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◆the day before
第24話「愚直なる信念」
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”どうも私は生来のお調子者でして。相手を喜ばせたくてついポロっと余計な事を言ってしまいます。
いつも大尉には怒られてましたよ”
南部隼人のインタビューより
Starring:南部隼人
それからサミュエル・ジード少佐に〔ゼロ戦〕の扱いをレクチャーする。と言っても、南部隼人は大まかな方針をグレッグに提示するだけ。後は丸投げだ。
沙織沙織とリーム・ガトロンも顔を出すが、顔合わせと打ち合わせをしたらそれぞれの作業に戻る予定である。
任せるのが〔疾風〕でないのは、欧州大戦の勇士なら軽戦闘機の方が扱いに慣れていると判断したからだ。操作も〔疾風〕より〔ゼロ戦〕の方が扱いやすい。
ならば同じ海軍機で、〔疾風〕よりも格闘戦向きの〔紫電改〕乗りが教えるべきだ。それにグレッグ・は〔ゼロ戦〕での戦闘経験もある。
サミュエルはソ連製の「I153軽戦闘機」、通称〔チャイカ〕には乗った事があるらしい。ぶっつけ本番でもある程度は行けるはずだ。
隼人が講義を始める。といっても欧州大戦の情報は実体験に則したものではなく、書籍によって得たものが大半だが。
「欧州大戦の空戦と決定的に違うのは、『敵機が降下してきたら上昇してはいけない』と言う事です」
「分かっている。当時と今では戦闘機の重量が違うからな。急に上昇しようとしたらその隙を突かれてやられてしまうと言う事だろう?」
「……流石です」
せめて訓練飛行のひとつもしたいのだが、残念ながらいきなりの実戦になる。
サミュエルにはコックピットで操作を覚えてもらいつつ、イメージトレーニングを行ってもらう。あとは彼の豊富な実戦経験と、米軍ですら評価した〔ゼロ戦〕の優れた操作性を信じるしかない。
気に入らない相手には心を開かないグレッグだが、サミュエルに対しては終始礼儀正しい。〔ゼロ戦〕の素性の良さも相まって動作も少しずつ手馴れてくる。
「こいつは〔マーリン〕エンジンのおかげでパワーこそありますが、従来型の〔ゼロ戦〕と比べて主翼の形状変更が為されてます。ただ改善されたとはいえ、まだまだ横転性能は弱いです。旋回戦をするときは隙を突かれないよう気を付けてください」
我ながらレクチャーする声に熱が入っている。冷静にならねばならないと自分に言い聞かせる。それでも気合が入ってしまうのは、〔ゼロ戦43型〕が特別だからだ。
聞き入っていたサミュエルが、ふと質問を口にした。
「……中尉は、この機体に乗っていたのかね?」
自らの青さを呪う。自分の思い入れを簡単に見透かされてしまった。
「どうしてそう思われます?」
とぼけようにも、老兵の観察眼からは逃れられなかった。
「こいつの弱点を随分と研究してるように思えたからな。気に障ったら済まなかった」
そう言ってサミュエルは作業に戻る。先程はつい誤魔化して仕舞ったが、別に隠しているわけでもない。隼人は少しだけ無駄話をはさむ。
「いえ、こちらこそすみませんでした。実は俺、昔こいつに墜とされたもので」
「ええっ! 師匠がですか!」
後ろで沙織が驚愕している。彼女は自分を鉄人か何かと勘違いしているのではなかろうか。
まあ〔ゼロ戦43型〕は条約軍の飛行機なので、味方と戦ったのが変に思われないかが心配だったが、演習か何かと受け取ってくれたようだ。
「再戦を考えたら、やっぱり研究しておきたいじゃないですか」
サミュエルは、何故か破顔した。その表情は、何処か懐かしそうでもある。
「私も、そう言う好敵手がいたよ。どうしても勝ちたいと思う相手がね」
そうか。隼人は思う、誰かに勝ちたいと言う気持ち、それも受け継がれていくものなのだろう。だが、きっと自分は”あいつ”と再戦し、そして勝つ。
一通りのレクチャーを終え、後の事はグレッグに委ねる。さすが撃墜王だけあって、サミュエルの呑み込みは早い。
「……グレッグ中尉」
……ふと、ごく自然に。世間話をするように。スロットルを握りつつ、サミュエルが切り出した。
「死に場所を与えてくれて、感謝する」
沙織が息を飲むのが見えた。
リームはもう慣れたものなのだろう。死に急ぐ老兵を前に無感動を装った。
グレッグは彼の事情を知っているらしく、無表情だったが握りしめた拳は隠せない。
『……です少尉。……ます』
だが、この場で一番動揺したのは隼人だった。決別した筈の迷いが、隼人の脳髄を駆け抜けた。
冗談じゃない。冗談じゃ……。
「少佐。確かに今回の作戦は決死行です。ですが、俺は生きる為に作戦を立てました。始めから生きる気の無いパイロットは必要ありません。それをどうかご理解いただきたい」
「……そうだな。済まなかった」
サミュエルはしばし沈黙した後と答え、再び〔ゼロ戦〕の操作に没頭する。彼は何と思ったか。自分の青臭さに呆れたろうか。
それでも隼人には、人の死に慣れ切ってしまいたくはない。
「……皆喉が渇いたろう。お茶を貰ってくる」
頭を冷やしたい。隼人は足を置いた〔ゼロ戦〕の主翼から飛び降りる。
「お茶なら、私も……」
隼人に続こうとする沙織を、リームが制止した。
「今は放っておいてやりなさい」
何かあると察したのだろう。沙織は何も言わず、自分を見守ってくれる。
クロア時代から、彼女には何だかんだとフォローしてもらっている。内心で感謝した。
ただ、一人になりたかった。
「あーあ、またか」
震え続ける手は容易に止まってはくれなかった。押さえつけても深呼吸を繰り返しても、それは消せない恐怖心と同じく内面から染み出してくる。
怖い。
ただ、ひたすらに怖かった。
悲しみは乗り越えても、また失うかもしれない恐れは隼人を自由にしてくれなかった。
もし沙織が、リームが、菅野やリィル達が自分の作戦で命を失う事になれば、きっと死ぬまで自分を責め続けることになるだろう。
そして、その可能性は決して低くない。
「ああ、お前の言う通りだよ。俺は確かに軍人に向いてない」
今だから分かる。かつて道を分かった友の言葉は悔しいほど的を射ている。
『君はただの飛行機好きだ。死ぬ覚悟も、殺す覚悟もない』
多分、何処かの空中サーカスにでも入って曲芸飛行でもやっていれば……。それでも自分は満足するだろう。パイロットとしての自分は。
だけど、南部隼人と言う人間はそうはいかない。
自分が好きになった人たち、縁を繋いだ人たちを見捨てて幸せになるなんてできないだろう。
それをやったら最後、絶対に心から笑う事が出来なくなる。
だから、血反吐を吐きながら前進するしかない。
思考が煮詰まった時、背後から良くとおった大声が響いた。
「気を付けッ!」
いきなり背後から大声が響いて、隼人は反射的に直立する。
士官学校以来の条件反射である。
「よーし、落ち着いたようだな。怯える新兵にはこれに限る」
振り返ると、菅野直が苦笑しながらこちらを眺めていた。
「流石に新兵扱いはあんまりでは……」
きっと、菅野から見た自分は拗ねた顔をしている事だろう。その表情を見て、菅野は笑った。
「良いんだよ。貴様は軍人になり切れていない。そこが良いところでもある」
その言葉は自分にも向いているんだろうなと、内心で邪推する。
いつしか、手の震えは止まっていた。
「戦いの前にそうなるのは誰しも同じだ。恥じる事は無いし、そうならない方が危ない」
命を預かる仕事は、失うリスクを常に背負う。それ故に、ある程度の無神経さや鈍感さは必須と言える。そうしなければ大局を見据えた判断が出来ないし、心が壊れてしまう。
だが人間はロボットにはなれない。どうしても抱え込むし、苦悩もするし、またそうでなくてはならない。
この点において、菅野直と南部隼人は似た者同士だった。
「またフォローさせてしまいましたね。このお礼はいずれ」
「余計な気を回すな。感謝するなら1機でも多く敵を墜とせ」
ぶっきらぼうな人だ。だけど言葉の端から優しさが見え隠れする。だから慕われる。グレッグも、そして自分も。しかし、敵を山ほど墜とすのは菅野の役目であって自分の物では無い。そんな不遜な事を考えてしまい。
「……善処します」
それは、相手が菅野だからこその甘えであった。期待通り、菅野は人懐っこく苦笑した。
「悪徳議員みたいな物言いをしやがって」
ふと、菅野に逡巡の色が浮かぶ。何かを言い出すか迷っているのか。
果断な彼らしくない態度だ。違和感は感じるが、急かさずに言葉を待った。
「貴様は、怖くないのか?」
震えていた相手に放つには、いささか不自然な台詞だったが、隼人はその意味を正確に理解した。
『戦う事はいい。でも戦う度に失って、嘆く事すら許されない。お前はそれが、怖くないか?』
憧れの菅野直も、自分と同じ恐怖と戦っていたんだ。それを再認識した。
それでも、自分にとって答えはひとつだった。
「飛びますよ、俺は。あいつを失っても、これから大切な人たちがどれだけいなくなっても、飛び続けます。俺にとって飛ぶ事は、大好きな人たちとの絆を感じる事ですから」
菅野は黙って続きを促す。
彼の葛藤はかつて隼人も感じた事だ。だから、それが彼にとって光明になるなら、内心をさらけ出す義務があると感じた。
「だから、飛ばずにはいられない。愛さずにはいられないんです」
我ながらクサい台詞だと思った。でも自分に正直になったら、こう答えるしかない。
文学青年の菅野は今の三文芝居に何点を付けるだろうかなどと、余計な事を考えてみる。
案の定彼は吹き出して、痛快そうに笑う。
「実に貴様らしいな」
「でしょう?」
隼人はぺろり舌を出す。
上官に対しこの反応はありえないが、今の菅野相手だとついやってしまう。
「俺も経験しました。『やりたい事』と『やらなきゃいけない事』のギャップがどうしても埋められないとき、両方投げてしまおうと思った事があります」
空で初めて、屈辱を味わったあの日。全て投げ出してしまおうと思った。でも、そんなのは自分からの逃げ。結局飛びたいと言う渇望が、隼人の元に戻って来た。
「ほう? で、どうしたんだ?」
話半分に聞くと言った体だが、菅野の声色は前のめりだ。
「どうしても止められなかったんですよ。どんなに逃げても、結局飛ぶ事を考えている。だから思ったんです。『両方追いかけてやろう』ってね」
ドヤ顔で言い切ってやるが、菅野はお気に召さなかったようだ。それが出来たらやっているとでも言うように。
「……俺は、そこまで器用には生きられんな」
自嘲気味に吐き捨てる菅野を見て、素直な疑問が湧いてくる。
「そうでしょうか? リィルと話をする大尉は、見たことがないくらい嬉しそうでしたけど?」
不意を突かれたようにきょとんとした表情は、すぐに仏頂面に変わる。
「貴様、あの時出て行ったのは余計な気をきかせやがったな?」
叱責する目は優しそうに笑っていたから、隼人は笑って誤魔化す。
「それはそれとしてですね……」
菅野は苦笑しつつも不満そうだが、反論せず話の続きを促す。
「断言します。本当に好きな事は、どんなに逃げても向こうから追ってきますよ? 俺の例は参考にならんでしょうが、あいつが死ぬと分かっていてもやはり一緒に飛びました。それがあいつの生き方で、俺はそれも含めてあいつを大事に思ってましたから」
そうか、と。菅野の表情から険が抜けた。
「……訂正する。貴様は器用などではない。むしろ、ひたすらに愚直だ」
「でしょう?」
隼人は嬉しそうに歯を見せて笑う。
憧れの飛行機乗りに称賛されたからだろう。その言葉が余計だったと気付いたのは、口から飛び出した後だった。
「俺は文学の素養はありませんが、大尉の詩は美文だと思いますよ? あの文才は棄ててしまうのはもったいない」
菅野は一瞬だけ顔をほころばせたように見えたが、すぐにそれはぎょっとしたような表情に変わる。
前世で菅野の日記が公になったのは彼が戦死した後である。
英雄として名を馳せた彼だが、例え部下と言えども一個人の日記の中身を知るわけがない。
「南部、貴様……」
自分の迂闊さを呪うが全部吐き出すことにした。
菅野は自分や皆の命を預ける男だ。話さないのはフェアでは無いし、少しでも生還の確率を上げる為に情報は共有すべきだろう。
後で色々言われるかもしれないが、仕方ないなと覚悟を決めるしかない。ここでしくじれば「次」なんて無いのだから。
「全部お話いたしますが、ここでは駄目です。後ほど」
菅野は納得いかなそうに唇をへの字に曲げたが、問題の先送りには同意する。
「まあいい。リィルの奴が皆に話があるそうだ。貴様が居ないと話にならん。会議室に行くぞ」
いうだけ言ってぷいと背中を向ける菅野を、隼人はいつものように追いかけた。
いつも大尉には怒られてましたよ”
南部隼人のインタビューより
Starring:南部隼人
それからサミュエル・ジード少佐に〔ゼロ戦〕の扱いをレクチャーする。と言っても、南部隼人は大まかな方針をグレッグに提示するだけ。後は丸投げだ。
沙織沙織とリーム・ガトロンも顔を出すが、顔合わせと打ち合わせをしたらそれぞれの作業に戻る予定である。
任せるのが〔疾風〕でないのは、欧州大戦の勇士なら軽戦闘機の方が扱いに慣れていると判断したからだ。操作も〔疾風〕より〔ゼロ戦〕の方が扱いやすい。
ならば同じ海軍機で、〔疾風〕よりも格闘戦向きの〔紫電改〕乗りが教えるべきだ。それにグレッグ・は〔ゼロ戦〕での戦闘経験もある。
サミュエルはソ連製の「I153軽戦闘機」、通称〔チャイカ〕には乗った事があるらしい。ぶっつけ本番でもある程度は行けるはずだ。
隼人が講義を始める。といっても欧州大戦の情報は実体験に則したものではなく、書籍によって得たものが大半だが。
「欧州大戦の空戦と決定的に違うのは、『敵機が降下してきたら上昇してはいけない』と言う事です」
「分かっている。当時と今では戦闘機の重量が違うからな。急に上昇しようとしたらその隙を突かれてやられてしまうと言う事だろう?」
「……流石です」
せめて訓練飛行のひとつもしたいのだが、残念ながらいきなりの実戦になる。
サミュエルにはコックピットで操作を覚えてもらいつつ、イメージトレーニングを行ってもらう。あとは彼の豊富な実戦経験と、米軍ですら評価した〔ゼロ戦〕の優れた操作性を信じるしかない。
気に入らない相手には心を開かないグレッグだが、サミュエルに対しては終始礼儀正しい。〔ゼロ戦〕の素性の良さも相まって動作も少しずつ手馴れてくる。
「こいつは〔マーリン〕エンジンのおかげでパワーこそありますが、従来型の〔ゼロ戦〕と比べて主翼の形状変更が為されてます。ただ改善されたとはいえ、まだまだ横転性能は弱いです。旋回戦をするときは隙を突かれないよう気を付けてください」
我ながらレクチャーする声に熱が入っている。冷静にならねばならないと自分に言い聞かせる。それでも気合が入ってしまうのは、〔ゼロ戦43型〕が特別だからだ。
聞き入っていたサミュエルが、ふと質問を口にした。
「……中尉は、この機体に乗っていたのかね?」
自らの青さを呪う。自分の思い入れを簡単に見透かされてしまった。
「どうしてそう思われます?」
とぼけようにも、老兵の観察眼からは逃れられなかった。
「こいつの弱点を随分と研究してるように思えたからな。気に障ったら済まなかった」
そう言ってサミュエルは作業に戻る。先程はつい誤魔化して仕舞ったが、別に隠しているわけでもない。隼人は少しだけ無駄話をはさむ。
「いえ、こちらこそすみませんでした。実は俺、昔こいつに墜とされたもので」
「ええっ! 師匠がですか!」
後ろで沙織が驚愕している。彼女は自分を鉄人か何かと勘違いしているのではなかろうか。
まあ〔ゼロ戦43型〕は条約軍の飛行機なので、味方と戦ったのが変に思われないかが心配だったが、演習か何かと受け取ってくれたようだ。
「再戦を考えたら、やっぱり研究しておきたいじゃないですか」
サミュエルは、何故か破顔した。その表情は、何処か懐かしそうでもある。
「私も、そう言う好敵手がいたよ。どうしても勝ちたいと思う相手がね」
そうか。隼人は思う、誰かに勝ちたいと言う気持ち、それも受け継がれていくものなのだろう。だが、きっと自分は”あいつ”と再戦し、そして勝つ。
一通りのレクチャーを終え、後の事はグレッグに委ねる。さすが撃墜王だけあって、サミュエルの呑み込みは早い。
「……グレッグ中尉」
……ふと、ごく自然に。世間話をするように。スロットルを握りつつ、サミュエルが切り出した。
「死に場所を与えてくれて、感謝する」
沙織が息を飲むのが見えた。
リームはもう慣れたものなのだろう。死に急ぐ老兵を前に無感動を装った。
グレッグは彼の事情を知っているらしく、無表情だったが握りしめた拳は隠せない。
『……です少尉。……ます』
だが、この場で一番動揺したのは隼人だった。決別した筈の迷いが、隼人の脳髄を駆け抜けた。
冗談じゃない。冗談じゃ……。
「少佐。確かに今回の作戦は決死行です。ですが、俺は生きる為に作戦を立てました。始めから生きる気の無いパイロットは必要ありません。それをどうかご理解いただきたい」
「……そうだな。済まなかった」
サミュエルはしばし沈黙した後と答え、再び〔ゼロ戦〕の操作に没頭する。彼は何と思ったか。自分の青臭さに呆れたろうか。
それでも隼人には、人の死に慣れ切ってしまいたくはない。
「……皆喉が渇いたろう。お茶を貰ってくる」
頭を冷やしたい。隼人は足を置いた〔ゼロ戦〕の主翼から飛び降りる。
「お茶なら、私も……」
隼人に続こうとする沙織を、リームが制止した。
「今は放っておいてやりなさい」
何かあると察したのだろう。沙織は何も言わず、自分を見守ってくれる。
クロア時代から、彼女には何だかんだとフォローしてもらっている。内心で感謝した。
ただ、一人になりたかった。
「あーあ、またか」
震え続ける手は容易に止まってはくれなかった。押さえつけても深呼吸を繰り返しても、それは消せない恐怖心と同じく内面から染み出してくる。
怖い。
ただ、ひたすらに怖かった。
悲しみは乗り越えても、また失うかもしれない恐れは隼人を自由にしてくれなかった。
もし沙織が、リームが、菅野やリィル達が自分の作戦で命を失う事になれば、きっと死ぬまで自分を責め続けることになるだろう。
そして、その可能性は決して低くない。
「ああ、お前の言う通りだよ。俺は確かに軍人に向いてない」
今だから分かる。かつて道を分かった友の言葉は悔しいほど的を射ている。
『君はただの飛行機好きだ。死ぬ覚悟も、殺す覚悟もない』
多分、何処かの空中サーカスにでも入って曲芸飛行でもやっていれば……。それでも自分は満足するだろう。パイロットとしての自分は。
だけど、南部隼人と言う人間はそうはいかない。
自分が好きになった人たち、縁を繋いだ人たちを見捨てて幸せになるなんてできないだろう。
それをやったら最後、絶対に心から笑う事が出来なくなる。
だから、血反吐を吐きながら前進するしかない。
思考が煮詰まった時、背後から良くとおった大声が響いた。
「気を付けッ!」
いきなり背後から大声が響いて、隼人は反射的に直立する。
士官学校以来の条件反射である。
「よーし、落ち着いたようだな。怯える新兵にはこれに限る」
振り返ると、菅野直が苦笑しながらこちらを眺めていた。
「流石に新兵扱いはあんまりでは……」
きっと、菅野から見た自分は拗ねた顔をしている事だろう。その表情を見て、菅野は笑った。
「良いんだよ。貴様は軍人になり切れていない。そこが良いところでもある」
その言葉は自分にも向いているんだろうなと、内心で邪推する。
いつしか、手の震えは止まっていた。
「戦いの前にそうなるのは誰しも同じだ。恥じる事は無いし、そうならない方が危ない」
命を預かる仕事は、失うリスクを常に背負う。それ故に、ある程度の無神経さや鈍感さは必須と言える。そうしなければ大局を見据えた判断が出来ないし、心が壊れてしまう。
だが人間はロボットにはなれない。どうしても抱え込むし、苦悩もするし、またそうでなくてはならない。
この点において、菅野直と南部隼人は似た者同士だった。
「またフォローさせてしまいましたね。このお礼はいずれ」
「余計な気を回すな。感謝するなら1機でも多く敵を墜とせ」
ぶっきらぼうな人だ。だけど言葉の端から優しさが見え隠れする。だから慕われる。グレッグも、そして自分も。しかし、敵を山ほど墜とすのは菅野の役目であって自分の物では無い。そんな不遜な事を考えてしまい。
「……善処します」
それは、相手が菅野だからこその甘えであった。期待通り、菅野は人懐っこく苦笑した。
「悪徳議員みたいな物言いをしやがって」
ふと、菅野に逡巡の色が浮かぶ。何かを言い出すか迷っているのか。
果断な彼らしくない態度だ。違和感は感じるが、急かさずに言葉を待った。
「貴様は、怖くないのか?」
震えていた相手に放つには、いささか不自然な台詞だったが、隼人はその意味を正確に理解した。
『戦う事はいい。でも戦う度に失って、嘆く事すら許されない。お前はそれが、怖くないか?』
憧れの菅野直も、自分と同じ恐怖と戦っていたんだ。それを再認識した。
それでも、自分にとって答えはひとつだった。
「飛びますよ、俺は。あいつを失っても、これから大切な人たちがどれだけいなくなっても、飛び続けます。俺にとって飛ぶ事は、大好きな人たちとの絆を感じる事ですから」
菅野は黙って続きを促す。
彼の葛藤はかつて隼人も感じた事だ。だから、それが彼にとって光明になるなら、内心をさらけ出す義務があると感じた。
「だから、飛ばずにはいられない。愛さずにはいられないんです」
我ながらクサい台詞だと思った。でも自分に正直になったら、こう答えるしかない。
文学青年の菅野は今の三文芝居に何点を付けるだろうかなどと、余計な事を考えてみる。
案の定彼は吹き出して、痛快そうに笑う。
「実に貴様らしいな」
「でしょう?」
隼人はぺろり舌を出す。
上官に対しこの反応はありえないが、今の菅野相手だとついやってしまう。
「俺も経験しました。『やりたい事』と『やらなきゃいけない事』のギャップがどうしても埋められないとき、両方投げてしまおうと思った事があります」
空で初めて、屈辱を味わったあの日。全て投げ出してしまおうと思った。でも、そんなのは自分からの逃げ。結局飛びたいと言う渇望が、隼人の元に戻って来た。
「ほう? で、どうしたんだ?」
話半分に聞くと言った体だが、菅野の声色は前のめりだ。
「どうしても止められなかったんですよ。どんなに逃げても、結局飛ぶ事を考えている。だから思ったんです。『両方追いかけてやろう』ってね」
ドヤ顔で言い切ってやるが、菅野はお気に召さなかったようだ。それが出来たらやっているとでも言うように。
「……俺は、そこまで器用には生きられんな」
自嘲気味に吐き捨てる菅野を見て、素直な疑問が湧いてくる。
「そうでしょうか? リィルと話をする大尉は、見たことがないくらい嬉しそうでしたけど?」
不意を突かれたようにきょとんとした表情は、すぐに仏頂面に変わる。
「貴様、あの時出て行ったのは余計な気をきかせやがったな?」
叱責する目は優しそうに笑っていたから、隼人は笑って誤魔化す。
「それはそれとしてですね……」
菅野は苦笑しつつも不満そうだが、反論せず話の続きを促す。
「断言します。本当に好きな事は、どんなに逃げても向こうから追ってきますよ? 俺の例は参考にならんでしょうが、あいつが死ぬと分かっていてもやはり一緒に飛びました。それがあいつの生き方で、俺はそれも含めてあいつを大事に思ってましたから」
そうか、と。菅野の表情から険が抜けた。
「……訂正する。貴様は器用などではない。むしろ、ひたすらに愚直だ」
「でしょう?」
隼人は嬉しそうに歯を見せて笑う。
憧れの飛行機乗りに称賛されたからだろう。その言葉が余計だったと気付いたのは、口から飛び出した後だった。
「俺は文学の素養はありませんが、大尉の詩は美文だと思いますよ? あの文才は棄ててしまうのはもったいない」
菅野は一瞬だけ顔をほころばせたように見えたが、すぐにそれはぎょっとしたような表情に変わる。
前世で菅野の日記が公になったのは彼が戦死した後である。
英雄として名を馳せた彼だが、例え部下と言えども一個人の日記の中身を知るわけがない。
「南部、貴様……」
自分の迂闊さを呪うが全部吐き出すことにした。
菅野は自分や皆の命を預ける男だ。話さないのはフェアでは無いし、少しでも生還の確率を上げる為に情報は共有すべきだろう。
後で色々言われるかもしれないが、仕方ないなと覚悟を決めるしかない。ここでしくじれば「次」なんて無いのだから。
「全部お話いたしますが、ここでは駄目です。後ほど」
菅野は納得いかなそうに唇をへの字に曲げたが、問題の先送りには同意する。
「まあいい。リィルの奴が皆に話があるそうだ。貴様が居ないと話にならん。会議室に行くぞ」
いうだけ言ってぷいと背中を向ける菅野を、隼人はいつものように追いかけた。
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※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜
紫 和春
SF
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。
第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。
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