1 / 1
愛されない妻は死を望む
しおりを挟む
きっかけは何だったのか。今考えてもその理由はわからない。
きっとあの頃の自分に尋ねたところで答えは一緒だろう。
でも確かにそのきっかけの一つは夫ルーセルの行動だっただろう。
私はシェリアンナ・マルセール。由緒あるマルセール侯爵家の一人娘だった。
両親はたった一人の娘である私を可愛がってくれ、そして私の結婚相手は私を真に愛している殿方でなければならないと常日頃から言っていた。
もしルーセルがパーティーで私に求婚なんてしなければ私はあの人の妻にはならなかった。
なりたくなかった。
好きでもない人に求婚されて、見ず知らずの人に手を取られて困惑したし本当に嫌だった。
でもルーセルは国内唯一のオーウェン公爵家の嫡男で宰相の補佐官でもある。
由緒ある侯爵家はオーウェン公爵家からの縁談だったら断れたかもしれない。
けれど相手は宰相の信頼も厚いルーセルからの書簡ではない人前での公開告白だった。
断ればルーセルはもちろんオーウェン公爵家の顔にも泥を塗ることになる。
かといって保留にして欲しいだなんて言えば素直に思いをぶつけているルーセルに対して失礼だとマルセール侯爵家が社交界で爪弾きにあう。
だから、受けるという私の判断は間違えていなかったと思う。
両親は私をあの場で一人にし、一人で判断させたことを悔やみ泣いた。
今更断ることなんてできない。
断ろうものなら公爵家はもちろん王家からも睨まれるだろう。
そうなってしまったらマルセール侯爵家はやっていけなくなる。
それを防ぐためにも私がルーセルを好きだと偽るしかなかった。
ルーセルとはあの後すぐに婚約した。
婚約中、ルーセルはとても優しかった。
私のお願いは何でも聞いてくれた。
なんでもと言ってもそこまで規模の大きいお願いじゃない。
この花が欲しいとか、このブレスレットが欲しいとか。
そんなに高額なものは強請らなかった。
結婚式は婚約してからおよそ半年。
異例のスピード結婚だった。
結婚してからもルーセルは私に優しくしてくれた。
閨もともにした。
けれど結婚から二年がたって、それからルーセルは変わった。
二・三日家に帰らないことは普通で、時には一週間家に帰らない日もあった。
それとなく侍女に聞いてもいつもお仕事が忙しいのですねとはぐらかされるばかりで何も教えてくれない。
そんな日々が続いた。
私は六日ぶりに帰宅したルーセルに聞いてしまった。
「どうして最近家に帰らないのかしら?今回は六日、前回だなんて一週間も家に帰らなかったじゃない。」
その質問をどうとったのかはわからない。
それでもあんなこと言うだなんて思わなかった。
「お前には言っていなかったが私には愛する人がいる。だが彼女は平民で公爵家当主である私の正妻にはなれない。かといって正妻もいないのに第二夫人として召し上げることも外聞が悪くできない。だからお前を娶り、頃合いを見て彼女を第二夫人にするつもりだった。」
頃合いを見て?
その間が二年ということ?
それともまだ第二夫人にする気はないのかしら?
あまりのスピード結婚だったから世間ではいまだに噂されている。
殿方たちの間ではどちらが先に浮気するかをかけているとか。
まだ噂されているのに迎えることはできないそう思っていた私が馬鹿だった。
その日はすぐに訪れた。
ルーセルが愛人の存在を明らかにしてかたった一週間後のことだった。
六日も家に帰らず、ようやく帰って来たかと思えばルーセルの隣には赤ん坊を抱いた金髪の綺麗な女性が立っていた。
赤ん坊?
子供?
まさか正妻である私の間に子供の一人もできていないのに結婚すらしていない愛人との間に子供を作った・・・。
普通、貴族では愛人を持つことは普通だ。
それを認めない妻は社交界ではおかしい人とみなされる。
それと同じで正妻との間に子供がいないのに愛人との間に子供を作った場合、愛人と夫が制裁を受ける。
挙句の果てに愛人との子供を正妻が産んだ子供にしろだなんて言ったら・・・それが国にばれたらその家はおとり潰しとなる。
けれどルーセルは常識の通じない人。
つまり自分が罰せられるだなんて考えすらしていないのだ。
平気で愛人の子を私が産んだ子にしろとでも言いそうだ。
そして私の予感は的中した。
「お帰りなさいませ旦那様。」
ルーセルと愛人を見てにっこりと笑った私にあの人は言い放った。
「出迎えご苦労。だが明日からはいらない。明日からはリリアーナが出迎えてくれるのだから。」
ルーセルは愛人リリアーナに愛おし気に言う。
「つまりそちらの方はこの屋敷に住むということで間違えはありませんね?」
「ああ、そうだ。そして明日は私とリリアーナの結婚式。リリアーナを第二夫人として迎える。」
その言葉を聞いた時この人は噂なんて何も知らないんだと分かった。
噂を知っていればもう少し先延ばしにするはず。
「そしてリリアーナの産んだ子はお前の子として申請する。」
言うと思った。
ふと振り返ってみれば後ろにいる侍女たちは嬉しそうな表情で立っていた。
その瞳の先にはリリアーナがいた。
それを見た瞬間私は納得してしまった。
そういうことかと。
皆知っていたのだ。
リリアーナはこの屋敷で働く人みんなに受け入れられていた。
私はもともと、最初から受け入れられてなんていなかったのだ。
使用人たちはルーセルの計画を知っていたし、私がお飾り妻だということも知っていたのだ。
あの二年間、皆本当に私によくしてくれた。
でも本当は二年後にお飾りとなる私を不憫に思っての行動だったのだろう。
悲しかった。そんな配慮いらなかった。
お飾りならお飾りだと最初に言ってほしかった。
人前で求婚したのだから当然私を愛してくれていると思い込んでいた。
でも、あの行動は演技だった。
その事実は私の心を深く抉った。
私が幸せになることを願って送り出してくれたお父様にもお母様にも顔向けができない。
「かしこまりました。」
私はそういうしかなかった。
そしてそれからというものルーセルはパーティーへの同伴者をリリアーナとした。
そして私は別邸に追い出された。
子供は正妻の子。
正妻は子供を産んだからいらないと捨てられた。
子供さえいれば愛人を迎えても文句は言われない。
あんなに熱烈な求婚をし、スピード結婚した夫妻があっという間に別居状態になったことに社交界の皆はやっぱりとうなづいたそうだ。
これは私についてきてくれた実家からの侍女サリーナからの情報だ。
あんな人前で求婚し、断れない状態を作り出しておきながら、その正妻を捨てたルーセルに対しての社交界の判断は厳しいものだった。
結婚するという選択肢しか与えず、いらなくなったら捨てる、それは貴族としては最低なことだった。
相手が子爵令嬢や男爵令嬢だったら泣き寝入りですんだだろう。
しかし相手は由緒あるマルセール侯爵家だった。
一筋縄ではいかない存在だった。
そしてその話は国王や宰相のもとにまで届き、ルーセルは彼らの信頼を失ったそうだ。
けれど私がその話を知ったときにはすでに遅かった。
私は別邸で意地悪な侍女に虐められ、食事は一日一食パンのみ、部屋から出れば嘲笑の的に、部屋にいればやってきた侍女に暴言を吐かれる毎日を送っていた。
別邸に勤める侍女たちはルーセルとリリアーナが結婚できないのは私がいるからだと考えたみたいだ。
私についてきてくれたサリーナは私と同様に虐められ、体調を崩し、しばらく休むことになった。
サリーナがいなくなると私への虐めはさらに勢いを増した。
きっとお父様たちに助けを求めればきっと助けてくれただろう。
けれど私には頼ることのできない理由があった。
実家を守りたかったから。
国王と宰相がまだルーセルのことを信頼していると思い込んでいたから。
もし私が逃げかえればきっとマルセール侯爵家は睨まれてしまう。
侯爵家が立ち行かなくなってしまう。
私はそう考えた。
その時に今のルーセルの話を知っていたら少しは結末も変わっていたかもしれない。
あるときから私は少しずつ楽になる方法を考え始めた。
今の状態から逃げるにはどうしたらいいか。
けれど私をこんな目に合わせたルーセルたちは許せなかった。
でも実家には迷惑はかけられない、逃げ出すという選択はなかった。
だから私は毒を飲むことにした。
町には薬屋があり、そこでは毒薬も扱っているとか。私は屋敷の人に気づかれないように町に降りた。
その薬屋の店長は女の人で私の境遇を知るとその毒を売ってくれた。
正しい使い方の紙、もしもの際の解毒剤も含めてくれた。
屋敷に帰った私は計画を立てた。
私が毒を飲んだことはきっとあの人の耳には伝わる。
けれどなんの対処もしないだろう。
きっと放っておけとでも言うだろう。
もし正妻が生死をさまよっているときにパーティーに行っていたら?
外聞が悪いどころの話ではない。
確か一週間後にパーティーがあったはず。
早馬は早くて二日かかる。
そう考えればパーティーが行われるその日に早馬がつくようにすればいい。
計画の実行はパーティー開催の日の二日前の朝食後すぐ。
侍女たちは私を虐めるために朝食後すぐに部屋に来るのだ。
そこを狙えばいい。
万が一早馬の到着がはやくなってもあの人はパーティーに行くことを辞めたりはしない。
何故か確信があった。
そして決行の日。
私は朝食を食べ終わり、侍女が食器を下げた後、侍女が仲間を引き連れて戻ってくる前に引き出しから毒の瓶を取り出すと、使用適量分の毒を口の中にいれ、水で流し込んだ。
解毒剤は同じ引き出しの中にある。
近くには用意しなかった。
解毒するつもりはなかったし、
何より近くにおいておけば飲まされ解毒される可能性がある。
飲んだ瞬間感じたのは激痛だった。
どこから来るのか分からない。
全身が痛い。
燃えるようにあつい。
まるで体が燃えているかのように。
喉が痛い。
「ゲホッ!」
咳が出て、ぼたぼたと血がたれた。
目の前を滴り落ち、
絨毯を赤く染めるのを見ながらこれでよかったのだ、と感じた。
「失礼しますー。」
いつものようにノックもなしに扉を開けた侍女とその仲間たちは口から血を流しながら倒れている私を見て絶句した。
みるみるうちに真っ青になる。
「お、奥様!?」
あら、いつもは旦那様を誑かした阿婆擦れとか呼ぶくせに突然どうしたのかしら?
ああ、痛いわ。
もう目も開けていられない。
耳もかすかに音を拾うだけ。
「奥様!シェリアンナ様!」
そんなに心配したような声を出してどうしたの?
私は邪魔なのでしょう?
いなくなれば世間を気にせずにあの二人は一緒にいられるじゃない。
いいじゃない・・・。
もう何も考えることができない。
それでも侍女の最後の言葉だけは聞こえた。
「早くお医者様を!エルネスト様もお呼びして!」
エルネスト・・・懐かしい名前だわ。
私の幼馴染だった私の護衛騎士・・・。
彼がどうしたのかしら?
「シェリアンナお嬢様!」
エルネストの声がする。
私・・・もう駄目かも。
こんな幻聴が聞こえるだなんて。
もう・・・だめ・・・かも・・・。
本当は死にたくなかった。
本音を言えば私はエルネストのことが好きだった。
昔から・・・。
最後に聞けるのが貴方の声で本当にうれしい・・・。
「・・・ん・・・こ、ここは?」
私が次に目を覚ました時、そこは見覚えのない部屋だった。
真っ白な壁に白色のソファー、テーブル。
ベットもすべて白で整えられた部屋。
そもそもここはどこなのかしら?
天国?
それとも地獄なのかしら。
地獄がこんな綺麗なところだなんて不思議な気分。
「ああ、シェリアンナお嬢様。目が覚めたのですね。本当によかった。」
ここがどこなのか考えている私の耳に意識を失う前に聞いたエルネストの声だった。
「エル・・エルネスト?」
私は声が震えるのが分かった。
ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
私は生きている。
零れ落ちる涙が止まらない。
「お嬢様、ご無事でよかったです。」
エルネストはほっとしたように笑う。
私は小さい頃からその笑顔が何よりも大好きだった。
「エルネスト、どうして私助かって・・・?」
私は毒を飲んだはず。
店の人に言われた量はきちんと飲んだ。
解毒薬は用意していたけれど探さなくては見つからないところに置いておいた。
確か・・・引き出しの中だったかしら?
「引き出しの中にありましたよ。これが解毒薬なのはすぐにわかりました。町の薬屋に聞きましたから。」
エルネストは小瓶を私に見せる。
「・・・そう。」
「お嬢様、生きているのは嫌ですか?」
不意にエルネストが尋ねてきた。
突然の質問に私はどう答えればいいのか分からなかった。
答えがなかった。
エルネストの声を聞くまでは、ただ復讐のために死を選び、そのことを後悔すらしていなかった。
けれど、幻聴かもしれないけれどエルネストの声が耳に入ったとき思ってしまった。
死にたくないと。
死ぬ前にエルネストに好きだと一言伝えたかった。
「私は・・・死にたくない・・・。」
私の口からそんな言葉が漏れていた。
「よかった。死にたいだなんて言われたらどうしようかと思いました。原因はここの使用人たちとルーセル公爵ですね?」
そう聞かれるとはい、以外は言えなかった。
「そう・・・ね。もとの原因はそうね。」
「そのことで話があります。」
エルネスト・・・どうしたのかしら?
そんな真剣な表情をして。
「ルーセル殿ですがリリアーナという愛人を連れて行ったことによりあの熱烈な求婚は何だったのかと噂され、その話が国王、宰相のもとにまで届き、シェリアンナお嬢様が服毒なさる前にすでにその信頼は失墜していました。国王も離婚手続きを進めていたところのようでした。」
つまり私は毒を飲まなくてもよかったということ?
「ルーセルは今はどうしてるの?」
「ルーセル殿は現在王宮の地下牢にいます。愛人リリアーナも同様です。」
「貴族牢ではないの?」
エルネストは首を振る。
「愛人の子をお嬢様の子と偽っていたことがばれてしまったのです。またお嬢様が毒で生死をさまよっているときにパーティーに行っていましたのでそのことも含めて貴族籍剥奪の上牢屋に閉じ込められています。」
「それで・・・ここは?」
私はきょろきょろとする。
「ここは私の屋敷です。侯爵夫妻にも許可はもらっています。」
エルネストの言葉に私は驚いた。
エルネストは護衛騎士。
貴族籍も持っていないし、屋敷を持て、綺麗に維持できるだけのお金があるとは思えなかった。
「お嬢様、驚きですか?実は私はお嬢様に秘密にしていたことがあるのです。」
秘密?
何かしら・・・?
「実は私はフェルメント皇国の皇太子なんです。」
「は?」
あのエルネストが大陸最強と言われるフェルメント皇国の皇太子殿下?
言われてみれば名前も同じだし、顔も似ているわ。
髪の色は違うけれどカモフラージュだと思えば・・・。
まさか本当にエルネストが皇太子殿下・・・?
嘘でしょう!
「お嬢様、顔に出ていますよ。」
「本当に皇太子殿下なのですか?」
私は恐る恐る聞く。
すると彼はものすごく不機嫌そうな表情になった。
私なんか今失言したかしら!?
「ええ、そうですよ。ところでお嬢様、皇太子殿下ではなくエルネストと今まで通りにお願いします。」
「そういうエルネストも。私のことお嬢様っていうのやめて。」
皇太子が公爵夫人に・・・いいえ、侯爵令嬢にお嬢様はちょっとやば・・・じゃなくてやめた方がいい気がする。
「分かりました。」
「ところでエルネストは何で私の護衛騎士なんかになったの?」
「パーティーでシェリアンナを見かけて・・・ひとめぼれしました。」
ひとめぼれ!?
嘘でしょう?
エルネストが私に?
「待って!いつのパーティー?」
「七歳の時にこの国で開かれたパーティーです。」
「七歳!?確かにあのパーティーの後に私の護衛騎士候補だって貴方が来たけど・・・。」
私は顔が引きつるのが分かった。
この人皇太子教育をすっぽかしてずっと私の護衛騎士をやっていたってことよね?
「皇太子教育のことは安心して。もう全部終わらせてますから。」
「七歳で・・・?それよりも敬語やめて!なんかいやだ。」
でもエルネストが私のことを好きだったなんてすごく嬉しい。
「ね、エルネスト。」
私が声をかけるとエルネストは私に微笑んでくれる。
ああ、この笑顔が好き。
「私もよ。私もエルネストのことが好き。」
「シェリアンナ!」
驚いたように目を丸くしてる。
こんなエルネスト初めて見る。
「嘘・・・ではないのですね?」
「嘘を言ってどうするのよ。本心よ。」
エルネストは心底嬉しそうに笑うと私を抱きしめた。
「愛していますシェリアンナ。」
きっとあの頃の自分に尋ねたところで答えは一緒だろう。
でも確かにそのきっかけの一つは夫ルーセルの行動だっただろう。
私はシェリアンナ・マルセール。由緒あるマルセール侯爵家の一人娘だった。
両親はたった一人の娘である私を可愛がってくれ、そして私の結婚相手は私を真に愛している殿方でなければならないと常日頃から言っていた。
もしルーセルがパーティーで私に求婚なんてしなければ私はあの人の妻にはならなかった。
なりたくなかった。
好きでもない人に求婚されて、見ず知らずの人に手を取られて困惑したし本当に嫌だった。
でもルーセルは国内唯一のオーウェン公爵家の嫡男で宰相の補佐官でもある。
由緒ある侯爵家はオーウェン公爵家からの縁談だったら断れたかもしれない。
けれど相手は宰相の信頼も厚いルーセルからの書簡ではない人前での公開告白だった。
断ればルーセルはもちろんオーウェン公爵家の顔にも泥を塗ることになる。
かといって保留にして欲しいだなんて言えば素直に思いをぶつけているルーセルに対して失礼だとマルセール侯爵家が社交界で爪弾きにあう。
だから、受けるという私の判断は間違えていなかったと思う。
両親は私をあの場で一人にし、一人で判断させたことを悔やみ泣いた。
今更断ることなんてできない。
断ろうものなら公爵家はもちろん王家からも睨まれるだろう。
そうなってしまったらマルセール侯爵家はやっていけなくなる。
それを防ぐためにも私がルーセルを好きだと偽るしかなかった。
ルーセルとはあの後すぐに婚約した。
婚約中、ルーセルはとても優しかった。
私のお願いは何でも聞いてくれた。
なんでもと言ってもそこまで規模の大きいお願いじゃない。
この花が欲しいとか、このブレスレットが欲しいとか。
そんなに高額なものは強請らなかった。
結婚式は婚約してからおよそ半年。
異例のスピード結婚だった。
結婚してからもルーセルは私に優しくしてくれた。
閨もともにした。
けれど結婚から二年がたって、それからルーセルは変わった。
二・三日家に帰らないことは普通で、時には一週間家に帰らない日もあった。
それとなく侍女に聞いてもいつもお仕事が忙しいのですねとはぐらかされるばかりで何も教えてくれない。
そんな日々が続いた。
私は六日ぶりに帰宅したルーセルに聞いてしまった。
「どうして最近家に帰らないのかしら?今回は六日、前回だなんて一週間も家に帰らなかったじゃない。」
その質問をどうとったのかはわからない。
それでもあんなこと言うだなんて思わなかった。
「お前には言っていなかったが私には愛する人がいる。だが彼女は平民で公爵家当主である私の正妻にはなれない。かといって正妻もいないのに第二夫人として召し上げることも外聞が悪くできない。だからお前を娶り、頃合いを見て彼女を第二夫人にするつもりだった。」
頃合いを見て?
その間が二年ということ?
それともまだ第二夫人にする気はないのかしら?
あまりのスピード結婚だったから世間ではいまだに噂されている。
殿方たちの間ではどちらが先に浮気するかをかけているとか。
まだ噂されているのに迎えることはできないそう思っていた私が馬鹿だった。
その日はすぐに訪れた。
ルーセルが愛人の存在を明らかにしてかたった一週間後のことだった。
六日も家に帰らず、ようやく帰って来たかと思えばルーセルの隣には赤ん坊を抱いた金髪の綺麗な女性が立っていた。
赤ん坊?
子供?
まさか正妻である私の間に子供の一人もできていないのに結婚すらしていない愛人との間に子供を作った・・・。
普通、貴族では愛人を持つことは普通だ。
それを認めない妻は社交界ではおかしい人とみなされる。
それと同じで正妻との間に子供がいないのに愛人との間に子供を作った場合、愛人と夫が制裁を受ける。
挙句の果てに愛人との子供を正妻が産んだ子供にしろだなんて言ったら・・・それが国にばれたらその家はおとり潰しとなる。
けれどルーセルは常識の通じない人。
つまり自分が罰せられるだなんて考えすらしていないのだ。
平気で愛人の子を私が産んだ子にしろとでも言いそうだ。
そして私の予感は的中した。
「お帰りなさいませ旦那様。」
ルーセルと愛人を見てにっこりと笑った私にあの人は言い放った。
「出迎えご苦労。だが明日からはいらない。明日からはリリアーナが出迎えてくれるのだから。」
ルーセルは愛人リリアーナに愛おし気に言う。
「つまりそちらの方はこの屋敷に住むということで間違えはありませんね?」
「ああ、そうだ。そして明日は私とリリアーナの結婚式。リリアーナを第二夫人として迎える。」
その言葉を聞いた時この人は噂なんて何も知らないんだと分かった。
噂を知っていればもう少し先延ばしにするはず。
「そしてリリアーナの産んだ子はお前の子として申請する。」
言うと思った。
ふと振り返ってみれば後ろにいる侍女たちは嬉しそうな表情で立っていた。
その瞳の先にはリリアーナがいた。
それを見た瞬間私は納得してしまった。
そういうことかと。
皆知っていたのだ。
リリアーナはこの屋敷で働く人みんなに受け入れられていた。
私はもともと、最初から受け入れられてなんていなかったのだ。
使用人たちはルーセルの計画を知っていたし、私がお飾り妻だということも知っていたのだ。
あの二年間、皆本当に私によくしてくれた。
でも本当は二年後にお飾りとなる私を不憫に思っての行動だったのだろう。
悲しかった。そんな配慮いらなかった。
お飾りならお飾りだと最初に言ってほしかった。
人前で求婚したのだから当然私を愛してくれていると思い込んでいた。
でも、あの行動は演技だった。
その事実は私の心を深く抉った。
私が幸せになることを願って送り出してくれたお父様にもお母様にも顔向けができない。
「かしこまりました。」
私はそういうしかなかった。
そしてそれからというものルーセルはパーティーへの同伴者をリリアーナとした。
そして私は別邸に追い出された。
子供は正妻の子。
正妻は子供を産んだからいらないと捨てられた。
子供さえいれば愛人を迎えても文句は言われない。
あんなに熱烈な求婚をし、スピード結婚した夫妻があっという間に別居状態になったことに社交界の皆はやっぱりとうなづいたそうだ。
これは私についてきてくれた実家からの侍女サリーナからの情報だ。
あんな人前で求婚し、断れない状態を作り出しておきながら、その正妻を捨てたルーセルに対しての社交界の判断は厳しいものだった。
結婚するという選択肢しか与えず、いらなくなったら捨てる、それは貴族としては最低なことだった。
相手が子爵令嬢や男爵令嬢だったら泣き寝入りですんだだろう。
しかし相手は由緒あるマルセール侯爵家だった。
一筋縄ではいかない存在だった。
そしてその話は国王や宰相のもとにまで届き、ルーセルは彼らの信頼を失ったそうだ。
けれど私がその話を知ったときにはすでに遅かった。
私は別邸で意地悪な侍女に虐められ、食事は一日一食パンのみ、部屋から出れば嘲笑の的に、部屋にいればやってきた侍女に暴言を吐かれる毎日を送っていた。
別邸に勤める侍女たちはルーセルとリリアーナが結婚できないのは私がいるからだと考えたみたいだ。
私についてきてくれたサリーナは私と同様に虐められ、体調を崩し、しばらく休むことになった。
サリーナがいなくなると私への虐めはさらに勢いを増した。
きっとお父様たちに助けを求めればきっと助けてくれただろう。
けれど私には頼ることのできない理由があった。
実家を守りたかったから。
国王と宰相がまだルーセルのことを信頼していると思い込んでいたから。
もし私が逃げかえればきっとマルセール侯爵家は睨まれてしまう。
侯爵家が立ち行かなくなってしまう。
私はそう考えた。
その時に今のルーセルの話を知っていたら少しは結末も変わっていたかもしれない。
あるときから私は少しずつ楽になる方法を考え始めた。
今の状態から逃げるにはどうしたらいいか。
けれど私をこんな目に合わせたルーセルたちは許せなかった。
でも実家には迷惑はかけられない、逃げ出すという選択はなかった。
だから私は毒を飲むことにした。
町には薬屋があり、そこでは毒薬も扱っているとか。私は屋敷の人に気づかれないように町に降りた。
その薬屋の店長は女の人で私の境遇を知るとその毒を売ってくれた。
正しい使い方の紙、もしもの際の解毒剤も含めてくれた。
屋敷に帰った私は計画を立てた。
私が毒を飲んだことはきっとあの人の耳には伝わる。
けれどなんの対処もしないだろう。
きっと放っておけとでも言うだろう。
もし正妻が生死をさまよっているときにパーティーに行っていたら?
外聞が悪いどころの話ではない。
確か一週間後にパーティーがあったはず。
早馬は早くて二日かかる。
そう考えればパーティーが行われるその日に早馬がつくようにすればいい。
計画の実行はパーティー開催の日の二日前の朝食後すぐ。
侍女たちは私を虐めるために朝食後すぐに部屋に来るのだ。
そこを狙えばいい。
万が一早馬の到着がはやくなってもあの人はパーティーに行くことを辞めたりはしない。
何故か確信があった。
そして決行の日。
私は朝食を食べ終わり、侍女が食器を下げた後、侍女が仲間を引き連れて戻ってくる前に引き出しから毒の瓶を取り出すと、使用適量分の毒を口の中にいれ、水で流し込んだ。
解毒剤は同じ引き出しの中にある。
近くには用意しなかった。
解毒するつもりはなかったし、
何より近くにおいておけば飲まされ解毒される可能性がある。
飲んだ瞬間感じたのは激痛だった。
どこから来るのか分からない。
全身が痛い。
燃えるようにあつい。
まるで体が燃えているかのように。
喉が痛い。
「ゲホッ!」
咳が出て、ぼたぼたと血がたれた。
目の前を滴り落ち、
絨毯を赤く染めるのを見ながらこれでよかったのだ、と感じた。
「失礼しますー。」
いつものようにノックもなしに扉を開けた侍女とその仲間たちは口から血を流しながら倒れている私を見て絶句した。
みるみるうちに真っ青になる。
「お、奥様!?」
あら、いつもは旦那様を誑かした阿婆擦れとか呼ぶくせに突然どうしたのかしら?
ああ、痛いわ。
もう目も開けていられない。
耳もかすかに音を拾うだけ。
「奥様!シェリアンナ様!」
そんなに心配したような声を出してどうしたの?
私は邪魔なのでしょう?
いなくなれば世間を気にせずにあの二人は一緒にいられるじゃない。
いいじゃない・・・。
もう何も考えることができない。
それでも侍女の最後の言葉だけは聞こえた。
「早くお医者様を!エルネスト様もお呼びして!」
エルネスト・・・懐かしい名前だわ。
私の幼馴染だった私の護衛騎士・・・。
彼がどうしたのかしら?
「シェリアンナお嬢様!」
エルネストの声がする。
私・・・もう駄目かも。
こんな幻聴が聞こえるだなんて。
もう・・・だめ・・・かも・・・。
本当は死にたくなかった。
本音を言えば私はエルネストのことが好きだった。
昔から・・・。
最後に聞けるのが貴方の声で本当にうれしい・・・。
「・・・ん・・・こ、ここは?」
私が次に目を覚ました時、そこは見覚えのない部屋だった。
真っ白な壁に白色のソファー、テーブル。
ベットもすべて白で整えられた部屋。
そもそもここはどこなのかしら?
天国?
それとも地獄なのかしら。
地獄がこんな綺麗なところだなんて不思議な気分。
「ああ、シェリアンナお嬢様。目が覚めたのですね。本当によかった。」
ここがどこなのか考えている私の耳に意識を失う前に聞いたエルネストの声だった。
「エル・・エルネスト?」
私は声が震えるのが分かった。
ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
私は生きている。
零れ落ちる涙が止まらない。
「お嬢様、ご無事でよかったです。」
エルネストはほっとしたように笑う。
私は小さい頃からその笑顔が何よりも大好きだった。
「エルネスト、どうして私助かって・・・?」
私は毒を飲んだはず。
店の人に言われた量はきちんと飲んだ。
解毒薬は用意していたけれど探さなくては見つからないところに置いておいた。
確か・・・引き出しの中だったかしら?
「引き出しの中にありましたよ。これが解毒薬なのはすぐにわかりました。町の薬屋に聞きましたから。」
エルネストは小瓶を私に見せる。
「・・・そう。」
「お嬢様、生きているのは嫌ですか?」
不意にエルネストが尋ねてきた。
突然の質問に私はどう答えればいいのか分からなかった。
答えがなかった。
エルネストの声を聞くまでは、ただ復讐のために死を選び、そのことを後悔すらしていなかった。
けれど、幻聴かもしれないけれどエルネストの声が耳に入ったとき思ってしまった。
死にたくないと。
死ぬ前にエルネストに好きだと一言伝えたかった。
「私は・・・死にたくない・・・。」
私の口からそんな言葉が漏れていた。
「よかった。死にたいだなんて言われたらどうしようかと思いました。原因はここの使用人たちとルーセル公爵ですね?」
そう聞かれるとはい、以外は言えなかった。
「そう・・・ね。もとの原因はそうね。」
「そのことで話があります。」
エルネスト・・・どうしたのかしら?
そんな真剣な表情をして。
「ルーセル殿ですがリリアーナという愛人を連れて行ったことによりあの熱烈な求婚は何だったのかと噂され、その話が国王、宰相のもとにまで届き、シェリアンナお嬢様が服毒なさる前にすでにその信頼は失墜していました。国王も離婚手続きを進めていたところのようでした。」
つまり私は毒を飲まなくてもよかったということ?
「ルーセルは今はどうしてるの?」
「ルーセル殿は現在王宮の地下牢にいます。愛人リリアーナも同様です。」
「貴族牢ではないの?」
エルネストは首を振る。
「愛人の子をお嬢様の子と偽っていたことがばれてしまったのです。またお嬢様が毒で生死をさまよっているときにパーティーに行っていましたのでそのことも含めて貴族籍剥奪の上牢屋に閉じ込められています。」
「それで・・・ここは?」
私はきょろきょろとする。
「ここは私の屋敷です。侯爵夫妻にも許可はもらっています。」
エルネストの言葉に私は驚いた。
エルネストは護衛騎士。
貴族籍も持っていないし、屋敷を持て、綺麗に維持できるだけのお金があるとは思えなかった。
「お嬢様、驚きですか?実は私はお嬢様に秘密にしていたことがあるのです。」
秘密?
何かしら・・・?
「実は私はフェルメント皇国の皇太子なんです。」
「は?」
あのエルネストが大陸最強と言われるフェルメント皇国の皇太子殿下?
言われてみれば名前も同じだし、顔も似ているわ。
髪の色は違うけれどカモフラージュだと思えば・・・。
まさか本当にエルネストが皇太子殿下・・・?
嘘でしょう!
「お嬢様、顔に出ていますよ。」
「本当に皇太子殿下なのですか?」
私は恐る恐る聞く。
すると彼はものすごく不機嫌そうな表情になった。
私なんか今失言したかしら!?
「ええ、そうですよ。ところでお嬢様、皇太子殿下ではなくエルネストと今まで通りにお願いします。」
「そういうエルネストも。私のことお嬢様っていうのやめて。」
皇太子が公爵夫人に・・・いいえ、侯爵令嬢にお嬢様はちょっとやば・・・じゃなくてやめた方がいい気がする。
「分かりました。」
「ところでエルネストは何で私の護衛騎士なんかになったの?」
「パーティーでシェリアンナを見かけて・・・ひとめぼれしました。」
ひとめぼれ!?
嘘でしょう?
エルネストが私に?
「待って!いつのパーティー?」
「七歳の時にこの国で開かれたパーティーです。」
「七歳!?確かにあのパーティーの後に私の護衛騎士候補だって貴方が来たけど・・・。」
私は顔が引きつるのが分かった。
この人皇太子教育をすっぽかしてずっと私の護衛騎士をやっていたってことよね?
「皇太子教育のことは安心して。もう全部終わらせてますから。」
「七歳で・・・?それよりも敬語やめて!なんかいやだ。」
でもエルネストが私のことを好きだったなんてすごく嬉しい。
「ね、エルネスト。」
私が声をかけるとエルネストは私に微笑んでくれる。
ああ、この笑顔が好き。
「私もよ。私もエルネストのことが好き。」
「シェリアンナ!」
驚いたように目を丸くしてる。
こんなエルネスト初めて見る。
「嘘・・・ではないのですね?」
「嘘を言ってどうするのよ。本心よ。」
エルネストは心底嬉しそうに笑うと私を抱きしめた。
「愛していますシェリアンナ。」
325
お気に入りに追加
183
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
私が死んだあとの世界で
もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。
初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。
だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。
愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
だってそういうことでしょう?
杜野秋人
恋愛
「そなたがこれほど性根の卑しい女だとは思わなかった!今日この場をもってそなたとの婚約を破棄する!」
夜会の会場に現れた婚約者様の言葉に驚き固まるわたくし。
しかも彼の隣には妹が。
「私はそなたとの婚約を破棄し、新たに彼女と婚約を結ぶ!」
まあ!では、そういうことなのですね!
◆思いつきでサラッと書きました。
一発ネタです。
後悔はしていません。
◆小説家になろう、カクヨムでも公開しています。あちらは短編で一気読みできます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
元夫と愛人は処刑じゃないのか(笑)。使用人達は連座で牢屋行きじゃないの?。
ルーセルは兎も角…使用人の方が罪が重くない?貴族を使用人がないがしろにしていたんでしょ?使用人が自殺に追い込んだようなもんじゃん。使用人について書かれていないことに違和感を覚えました。
ルーセルと愛人の子供も始末した方がいいと思います。源家でも子供が可哀想と助けて平家は追い詰められましたからね。また、使用人は全員、消さなければならないかと。侯爵家の娘さんをないがしろにした挙句、だましていたわけですから。立場の低い使用人がね。。。