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21 たつひと 五
しおりを挟む食卓には、まだ暖かな料理が残っている。ミリアンネは、冷めていく皿を見て、眉を下げた。
「本当に申し訳ありません、せっかくの食事時に」
「いいのよ。確かに私も、さっき貴女から問題提示を受けて、食事の後に問いただそうと思っていました。でも、先ほども言った通り、しかたなかった。
喧嘩を売っていたのは、アメリとジェイだもの。彼らと初めて顔を合わせてからこれまで、周りの事情を優先して挑発を受け流していたら、図に乗ってきた。そうでしょ? 喧嘩なんて、進んで買わなくてもいいけれど、やっぱり戦わなければならない時もある。そんな時は、機を逸さず、即座にきっちりと反撃しなければならないわ。用意した舞台の上でなかったとしてもね」
マーズは平静な様子で、残った食事は特別に使用人たちにとらせるよう、またジェイも夜中にどうせお腹を空かせるでしょう、といくらかを軽食に作り変えて持っていくように指示を出す。
それから、三人分の食後のお茶を用意させて、自らのカップには香りの高い酒を垂らした、もとい、注いだ。ドバドバと。
そのカップから香りを吸い込み、そのまま、しばらくは天井を眺めていたが。
「ミリアンネ。今回のこと、私に任せてもらっていいかしら。それとも、貴女に任せた方がよいかしら?」
ぽつりとした問いかけだった。
ずっと俯いていたロジエンヌが、思わずと言った風に顔を上げ、心細げに母親の顔をうかがった。
領主代理としてあらゆる事態において常に決断をしてきたマーズが、どちらがよいか、と決断についてミリアンネに委ねようとしていることの重大さを、察したのだろう。
けれどミリアンネは、マーズにそんな声を出させたかったわけではない。
「お義母様、よろしければ、そのお話にお答えする前に教えてください。私は、セーヴィル辺境伯領では、受け入れられない存在でしょうか。
アメリ様は、お会いした当初から、私のことを武に通じておらずセーヴィル家に嫁ぐのに相応しくない、と考えていた様子でした。ジェイ様も、きっとアジーナ侍女頭も、それに同意していたのでしょう」
マーズは少し気遣わしげな顔をしたが、やがてそれを振り払うように息をついて、そうね、と言った。
「アメリのあれは、私のせいかもしれないわ。アメリは、私に憧れて育った、と思うから。私より前の女主人が戦いの指揮もしたか、と言えば、そんなことはないのよ。代々の当家や、臣下の家にも、馬に乗れない、剣を振るなんてとんでもない、という女性も多いわ」
「え、そ、そうなの?」
「ロジエンヌ、何言ってるの。アメリや彼女の周囲以外を見れば、貴女と同世代のお嬢さんの何人が、馬に乗れて、剣を扱えますか」
口ごもるところを見ると、そう多くはないらしい。
マーズは、ため息をついた。
「放っておいた私が悪いわ。けれど自覚なさい、ロジエンヌ。今の貴女の世界は、アメリを通してしか広がっていない。けれど、そんなはずはないわ。貴女は自分の手足と目と鼻と口がある。もっともっと、世の中を我が身で感じとりなさい。もう、アメリの言うがままになっていては、いけません」
「そんな、まるでアメリが悪いみたいな言い方をしないで。アメリは、悪くないわ! だってアメリは、クラーク兄様のためを思って」
「武に通じた方と結婚することが『クラーク』のため? 本当に?
私には、アメリが一方的に『セーヴィル辺境伯家の当主』に良いと考えることの押し付け、としか思えない。……よく考えて。甲斐性のない兄がようやく射止めた花嫁に意地悪をする妹は、はたして兄のためになるのかしら」
「意地悪ってなによ!」
「意地悪でしょう」
「私、私はうちでは何もしてないわっ」
「あらロジエンヌ。貴女、大好きなウェンツのお嫁さんになったのに、彼の家で誰にも挨拶されず仲良くもしてもらえなくても、辛くはないの? ちょっとは想像してみなさい」
言い合いの中身が、親子喧嘩になってきて、ミリアンネは口を挟む余地を見出せない。
ロジエンヌは母親のあけすけな物言いに、唖然とした顔の後、茹るかのように真っ赤になり、そして涙をぼろぼろとこぼしながら、絶叫した。
「ウェンツは、関係ないでしょ!! お母様ひどいわ!!」
椅子を跳ね除け、バタバタと走り去る。その行儀の悪さを咎めるのはおろか、声をかけることすらしなかったのは、マーズもまた、大きな悔恨に苛まれていたからだろう。
「そうだったわ……ウェンツは先月、婚約したんだったわ……」
両手で頭を抱えているが、おそらく、娘が傷ついたのは相手が婚約していたから、というわけではない。あの年頃では、ほのかな想いを母親に取り沙汰されるだけで、自然、棘だらけになるだろう。
それをどう伝えるべきか。
それとも口出しは差し出がましいだろうか。
悩む間に、マーズはぐっとカップを煽り、なんとか立ち直った。
「ごめんなさい。恥ずかしいところを見せたわ。まあ、もう家族なのだし、これからバレていくんだけど。……ロジエンヌには、ああして、いつもいらない一言を言ってしまってね。
そういう時にはアジーナが諌めてくれていたの。人の気持ちに聡いアジーナは、私に欠けているところを、よく補ってくれた。逆に、論理的にあまり考えないから、思い込んでしまうと、抜け出せないところはあった。それでも、私の言うことは、よく従ってくれていたから、上手くやれていたのだけど」
ミリアンネは、頷く。アジーナにひどい扱いを受けたことと、彼女がマーズにとってかけがえのない存在だということは、別の話だ。
「おそらく、貴女のことは私に相談しないようにアメリに言い含められたのね。ロジエンヌが貴女をアメリの屋敷に誘ったと聞いて、おかしいと思ってはいたのだけど。戦いのこととなると目の色が変わるジェイのわがままに意識を取られていて、警戒が足りなかったわ。
クラークに、叱られるわね。ーークラークの護衛の手配の意図は、もしかしたら、こういうことにあったのかしら」
首をひねりながら、マーズが気配のないまま控えているルークに視線を流した。
けれど彼らも、慌ただしい出立の直前に、クラーク本人に、決して側を離れるなと申しつけられただけのようだ。その背景までは、教えられていないという。すでにミリアンネ自身も、彼らに尋ねたことだった。
マーズも、あえては尋ねない。
酒精の香り高い紅茶のせいか、語ることによる情報の整理によってか、徐々にその青い目に力が戻ってきているようだった。
「クラークと貴女との婚姻が定まったときから、幾度か領内で会合を持ったけれど、家臣たちから、貴女を迎えることについての異議を特に聞いたことがないの。だから、まず、アメリの主導でしょうね。
……私が、まずアジーナから話を聞きます。アメリの名前が出たら、彼女からも事情を聞きます。万が一、アメリの他に根があるのなら、この機会に暴いておきたいわね。こういう言い方はなんだけどーー貴女に直接危害を加えたのではない今ならば、誰にも、厳罰を下さなくても済むーーこういう考えは、受け入れられるかしら」
ミリアンネは、いよいよ元どおりになった強い目を見返しながら、頷いた。
「はい、お義母様。お心のままになさってください。実際、これまでのはちょっとした行き違いです。そんなに大袈裟にすることではありません。……アメリ様がどうして私を拒否なさるのか、それが知れたなら、もしかすると、歩み寄ることもできるかもしれません」
言葉を聞くにつれ、マーズの目元が和らぐ。その様子が、クラークにそっくりだと、ミリアンネはつい、まじまじと見つめてしまった。
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