上 下
12 / 59

13 まどうひと 五

しおりを挟む
 到着したときから、この客室のクローゼットには、侯爵家から持参した多くのドレスや宝飾品がきちんと収納されていた。丁寧な扱いをされていることはよくわかる。けれど、馬車十台のうち、ミリアンネの個人の品が、八台分。その二割にも満たない量だ。出立時に確認した、幾つもの品が、見当たらない。そして、ミリアンネにとってはドレスよりも大切かもしれない、テラリウム関連の品々が、一つとして見当たらないのだ。
 婚姻時の取り決めによってミリアンネの個人の品は、セーヴィル家に入った後もミリアンネの個人資産となる。当然、その所在を確認する権利はあるのだが。
 ミリアンネがマーズにその話をするのを躊躇う理由は、レーヌにもわかる。
 セーヴィル家は、まだ、ミリアンネが安穏と思うままに過ごしてよい場所ではない。

「ウェイが一度は確認しているものを、蒸し返すのもよくないし。婚姻の贈り物として受け取られてしまうような品ではないし。捨てられてる……なんてことは、ない、と思うし。ここが客間で、収納の部屋が足りなかったのかとは思うけど、何日も案内すらされないなんて……。もしかして、クラーク様はいいっておっしゃったけれど、ここでは、テラリウムなんて、認められないのかも。そう、だって、だって、王都とは違うし。自然は溢れているし、わざわざ箱庭なんか、いらないって思うのかも。辺境伯夫人として相応しくないと思われて、封印されちゃったのかも——」

 めそめそ。
 どうやら、行方知れずのドレスやアクセサリーよりなにより、テラリウムのことが気にかかるらしい。
 ぐずぐずと暗い顔をする主人は気の毒だが、レーヌからは救い様がない。それに、あり得ないのではないだろうか。王都では、ミリアンネの作るテラリウムは、同じ重さの宝石と交換する、とまで申し出られる代物だ。しかも、こぞって貴族位の高い顧客がミリアンネを尊重するので、無理強いはご法度とされ、もはや、幻のような扱いをされている。
 たとえ、王都と距離があって、価値観や考え方に差異があろうと、この国の貴族として在る家で、その重要性が認められないはずはない。
 のだが。
 価値がわかっていない最たるものが作者だということに、レーヌは気が抜ける思いだった。

「美味しいお茶を入れましょう。厨房の方達は、王都からのお土産をとても気に入ってくれたようですよ。今日も、食べ応えのありそうなお菓子をいただきましたよ」
「レーヌの入れてくれるお茶は、美味しいわ」
「ありがとうございます。暗い顔をしていては、美味しさは半減です。少しでも楽しいことを考えましょう。……そう、クラーク様から、お手紙が来ていたではないですか」

 気を取り直したミリアンネは、窓際の書卓から、今朝方、執事が届けてくれた手紙を取った。父侯爵からの、もはや抱えなければならなそうな分厚い手紙と、もう一つ。

「お返事をいただいたけれど、よくわからなくて」
「放置する謝罪とか、待っていてくれとか、ないのですか?」
「あまり書けない内容のようね。とてもお忙しいようよ。あとどれほどで帰れるかも、わからないみたい。護衛の方達から離れず、何かあればお義母さまのご判断に従うように、って、二度ほど書いてあるわ。急なことで説明もできず、すまない、とも」
「さようですか。会いたい、とか、甘い言葉なないのですか?」

 思わず、ミリアンネはレーヌから目を逸らして、そっぽを向いた。

「会いたい、とは書いてあったわ」
「一応」
「一応って言わないでよ、レーヌ。クラーク様にしては、言葉を尽くされていると思うわ」

 ふふ、っと笑ったミリアンネに、レーヌは呆れたよう息をついた。

「それはようございました。では、お茶を入れましたので」
「ありがとう。レーヌも座ってね」
「はい、ご相伴いたします」

 退屈を持て余しながらも、その日は静かに過ぎたのだった。
 状況が少し変わったのは、その翌日、よく晴れて風も落ち着いた日。
 部屋に備え付けられていたたしなみ程度の刺繍の道具で、白布にひたすら室内のタペストリーの縮小版を刺して、暇を紛らわせるのも限界に近づいていた頃だ。
 食事は食堂でとるようになっているが、ロジエンヌは部屋にいることが多く、マーズは忙しそうで、食堂で顔を合わすことは二日に一度程度だ。
 そういえば、と思い立って、うろ覚えながら、ロジエンヌの抱えていたウサギのぬいぐるみに似せた指に乗るくらいのぬいぐるみを作って、贈り物として使用人に言付けたが、特に反応も返ってこなかった。
 マーズの手伝いなりできないかとやんわり尋ねてみたが、クラークが帰ってからで良い、と慈愛に満ちた顔で言われてしまった。
 そんな昼下がり、食後にサンルームでぼんやりとしていると、珍しくマーズが急ぎ足で近づいて来た。

「ミリアンネさん、見せたいものがあるの」

 やや興奮しているマーズに連れられて、ミリアンネは厩にやって来た。
 案内してもらった時に、厩役をはじめ、馬丁や調教師、その見習いの少年たちのことは見知っている。かれらがずらりと並び、マーズと同じようにきらきらした目でミリアンネを待っていたので、なんだか緊張した。

「今朝、ようやく到着したのよ。会ってちょうだい。貴女の馬よ」

 あなたの、馬よ。
 馬。

「は……い……?」

 戸惑うミリアンネの前に、厩の中から、美しい黒馬がひかれてきた。
 圧倒される体躯は、同時にとても優美だった。濡れたように艶のある体、豊かな黒鬣、強健そうな脚。尾は豊かで長く、ゆっくりと振れて地面を擦りそうだ。
 惚けて見ていたミリアンネを呼ぶかのように、ブルブル、と馬が低く鳴いた。はっとして顔を見れば、両耳をひたりとこちらに向け、ミリアンネを見ている。
 落ち着いている馬の様子を見て、馬丁が、ゆっくりと馬を引いて寄って来た。
 近づくとさらに際立つ、大きさ、重量感、そして、匂いと熱量。
 ガツ、と蹄で土を蹴って立ち止まった馬は、驚くほどたくさんの長いまつ毛の奥から、黒曜のような目にミリアンネを写していた。
 ミリアンネとて、侯爵家で最低限の乗馬の訓練は受けている。だから、馬がそっとその鼻面を近づけて来たときも、落ち着いて、顎の下をそっと撫でながら、自分の匂いを教えてやった。
「一昨年の春に生まれた牡馬なのですよ。名前はベラ。ねえ、クラークより格好いいでしょう?」

 マーズが冗談を飛ばす。
 確かに、ミリアンネは、ベラにごっそりと心を持って行かれたような気持ちがした。

「本当に、綺麗な子です。……こんな立派な馬に私が乗っていいのでしょうか。ほかに、ふさわしい乗り手がおられませんか?」

 後半は、あまりにベラが見事であるために、聞かずにはおられないことだった。
 絶対に、自分には過ぎた馬だ。

「ミリアンネさん、まだ実感はないかもしれないけれど、貴女はすでにこのセーヴィル家の女主人なのですから、貴女以上にふさわしい乗り手はいないのよ。それに、ここでは皆、それぞれに愛馬を持っているから。
 ーーベラは、貴女が、大事にしてあげてほしいのです」
「ーーはい」

 ミリアンネは、ベラを見る。
 ベラは、こたえてミリアンネに注目する。機嫌はよさそうだ。

「ベラ、私はミリアンネよ。よろしくね」

 そっと鼻面を撫でると、ベラは鼻を伸ばし、ぶるぶると低い声を出した。

「お互い、気に入ったみたいね。甲斐があったわ! ではミリアンネさん、女主人のお仕事は、クラークが戻ったら順々に引き継いでいきます。それまでは、毎日、ベラに乗ってお庭を一周しましょうね」

 にこり。
 何を言われたのか、一瞬分からない嫁に向かって、義母は高らかに宣言した。

「何事も、まずは体力からよ」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は何人とヤれば解放されるんですか?

ヘロディア
恋愛
初恋の人を探して貴族に仕えることを選んだ主人公。しかし、彼女に与えられた仕事とは、貴族たちの夜中の相手だった…

言い逃げしました

Rj
恋愛
好きになったのは友達の恋人。卒業式に言い逃げしました。 一話完結で投稿したものに一話加え全二話になりました。(3/9変更)

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

W-score

フロイライン
恋愛
男に負けじと人生を仕事に捧げてきた山本 香菜子は、ゆとり世代の代表格のような新入社員である新開 優斗とペアを組まされる。 優斗のあまりのだらしなさと考えの甘さに、閉口する香菜子だったが…

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...