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記憶のカケラ 5
しおりを挟む「貴方達は、セーヴィル辺境伯が王都に滞在している目的を知っているのかしら」
ミリアンネは来客への対応についてグレオールをねぎらい、他に特にすべきことがないことを確認し、自室に戻ると、ふたたび砥石に向かった。
けれどその手が、あまり動いていないことを皆が見てとっていた。午前中からずっと、砥石に手をかけたまま、ぼんやりと石の表面を眺めるようにして時間が過ぎているようだ。
夫人の後を継ぐ教育が始まっていたなら、あるいはまだしも、厩で奮闘していた時の方が、ミリアンネは救われていたのではないか。すでに嫁いで来た身であるにもかかわらず、そして存外気に入っている様子を見せているのに、一向に屋敷内の采配はおろか、領地内の政にも関わらせようとしない夫人の意図は、まったくわからない。
親子揃って、とため息をつきたくなるのも、仕方ないだろう。
ミリアンネがまるでこちらに注意を向けていないことを確認して、レーヌは扉外のゼファも呼び入れて、さる筋からの情報がある、と水を向けたのだ。
ゼファはわずかに強張った表情ながら、真摯な目で答えた。
「いえ、何も聞いておりません。出立時には、おそらくあらゆることが不確定だったのでしょう」
「それは以前聞きました。けれど情報は、更新されているはずです。辺境伯様から手紙が届くのは、ミリアンネさん宛だけではないでしょう。ミリアンネさんを害する可能性のある者がこの街に入っていると聞いたからには、いまだ不確定であっても、あるいは機密ゆえに全容を明かせないとしても、少しでも情報の共有をしていただきたいわ」
「確かに不快な噂でしたが、害するという表現には当てはまらないのでは」
「確かにミリアンネさんの様子では害されたという意識はなさそうでしたけれど、アメリがそこまで噂を撒き散らしたその後に何を狙っていたのか、それを考えれば、害する意図がなかったなんて、楽観的すぎると思いますけれど。
でも今は、その噂ではありません。……ミリアンネさんのテラリウムに関わる話です」
ルークとゼファの目が、厳しくなった。
そこに、レーヌは彼らが自分たちに告げていないことを知っていると確信した。
「やはり、ご存知なのですね。……王都だけの活動では、なくなって来たようですよ」
淡々と言って、静かに扇を開いて口元を隠す。隠されない視線は、温度なく、信用しきれない騎士達を眺めた。
ゼファがごくり、と一度喉を鳴らしたが、口を開いたのはルークだった。
「……誓って、我々は何も聞いていないのです。ただ、奥様の心身を何にも代えてお守りするよう申しつかっています。クラーク様もまた、そのために王都に向かったのだと確信しています。
奥様が害される可能性があるというなら、それは徹底して排除しなければならない」
「ルーク、それにも、アメリ夫人が関わっているだろうか」
「それはどうかしら。彼女には、ほとんどテラリウムへの関心が見えないわ。彼女だけでなく、この辺境伯領ではほとんどの人が、きっとテラリウムが何かさえ、知らないわ。
——そうね、そもそも誰も知らないことについて、噂を広めようもないわ。だから、甲斐性無しの領主様がらみの噂より情報が集まらないのね」
ゼファがあまりの表現にわたわたと手を振るが、レーヌは意にも介さなかった。
「不買運動を起こしても意味がない、そんな街に集まってくるのなら、彼らの狙いは、作品ではないわね。ミリアンネさん自身だわ、きっと。……辺境伯様は、こんな事態をはあくしてらっしゃるの?」
騎士二人は、目を見交わすだけで、互いにすべきことを確認したようだった。
ゼファは室内での警護に切り替え、ルークが城内に留まる騎士団分隊の長に事態の報告に向かうという。軍関連の通信として、王都へ知らせてもらうのが、一番速やかな手段なのだ。
「あとは、ミリアンネさんにどう話をするべきか」
これ以上気持ちに負担をかけたくはない。けれどミリアンネ自身の身を守るために、知らせないままでは、いられない。
ゼファと目を合わせ、いまだ石を見つめてぼんやりとしているミリアンネを見て。
レーヌは、今ひとつだけ、と定めて、普段は決して洩らすことのない、大きなため息をついた。
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