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記憶のカケラ 6
しおりを挟む「ジェイ、アメリはどこにいるのかしら」
思いつくあらゆるところを見て回って、途方にくれ、ちょうど見かけた年上の従兄弟に問う。
「ああ、アメリか。さあ……いや、すまん、少し前に馬に乗ってくると出かけて行ったが、そろそろ帰る頃だと思う」
ああ、それで、とロジエンヌは得心した。
ここは廊下の大窓の下に設けられた、座って憩うこともできる空間だ。窓からは表の門が一望できる。ロジエンヌがここで大きな男の背中を見つけた時、彼はブーツを細かく床にぶつけながら、一心に窓から外を覗いていたのだ。
普段、じっとしていることが苦手と公言して憚らず、常に体を動かしていたがるジェイにしては、珍しい状況だった。
「一人で行ったのね。珍しいわ」
「ああ、うむ、一人にしてくれ、と言われたので」
「……屋敷から外に出たの?」
「うむ、この街はよく知った街だから、安全だろう」
安全かどうかよりも、昨夜の顛末、さらにアメリの母たるアジーナが今まさに拘留されていることを思えば、アメリを屋敷から出すことを母が快く思うわけはない。のではないだろうか。あえて申し付けはしなくとも、大人の得意な、暗黙の了解というもので、おとなしくしている方がよいのではないだろうか。
ジェイはそんなことにまるで気がついていないようだ。
けれど、ジェイが気がつかないのはいつものことで。いつもそれを嗜めるのはアメリだった。アメリならば、後で追及を受けるやもしれない行動はとらないはずだ。
普段のアメリならば。
言い知れない不安が沸き起こって来た時、再び窓に額を押し付けていたジェイが、突然立ち上がった。
直後硬い音がして、背の低い天井にしたたかに頭をぶつけたが、意にも介さず慌てて廊下へ出てくると。
「戻ったようだ。ちょっとな、大したことはないが、諍いをしてしまって。それをよく話してくる」
聞いてもいない事情を背中越しに説明しながら、行ってしまった。
「諍い? 喧嘩をしたっていうこと? アメリと、ジェイが?」
結婚以来、いや、結婚するずっと前から、ジェイがアメリを否定したり疑うのを見たことがない。それで、喧嘩など、どうやってするのだろうか。
ロジエンヌはどうしても想像できずに、首を傾げた。
すぐに窓の下が騒がしくなる。どうやらジェイは、玄関に向かったらしい。見下ろせば、表の門に向かって走っていく大きな姿が見えた。
その先には、馬を引いて表門から入って来たばかりのアメリ。その周りに、遠慮がちに距離は保ちながらも取り囲むように騎士が立っているので、やはりアメリの今の立場で外出はまずかったのではないかと、気を揉んだのだが。
ジェイが、何事かを叫んで、腕を振り、騎士達を遠ざけた。
慌てていたのだろう。大切にしている妻が屈強な男達に囲まれているのに、動転したのかもしれない。
けれど、ロジエンヌは驚いた。
屋敷を警護する騎士達は、辺境伯領の騎士団の者で、辺境伯に直属する身だ。いくらジェイがクラークの従兄弟であり、騎士として勇猛果敢で領内で一目置かれ、いざという時は将軍となるクラークの代理を務め、辺境伯領内でも指折りの有力都市の領主であっても。
彼らは辺境伯以外には、乱暴な腕の一振りと怒鳴り声で動かされる筋合いはないのだ。
騎士達はゆっくりと後退したが、遠目にもはっきりと険しい顔をしている。
さらに入れ替わるように、ジェイの大声に応じて彼の騎士達が駆け寄っていった。彼らが余りに警戒をあらわに主人夫妻を守る体制を取ったために、この屋敷の騎士達が拳を握って詰め寄りそうになり、さらにそれに過敏に応じようとする者もいて。それぞれの仲間たちがかろうじて抑え込んでいる。
そんな様子も、目に入らないように。
ジェイはアメリの腕を取り、かがみこんで話しかけていたようだったのだが。
「放っておいてください、旦那様」
アメリのよく通る声が、窓越しにまで響いた。
「貴方は、ミリアンネ様のお味方をされていればよろしいわ。私は、私の信じる道をゆきます」
馬を残して、屋敷に駆け入ってしまったようだ。
ジェイは取り残され、立ち尽くしている。
周囲の騎士達が、戸惑いも露わに互いを見交わしながらも、さすがに屋敷内に駆け込む者はいないようだ。しばらく周囲に控えていたが、やがてジェイを気遣ってか、それぞれ待機場所へ戻って行った。
「本当に、喧嘩。そんな……」
アメリのあんな様子を見たのは初めてだ。ジェイの様子からして、夫である彼もまた、初めて見たのではないだろうか。
いつも泰然として、自ら手本となりロジエンヌを導いてくれたアメリ。そんな人の取り乱す様は、ロジエンヌの足元を大きく揺さぶり、不安と恐れが心の奥をぎゅっと締めつけた。
思わず親指を噛む。
そこに、聞き慣れた声が投げかけられた。
「指の爪を噛むなんて、幼子のようですよ」
ロジエンヌは胸が破裂しそうに驚いた。
アメリは屋敷に入って、そのままロジエンヌの元まで来たようだ。背後に立つアメリをそっと振り返れば、いつもと変わらず、穏やかな表情をしていた。
「アメリ、あの、いま下で」
「お話の途中で申し訳ありませんが、急ぎますの」
主人筋の娘の話を遮り、アメリはずいっと距離を詰めた。
思わず後ろに下がりそうになり、なんとか耐える。
そして、これは一体誰なんだろう、とロジエンヌは混乱を極めたことを考えていた。
「教えてくださいな、ロジィ様。ミリアンネ様の、アトリエ、とは、どこにありますか?」
ロジエンヌは思わずアメリの目を覗き込んだ。
しん、とした目。どこにも、柔らかな光のない。
ごく当たり前のこととして、アメリは認識しているのだろう。
ロジエンヌが答えを知っていて、そしてそれを素直に教えるということを。昨夜のやり取りを聞きながら、ロジエンヌが何の疑いも持つことなく、変わらずアメリの言うことを一番に優先するということを。いまだ受け入れていないミリアンネ相手なら、危害が及ぶかもしれない危険性に、見ないふりをすることを。
そこにどれだけの葛藤があり、ロジエンヌが苦しもうと、そんなことは、気にする価値もない。まるでそう言われたようで。
言葉に詰まったロジエンヌに、鼻が触れるくらいまで顔を近づけて、アメリは囁いた。
とても小さな声。そんなか細い声でも、よく耳に響く。
「ご案内くださいませ」
いつのまにか忙しなくなった自分の荒い息を聞きながら、ロジエンヌは廊下を端から端まで、横目で交互に見た。
幼い頃から慣れ親しんだ屋敷が、奇妙に遠い。誰の靴音も、気配も、近づいてくる様子はない。
腰が萎えそうだった。足も震えた。
侍女も護衛も家族も誰もそばにいなくとも、ただ一人、側にいれてくれればそれで良かった人が、今目の前にいるのに。
迷子になった幼子のように。表情だけは変えないように耐えつつも、怯えたロジエンヌはぎゅっとスカートを握りしめた。
アメリはわずかに首をかしげると、さらに柔らかく囁いた。
いつも、ロジエンヌが失敗したときに、何が正しい振る舞いであるかを、諭す時のように。
「もうひとつ、あります。ロジィ様。
——聖地の森の鍵を、お持ちですね? 私に、しばらくお貸しください。そうすれば、もう悪いことは起こりませんから」
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