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肆 刻まれし罪

《三》本当の嫁にするなら【前】

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目を覚ますと、そこはまた、暗がりのなかだった。

「……待て。いま、灯りをつける」

起き上がり、辺りを見回した百合子の視界の端で、声と共に何かが動く。

ぽっ……と、灯された火に浮かびあがるのは、ざんばら髪の少年の姿。
そして、見覚えのある室内──百合子、いや『小百合』が“召喚”された三畳ほどの板の間。

格子戸の向こうは、闇夜。まさしく新月の晩であった。

「……私は、なぜここにいる?」

眉をひそめ、百合子は黒い“神獣”の“化身”を見つめる。
少年は、百合子の視線から逃れるように、闇向こうに目を向けた。

「今宵は、見ての通りの新月───おぬしの願いが、ようやく叶うのじゃ。
……待たせて、すまなかったのう」

言って立ち上がったコクコは、微笑みを浮かべ百合子の側に近寄ってきた。
その手には、金色に輝く稲穂がある。

「この“神宝具じんぽうぐ”が」

百合子に手渡しながら、少年が告げた。

「おぬしが想う『時と空間』に、連れていってくれるはずじゃ。これで、おぬしは元の世界に、帰れる」

重ねられた指に、ぎゅっと力が込められる。

「百合。短い間であったが、おぬしがわしの“花嫁”でいてくれて、良か───」
「勝手なことを言うなっ……!」

コクコの言葉をさえぎって、百合子はその手を思いきり払いのける。
拍子に、金色の稲穂が宙を舞い、きらきらとした光をき散らしたのち───消えた。

その様に驚き、目をみはったコクコの黒い道着の胸ぐらを、百合子はぐいとつかみ上げる。

「お前はっ……私をなんだと思っている!」
「ゆ、百合? いったい、何を怒っておるのだ……?」

百合子の怒りをまるで理解できないでいるコクコは、なすがまま百合子を見上げあっけにとられている。

「私の都合も訊かず、ここにんで“花嫁”にしておきながら、今夜は新月だから私を元の世界に還してやるだと!? ふざけるのも大概にしろ!」

ぱちぱちと目をしばたたかせていたコクコは、そこでようやく合点がいった表情をした。

「……百合の怒りは最もなことじゃな。おぬしの気が治まらぬのも道理。
わしを殴るなり蹴るなり、好きにするが良い」
「……っ!」

「それでも治まらぬというなら、そこにあるさかずき神酒みきを注ぎ、呑めば気も休まるはずじゃ。
それは“忘却の盃”というてな。おぬしがこの世界で見聞きしたすべてを、忘れ去ることができる」
「……お前はっ……!」

淡々と自分との別れを進めようとする黒い神の獣。

百合子は、腹の底から猛烈にわき上がる悔しさに、言葉に詰まってしまった。
自分ひとりが彼との繋がりを無くすことを、惜しんでいる気がしたからだ。

(私は、なんのために──)

自分でも持て余すほどの怒りは急激に反転し、虚しさが胸のうちに広がった。

コクコの胸ぐらをつかんだ指先から、力が抜ける。
百合子を“陽ノ元”に繋ぎ止めた心残りの糸が、ぷつんと切れかかった、その時。
百合子の目に、コクコの着物の合わせからのぞいた傷痕が飛びこんできた。

『これが、わしの“役割”じゃ』

自分で自分に言い聞かしていた、哀しい瞳をした少年。
容易に消すことができる傷痕を、あえて残している意味───。

百合子は、自分を落ちつかせるように息をついた。

「……私は、すでにお前の“花嫁”なのだぞ」
「百合……?」
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