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6 とつぐひと 五
しおりを挟む町は、灰色がかった石造りの建物が多かった。窓の外側には、各家で独特の意匠を施した金属の格子がはまり、夕日がそこに射して外壁に複雑な影をつくっているのが、目に新しい。
大通りを走り抜け、さらに少し高台に向かえば、見事な鉄格子の柵で囲まれた屋敷が見えてくる。直立して礼を取る兵に見送られて門を通り、やがて屋敷の車寄せに馬車が止まると、御者が扉をゆっくりと開けた。
陽は、名残の赤色を空に残して、ちょうど地に沈んだところだ。
屋敷の玄関前には多くの篝火が並べられ、砦のように無骨な石造りの屋敷を暖かく照らし出していた。
すでに玄関前には、ロジエンヌとアメリ、そして、熊のように大きな男性が、出迎えのために並んで立っている。アメリの隣に立っているので、おそらくあれが、クラークの従兄弟のジェイという人物なのだろう。
ジェイはどことなく所在無げに見えたが、ミリアンネと目が合えば、深々とお辞儀をしてきた。通常は、男主人が、身分の高い女性客が馬車から降りるのを助けるもの、のはずだが。ジェイは思いも至らないように、ずっと玄関前で頭を下げるのみだ。その丁寧さと、垣間見える不器用さに、つい警戒心が薄れてしまう。
いつまでもそのままにするわけにもいかず、まあいいか、とミリアンネは慎重にドレスをさばいて馬車から降りた。
「ようこそ、セーヴィル辺境伯夫人。私はクラークの従兄弟で、ジェイ・アコットだ」
熊の唸り声のようで聞き取りづらかったが、確かに、ジェイはミリアンネを夫人、と呼んだ。ロジエンヌはそれに、少し不満げだ。けれどアメリは、一切、表情を変えない。
彼らの思惑が、わかるようで、わからない。
「初めまして、ジェイ・アコット様。クラーク様とお親しいご様子、私のことも、どうぞミリアンネとお呼びください。この度はロジエンヌ様とアメリ様に、ぜひにとお招きいただき、厚かましくも立ち寄らせていただきました。明日明後日には、クラーク様の元へとまた発つこととなりますが、御無礼お赦しください。
ご自慢の湯殿のお話が、とても魅力的でしたの。でも、クラーク様にも早くお会いしたいので。どうぞ、宜しくお願いします」
「湯殿! ああ、ああ、そうとも、自慢のつくりだ。ぜひとも堪能して、ゆっくり疲れを癒してくれ。うむ、だが、確かにクラークも、首を長くして待ってるだろうな。疲れが取れたら、早く向かってやってくれ。別の機会にいつでも、寄ってくれればいいから」
湯殿と、クラーク。ふたつの言葉で、急に緊張が溶けたのか、熊が相好を崩して心からの温かい言葉をくれる。
ほろほろと彼の周囲に火の粉のような光が散ったのを見て、ミリアンネは嬉しくなった。
(なんだ、いい方じゃない)
気が緩んだまま、居心地の良い客間に案内され、素晴らしい湯殿で旅の埃を洗い流し、温かくお腹にたまる美味しい食事をいただいていたのだが。
「あなた、ミリアンネ様の護衛の方々は、サリンガー侯爵家の選りすぐりの手練れの方だというお話ですよ」
アネリがやにわに提供した話題に、ミリアンネがしばしその意図を吟味していると。程よく酒の回った、赤ら顔のジェイが、急にキラキラ、いや、ギラギラとした目つきになった。
「なんと! それは僥倖。以前から、王都の腕の立つ剣士と試合をしたいと願っていたのだ。ミリアンネ殿、ぜひ、一度、一度でいいので、どなたか護衛と手合わせをさせていただきたい」
どうか!と食卓に額を打ち付けんばかりに懇願されて、ミリアンネは困惑した。いや、実を言えば、かなり、引いた。
護衛の彼らは、まず何と言っても、職務中である。彼らはサリンガー侯爵の食客のようなものだが、侯爵家の家臣ではない。彼らの護衛の能力と剣の腕は彼ら自身の資本であり、実はサリンガー侯爵が——そしてもちろんミリアンネが——手合わせを命じる立場にはないのだ。
まして、本来の目的と異なる手合わせで、護衛自体に支障が出たら。侯爵家との契約内容の不履行どころか、次の任務だって、任せてもらえなくなるかもしれない。そんな危険なことを、護衛たち本人も望んでいるとは思えなかった。
決して目線を向けられないが、今もこの食堂には、二人、護衛としてミリアンネの背後の壁際に控えている。ジェイの視線が、その二人を順々に、じっくりと眺めているのに、ミリアンネはゾワゾワとした。
こんなに飢えたような目をしているジェイに、契約がどうとか、言って通じるのかどうか。甚だ疑問ではあれど、ミリアンネには、断るしか選択肢はない。
おそらく、不満ながらも、受け入れてはくれるだろう。けれど後で、なにか代わりの案を考えた方がいいかもしれない。
クラークに相談してみよう、そう思いながら、口を開く。
「ジェイ様、大変申し訳ありませんが、私は、彼らの雇用主ではないのです。そのご希望については、どうしても、現在の雇用主である父に許可を取ってから、彼ら本人の希望を聞いていただくほかございません」
「む、そうか……」
みるからにしょんぼりとしていたが、何かを思いついて、ガバリと顔をあげた。
「いや、諦めるのは早いな。まずは挑戦あるのみだ。お父上のサリンガー侯爵に急ぎ手紙を書こう」
は? と声に出さなかったことを、褒めて欲しい。けれど確実に、驚きは洩れていたと思う。
「早馬なら、数日で戻るだろう。それまで、ゆるりと滞在してくれ」
クラークが待っていると、さっき言ってはいなかっただろうか。手合わせのことしか考えられなくなっている様子に、下手をすると手合わせができるまで、引き止められそうだと、ミリアンネは危機感を持った。
アメリがぜひそうなさったら、と相槌を打ち、ロジエンヌがにまっと笑っているのも、視界の端に映る。それも、さらに焦りを生んだ。
「——でしたら」
本当に、旅程をそこまで遅らせたくはないのだ。
「でしたら、お返事が来るまでに、私はまずエルコートに参りますわ」
言ってしまった途端、温かだったジェイの周りの煌めきが、すっと凍えて落ちて消えた。
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