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◆in the days before

第9話「聖女の煩悶」

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”あの時まで、私は自分を無垢な存在だと思っていました。
それが間違いだと知ったのは、驕りから人の心を傷つけた後でした”

リィル・ガミノの回想録より



Starring:リィル・ガミノ

「なんなんですか! あの失礼な軍人は!」

 怒りを露わにするリィル・ガミノに、ミズキは我関せずとすまし顔。おろおろと彼女の顔色を窺う他のメイドたちも無視だ。
 残された軍人2人、男の方は苦笑と意地の悪い笑みが入り混じったような顔を浮かべ、女性の士官はあからさまに冷たい視線を向けてくる。
 不意に、男の士官――菅野なおし大尉が口を開いた。

「リィル嬢は軍人がお嫌いですか?」

 リィルは流石に直接肯定はせず、婉曲に答えた。

「軍人は物事の捉え方が即物的すぎます。もののあわれを解しません」

 彼女としては精いっぱい背伸びした答えだったが、菅野の反応は失笑だった。
 むっとするリィルに、菅野は咳払いして懐かしむように告げた。

「失礼しました。私もある軍人を同じように評したことがあるのですよ」
「あなたも、ですか? 軍人なのに?」

 それはそうだろう。こんな貫禄のある軍人だって、そう言った感じ方をする事もあるだろう。正直意外だったけれど。

「軍人が必ず戦争を望むとは限りません。例えば先ほどの南部中尉。彼はクロア内戦で同国民が殺し合う姿をその目で見ています。あそこまで怒った理由は分かりませんが、きっと譲れないものがあったのでしょう」

 フォローのつもりなのか、黙り込むリィルにと付け加えた。

「だからと言って先ほどの無礼は看過できないので、後で罰を与えますが」

 別に罰を与えたいわけではない。それはやらなくてもいいと伝えようとしたとき……。

「お嬢様、宜しいでしょうか?」
「何でしょう? ミズキ」

 控えていたミズキが彼女の言葉を断ち切った。
 普通なら主人の会話に割り込むなどありえないが、リィルは気にしない。というよりもう諦めた。

「南部隼人中尉の経歴を調べてみました」
「えっ? いつの間にですか!?」

 彼が部屋を飛び出してから10分と経っていない。
 当然の疑問を「蛇の道は蛇です」とやり過ごし、ミズキは怒りの理由に踏み込む。

「彼の恋人は、クロアで戦死されたようです。民間人を狙う爆撃機を食い止めての、名誉の死だったとか」
「……っ!」

 リィルは、真っ青になって自分の口から出た言葉を反芻する。
 軍人2人も、彼の過去は知らなかったようだ。
 驚いている事は一緒だが、菅野大尉は妙に納得したようにで顎に手を当てる。早瀬沙織少尉は狼狽した表情を隠せず、やがてそれはリィルへの敵意に変わった。

 停止した思考は、ミズキの容赦のない言葉で無理やり再起動させられた。
 追い詰めるように、彼女は告げた。

「お嬢様は、戦争を止めに来たのですか? 人の心を抉りに来たのですか? 後者なら、もう聖都に帰りましょう」

 リィルは立ち上がり、気が付いたら駆け出していた。

 自分は何処に向かっているのか?
 謝るため? 償うため? 傷つけてしまった人の心は、どうやったらもとに戻せるのだろう?

 自分は「良いこと」をしようとしていた。
 ただ、「悪いもの」を取り除こうとした。

 考えもしなかったのだ。
 自分が悪いものだと断じた存在が、泣いたり笑ったり、愛を語らったりするなんて。

 ちょっと考えれば分かる事なのに! 簡単なことだったのに!
 自分は、大馬鹿だ!

 必死に探した南部中尉は何処にも見当たらなくて、気が付いたら自分が何処にいるかも分からなくなって、心細さから、声をあげて泣いた。

 もう戻れないと思った。
 聖女などと祭り上げられ、無垢なつもりでいた自分には戻れない。
 エーナと時を忘れて語らった、あの時の自分には戻れない。

 聖女でなくなった自分を、父はどう思うだろうか?
 ミズキは軽蔑の目を向けてくるだろうか?
 そして、あの子は……。

 怖くて怖くて、ここに居ない南部中尉と竜神に大声で詫びた。

 不意に石鹸の匂いがして、リィルは誰かの腕の中にいた。

「しょうがない聖女様ですね。こんなもの見せられたら、怒るに怒れませんよ」

 呆れと優しさが入り混じった、何とも言えない声で子守唄を歌いながら、早瀬沙織少尉はリィルの髪を撫でた。

「ぐすっ、私、赤ちゃんじゃありません」
「そんな大泣きして良く言いますね。あとでちゃんと師……南部中尉に謝ってくださいね。それでチャラにしてあげます」
「……分かってるもん」
「なら良し」

 早瀬少尉は、リィルが落ち着くまで傍で待ってくれた。ようやく泣き止んだのを見て手を引いてくれた。

「泣き腫らした顔で人前に出たくないでしょう? お湯を沸かしてもらいますから、そこで顔を洗いましょう」

 とぼとぼと歩く基地の廊下は寒くて。
 でも右手の感触はとても暖かかった。

「早瀬少尉は……」
「沙織で良いですよ」
「沙織は、怒ってないのですか?」

 沙織は呆れたように肩をすくめて、告げた。

「怒ってはいましたよ。でも、あなたの感じている焦りや無力感は良くわかりますから」
「だって、私はあなたの好きな人を侮辱したのに……」
「げほっげほっ!」

 むせかえる沙織を、リィルは不思議そうに眺めた。

「あなた大人ぶってると思ったら、無駄にマセてますね。私と師匠せんせいはそんな関係じゃないですよ」
「でも、好きなのはバレバレですよね? 私があんなこと言ったら凄い顔してました」
「知・り・ま・せ・ん・っ」

 ぎゅーっとほっぺたを引っ張られ、「いひゃいです」と自分でも情けない声を出す。

「あなた、やりたくて今回みたいな事をしたんじゃないでしょう? 本当は聖女とか呼ばれるのも嫌なんでしょう?」
「それは……」

 図星だった。
 聖女を演じなければ、彼女・・の死が無駄になると思った。
 父はもう自分の元に戻ってはくれないと思った。

 それが、たった一言の無分別な言葉で崩れてしまった。

 いや、それは違う。
 演じていた聖女像なんて、とっくに壊れていたんだ。

 黙り込むリィルに、沙織は子供をあやすように微笑んでと切り出した。

「私もね。演じていたんです」

 今の彼女はとても自然体で、それだけに違和感を感じる。
 でも聖女の頬っぺたをひっぱるような人間がおべっかを使うわけがない。

「あなたも……、ですか?」
「ええ。大して面白くもない話ですけど、聞きます?」

 頷くリィルに、沙織は再び歩き出す。

「まずは食堂で顔を拭きましょう」
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