくれ、と言い放つと、離れてしまったクラークに追いつくべく馬を煽った。





  王城は寝静まっていたが、伝令門では馬番と侍従たちが待ち構えており、クラークもセウスも1分の無駄なくざっと身支度を整えることができた。そのまま、伝令専用の通路を通って王宮に入り、人払いのされた廊下を通り、王太子殿下に拝謁できたのは、数分後。
 この手配がすべて一人の女性のためになされていると考えると、うちの主君はなんてお方をお嫁にもらったのだろうと、気が遠くなる思いだ。

「セーヴィル辺境伯様です」

 侍従が扉を開け、主君が部屋に入る。それを見送って廊下で待機するつもりだったが、お前も来いと言われ、内心気後れを感じながら、王太子殿下の待つ部屋へと足を踏み入れた。

「ご苦労、クラーク」
「いえ、妻のことなれば」

 室内で待ち構えていたのは、セウスが初めて顔を見る人間ばかりにもかかわらず、その素性はすぐに知れた。
 一人がけのソファに座る王太子殿下は、クラークより5歳ほど年嵩だが、王家特有の美貌はいまだ若々しい。その右手側の大きなソファには二人の貴婦人が腰掛けていたが、王太子に近い側が嫋やかな印象の王太子妃殿下、その隣に座る華やかな貴婦人が、おそらくはアリアルネ・サリンガー。そして、その向かい側のソファの壮年の男が、サリンガー侯爵であろう。
 クラークがミリアンネに求婚した際には、男親として涙を滲ませていたと、その時同行していた同僚が恐々噂していたが、でまかせに違いない。王宮で最も力を持つ貴族にふさわしい品位と風格を備えた、堂々たる様子だ。
 アリアルネ以外は皆、クラークより爵位は上だが、皆が立ち上がってクラークを出迎えた。特に王太子は自ら手を差し伸べながら歩み寄り遠路の旅を労ったのに、セウスは内心、驚くやら誇らしいやらだった。
 だがクラーク自身はそっけないほどに短く挨拶をすると、それで、と促した。

 四人は顔を見合わせると、サリンガー侯爵が、王太子夫妻に着席を促し、そしておもむろに、深く頭を下げた。

「クラーク殿、このたびのこと、申し訳ない。婚姻後とはいえ、貴殿の手をここまで煩わせることになろうとは。事態は数年前から始まっていた。これまで決して静観していたわけではないが、有効な対策も取れず打つ手全てが無駄となり状況が悪化することを許したまま、貴殿をも巻き込むこととなったことは、私の力不足だ」
「謝っていただく必要はありません、お義父上。ここまで切羽詰まった事態になった切っ掛けは、ミリアンネが我が領へ輿入れしたことだと聞いております。それを切に望んだのは私であり……さらには、何事も、悪事を為す本人に非があります」
「む、そう言っていただけると」

 サリンガー侯爵が、やや疲れたように座り込む。
 クラークは、冷たくも見える青い目を、もう一人、立ち尽くす女性に向けた。

「義姉上も、どうぞ」

 そっけな! セウスは心で突っ込みつつ、これがクラークの通常運転だとわかっていた。
 むしろ、「妻のことだから」労を厭わない、と言い切ったのを思い出す方が、尻が痒くなりそうで落ち着かない。
 王太子に向かい合う一人がけソファに座ったクラークの背後に立ちながら、ぶるぶると余計な思考を振り落とし、セウスはよいせと頭の中に紙とペンを用意した。同席したのであれば、可能な限り情報を把握したい。
 呼び出し状は見せてもらった。ミリアンネについての大まかな情報も、覚えている。
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