箱庭と精霊の欠片 すくうひと

日室千種・ちぐ

文字の大きさ
上 下
3 / 59

3 とつぐひと 二

しおりを挟む

「こちらをお忘れでは? 兄君から託されたとおっしゃっていたではありませんか」
「あ、そ、それは。う、うん。そうね」

 妹だという声が、少し上擦ったのは、誰の耳にもはっきりと聞き分けられただろう。

「失礼して拝見しても?」
「あ、ああっ、、、、えっと、はい、どうぞ」

 ウェイが書面を確認しているのだろう。しばらくの沈黙の後、少しお待ちください、と言い置いて、馬車のステップに上がり、失礼、と窓だけを小さく開けた。ウェイの口元だけが見える程度だ。

「ミリアンネ様。騎乗した若い女性二人、クラーク様の縁者を名乗られております。こちらの書面は、しかし、任命状などではなく、お父上のサリンガー侯爵からセーヴィル辺境伯様へ、ミリアンネ様が無事出立されたことと、アンガスに着くおよその日程のお知らせの手紙です。ただし、確かに本物。——また、セーヴィル城にて辺境伯様が確認した旨の記録のサインがございます。……いかがいたしましょう」
「本物の、妹君だ、ということ?」
「私の拝見する限り、そうでしょう。ただし、いたずらの過ぎる、お子様のようですが。執務室から、手紙を拝借してしまう程度には」

 なるほど、とミリアンネは扇を手に取り、意味もなく振ってみた。

「公式なお迎えではなくとも、妹君を無視するわけにはいかないわね。お話ししてみます。このまま降りてもいいのかしら」
「……まず、私がご用件を伺い、後ほど改めて席を設けることをご提案いたしますので。しばらくお待ちを」

 了承を返すと、ウェイは満足そうに優しく笑み、窓を閉めた。
 安心して任せられる有能な副執事を旅路の供に付けてくれて、お父様には感謝ばかりだ。往復で二十日あまりとはいえ、彼は侯爵家にとってもなくてはならない存在のはず。当初は彼の父でもある筆頭執事のレイモンドが同行に名乗りを上げていたのだが、直前に腰を痛めてしまったのだ。ウェイは、年寄りの冷や水だの、予定調和だのと言って、妹のように見守って来てくれたミリアンネを送る役に、参加の意欲を示してくれた。
 頼れる者が周りにいることに、ひとまずは安堵したミリアンネだったが。

「のちほど? 町の宿屋で? とんでもないわ。ここは、このアメリの夫、クラークの従兄弟でもあるジェスの拠点の一つなの。ぜひ、このまま、彼の館においでいただきたいのよ。ゆっくりしていただきたくて、アメリに準備してもらっているの。
 町の宿屋なんて! この町には、これほど大勢を留め置く規模の宿屋なんてないわ。面白いことをおっしゃるのね、ミリアンネ様は」

 うふふ、と無邪気な風だが、まるで準備していた台詞を読むかのような声には、いろいろと刺を感じる。けれどその言葉は、ミリアンネの無知や浅慮を嗤うようでいて、同時にアメリやその夫の拠点であるアンガスのことも軽く見下げていることになっていることには、気づいているのだろうか。気づいていないのかもしれない。
 ——いやいや、もしかすると本当に、常識というものが、ここと王都とで、逆立ちしたほどに差異がある、のかもしれない。きっと。それは、面白いと思えば、面白い。彼女のいう通り、確かに。
 ミリアンネは疲れた頭で穏便に納得できそうな理由を探してみた。
 すぐに無理だと気づいたが。
 年齢が近しい令嬢と、あまり多くの付き合いはなかったミリアンネは、事なかれ主義で処理することにした。
 うん、とりあえず、ウェイに任せよう。

「これはご高配を。ただ、両家当主間で打ち合わせのないお屋敷への滞在は——」
「——差し出がましく口を挟んで申し訳ございませんが、ロジィ様のたってのお願いとあって、夫も私も、ミリアンネ様には心安くご滞在いただきたいと考えております。この館には、クラーク様もよく立ち寄られますので、ご安心ください。それに、湯殿が自慢ですの。どうぞ、お気兼ねなく、旅の疲れをお流しくださいませ。……町の宿では」

 静かな声なのに、人に聞き入らせるなにかがある。
 ミリアンネはふと、このアメリという女性がどんな人物かを見たくなった。

「これほどの数の馬車を停める余地がないのは本当です。活気はありますが、小さな町ですので。その点、館の車寄せであれば、すこし窮屈ですが、止めていただけます。安全のためにも、ぜひ、どうぞ。大きな隊商が町に寄る時にも、同じように、館にお招きするのです」
「重ね重ね、お気遣いありがたく存じます。しかし、旅程では本来、明日にはクラーク様の元に辿り着くはずの花嫁行列です。一度居心地の良いお館に寄せさせていただくと、日程に遅れが生じましょう。私どもは、日程を違えることはできません」
「あら。先に町に入られた御家の者は、確か数日滞在用の宿を探しに、町に入ったと思いましたけれど」
「念のため、私の独断で向かわせた、無駄になるかもしれない下調べでございます」
「ロジィ様のご厚意を、お断りになると?」
「クラーク様の、ご意向もございますので」

 両者、穏やかで花を愛でるような声なのに、火花の幻覚が見えるようだ。
 ウェイの予防線も、理由あってのことだ。貴族が貴族の家に立ち寄れば、一泊だけで出立するのは失礼となる。このまま彼らに従って館に出向くことで、エルコートへの到着は、三、四日遅れることとなるのだ。
 正直、屋敷へ立ち寄るのは面倒だ。気楽に宿で休んで、さっさと目的地へ向かいたい。それくらい、くたびれていた。
 けれど、彼女たちも引き下がる様子はない。
 屋敷に招くことに、一体どういう意図があるのだろうか。
 それが見えない限り、安易に屋敷に向かう決断もし難い。ウェイの立場では、そういう判断はできないのを彼女たちも知っていて、あえて声高に馬車の傍らで話をしているのだろう。
 仕方なく、渋々、ミリアンネは立ち上がった。レーヌが、ベールを整えてくれる。
 疲れ云々を別としても、本来の性質と、引きこもりに近い生活をしていたせいで、そもそも初対面の相手と会うこと自体が億劫なのだ。出て行きたくはない。
 出れば道端での問答が長引くし、今更の御大将登場のようでさらに嫌だ。
 だが、ミリアンネが出るまでは結論が出なそうである。
 息を吸って、吐いて。
 時機を見計らったレーヌが馬車の前壁を内からこつこつと叩き、御者が飛び降りて、外から開けてくれた。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

貴族の爵位って面倒ね。

しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。 両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。 だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって…… 覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして? 理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの? ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で… 嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

彼を愛したふたりの女

豆狸
恋愛
「エドアルド殿下が愛していらっしゃるのはドローレ様でしょう?」 「……彼女は死んだ」

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

【R15】気まぐれデュランタ

あおみなみ
恋愛
「誰かの純情を、誰かが嗤う」 水野さよりは整った容姿だが、好みでない異性からも興味を持たれやすい上、 優柔不断さが災いして、トラブルに巻き込まれがち 好きな人と交際をスタートしても、「心身の悩み」のせいでなかなかうまくいかない。 そんな彼女の前に現れた「理想の人」とは?

処理中です...