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肆 刻まれし罪
《一》赤い瞳が映したもの【後】
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「これはこれは“下総ノ国”の黒いトラ神。しばらく見ぬ間に、また一段と男っぷりがあがったと見える」
常世と現世の中間に位置する“神獣ノ里”。
そこを統べるヘビ神が住まう天空の宮を護り、仕えるのが、このシシ神の“化身”・猪子であった。
「…………猪子殿は、お変わりなく。
こちらは我が“下総ノ国”で獲れた幸。お納めくだされよ」
自分を含めた“神獣”たちが特別な存在として従わざるを得ないのが、その頂点に立つヘビ神と側女であるシシ神だ。
猪子のふくふくとした片手が、自らの口もとを隠した。
「ホホホホホ。相変わらず、律儀なこと。“花嫁”を迎えても生真面目なところは一向に変わらぬと見える。
もう少し角がとれても良さそうなものですが……ひょっとして、未だ“花嫁”と通じてはおられぬのでは?」
じっと向けられる細い目には、からかうような色が含まれている。
“花嫁”との仲を案じる振りをして、その実、その方面に疎い黒虎の反応を見て面白がるつもりなのだろう。
「……っ……それは……」
そうと解ってはいても熱くなる頬と、二の句が継げなくなる自分に、ホホホとシシ神がふたたび笑ってみせた。
「───カカ様なら、いつものところにおられますよ」
気取った女の声音が告げる許しに、黒虎はようやく天空の宮を後にするのであった。
「我の側に寄るでない! とっとと現世に帰れ!」
天空の宮から、目と鼻の先にある川べり。
釣る気もないのに竿を持ち、釣り糸を垂らしている者が、背中で言った。
「……まだ何も申しておりませぬが」
「うるさい、こわっぱ。
汝が我の前に現れる時は、大っ概、しょーもない悩みを打ち明けにくる時ではないか!」
黒虎を振り返る、黒髪をみずらに結った青年の瞳は閉じられていた。
その瞳の色が赤いこと、また、『力』を遣う時以外は開かれないことは、黒虎も知っている。
つまり、視力を失っているわけではないので、周囲の様子も話しかけてきた者の姿も、この青年には【視えて】いるのだ。
会うなり悪態をつかれることは承知の上。黒虎は、率直に自分の訪問理由を口にした。
「此度は仕様も無い悩みなどではなく、カカ様に願い奉りたきことあり、参った次第にございます」
───異世界から人を喚び、またその世界へと還す。
そんな力をもつ“神獣”など、他に存在しない。
このヘビ神の“化身”である速男だけだ。
「……ふん、願いと来たか。
どちらにせよ、面倒事には違いないではないか」
不愉快そうに鼻を鳴らし、速男はふたたび川面へと向き直った。
「まぁよい。我の気の変わらぬうちに申せ」
「はい」
うなずいて、黒い“神獣”は己の“花嫁”を元の世界へと還すための『力』を与えて欲しいと伝える。
“返還の儀”の手順や方法自体は、ここ“神獣の里”で生まれ育った際に、すでに教わっていた。
あとは、ヘビ神の許可と『力』の委譲だけだった。
「───……“花嫁”を還してやりたい。それが汝の願いだというのか」
「左様にございます」
間、髪をいれずに応えると、ふん、と、鼻であしらわれた。
「戯れ言を申しよって」
突き放すように言い置いて、速男は釣竿を引くと黒虎を見ずに宮のほうへ歩きだした。
その背中に、あわてて声をかける。
「カカ様!」
「儀式に必要な物は猪子にそろえさせる。
……汝の願いは我に届いたのだ。もう用は無かろう。現世に帰れ」
そう言って、肩ごしに振り返るヘビ神の目は、開かれていた───赤い眼光は、力を遣った『証』。
(いったいカカ様は【何を視て】おられたのだ……)
自分に背を向け、水面に映した赤い瞳で。
過去も現在も、未来をも見通すことのできる、その力で───。
常世と現世の中間に位置する“神獣ノ里”。
そこを統べるヘビ神が住まう天空の宮を護り、仕えるのが、このシシ神の“化身”・猪子であった。
「…………猪子殿は、お変わりなく。
こちらは我が“下総ノ国”で獲れた幸。お納めくだされよ」
自分を含めた“神獣”たちが特別な存在として従わざるを得ないのが、その頂点に立つヘビ神と側女であるシシ神だ。
猪子のふくふくとした片手が、自らの口もとを隠した。
「ホホホホホ。相変わらず、律儀なこと。“花嫁”を迎えても生真面目なところは一向に変わらぬと見える。
もう少し角がとれても良さそうなものですが……ひょっとして、未だ“花嫁”と通じてはおられぬのでは?」
じっと向けられる細い目には、からかうような色が含まれている。
“花嫁”との仲を案じる振りをして、その実、その方面に疎い黒虎の反応を見て面白がるつもりなのだろう。
「……っ……それは……」
そうと解ってはいても熱くなる頬と、二の句が継げなくなる自分に、ホホホとシシ神がふたたび笑ってみせた。
「───カカ様なら、いつものところにおられますよ」
気取った女の声音が告げる許しに、黒虎はようやく天空の宮を後にするのであった。
「我の側に寄るでない! とっとと現世に帰れ!」
天空の宮から、目と鼻の先にある川べり。
釣る気もないのに竿を持ち、釣り糸を垂らしている者が、背中で言った。
「……まだ何も申しておりませぬが」
「うるさい、こわっぱ。
汝が我の前に現れる時は、大っ概、しょーもない悩みを打ち明けにくる時ではないか!」
黒虎を振り返る、黒髪をみずらに結った青年の瞳は閉じられていた。
その瞳の色が赤いこと、また、『力』を遣う時以外は開かれないことは、黒虎も知っている。
つまり、視力を失っているわけではないので、周囲の様子も話しかけてきた者の姿も、この青年には【視えて】いるのだ。
会うなり悪態をつかれることは承知の上。黒虎は、率直に自分の訪問理由を口にした。
「此度は仕様も無い悩みなどではなく、カカ様に願い奉りたきことあり、参った次第にございます」
───異世界から人を喚び、またその世界へと還す。
そんな力をもつ“神獣”など、他に存在しない。
このヘビ神の“化身”である速男だけだ。
「……ふん、願いと来たか。
どちらにせよ、面倒事には違いないではないか」
不愉快そうに鼻を鳴らし、速男はふたたび川面へと向き直った。
「まぁよい。我の気の変わらぬうちに申せ」
「はい」
うなずいて、黒い“神獣”は己の“花嫁”を元の世界へと還すための『力』を与えて欲しいと伝える。
“返還の儀”の手順や方法自体は、ここ“神獣の里”で生まれ育った際に、すでに教わっていた。
あとは、ヘビ神の許可と『力』の委譲だけだった。
「───……“花嫁”を還してやりたい。それが汝の願いだというのか」
「左様にございます」
間、髪をいれずに応えると、ふん、と、鼻であしらわれた。
「戯れ言を申しよって」
突き放すように言い置いて、速男は釣竿を引くと黒虎を見ずに宮のほうへ歩きだした。
その背中に、あわてて声をかける。
「カカ様!」
「儀式に必要な物は猪子にそろえさせる。
……汝の願いは我に届いたのだ。もう用は無かろう。現世に帰れ」
そう言って、肩ごしに振り返るヘビ神の目は、開かれていた───赤い眼光は、力を遣った『証』。
(いったいカカ様は【何を視て】おられたのだ……)
自分に背を向け、水面に映した赤い瞳で。
過去も現在も、未来をも見通すことのできる、その力で───。
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