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肆 刻まれし罪
《一》赤い瞳が映したもの【前】
しおりを挟むひとめ惚れ、というものが、人の世にはあるという。
「美形じゃのう……」
口をついて出た感嘆の言葉は、彼女の表面的なものをなぞったに過ぎない。
背の半ばまであるつややかな黒髪も、磁器を思わすような白い肌も、それに映える紅唇も。
潔癖さと激情を宿す強い意思の輝きを放つ瞳に比べれば、彼女を彩る装飾品でしかなかった。
魂の高潔さが表れた、その眼差しに射抜かれた瞬間。
自分という“神獣”が、人の世に遣わされたことの意味が、ようやく解ったような気がした。
彼女と出逢うため、今日まで生きてきたのだと。
……そう、思った、のだが。
「私を、すぐに戻してくれ!」
彼女の口から発せられた初めての『願い』は、ふたたび自分を無慈悲な神の獣───『死の遣い』へと、追いやったのだった。
*
「……気を失うほどに、この世界はおぬしにとって、疎ましいものであったのか……」
興奮し気絶してしまった、自らの“花嫁”として喚ばれた存在。
元はこの世界の人間ではない彼女は、ヘビ神の力によって“召喚”された、異質な者だ。
時と空間と実在において【この世界のものだと証明できなければ】超自然的な力が働き消滅してしまう。
それを避けるために行うのが“契りの儀”と呼ばれるものだ。
この世界の“神獣”である自分が、彼女を自らの“花嫁”として認め、迎える儀式だった。しかし───。
「カカ様は“花嫁”となる者に“証”の場所を選ばせろと仰せであったが……さて。
この場合、いかがしたものかのう……」
溜息と共に、黒い“神獣”の“化身”は立ち上がる───“化身”を解き、本来の姿に戻るために。
格子戸の外を見れば、月が傾き始めている。秋の夜は長くとも、時が経てば必ず陽はまたのぼる。
それまでに“契りの儀”を済ませなければ、彼女は消えてしまうのだ───この高潔な魂ごと。
「……おぬしの願いは、必ず叶えよう」
たとえ、ひとときだけの“花嫁”だとしても。
【自分をもたない自分が】初めて心を奪われた存在なのだから。
*
「あに、うえ……」
“契りの儀”を終え、なんとか彼女をこの世界につなぎ止めた。
「なぜ……」
高熱にうなされ、床に伏したままの“花嫁”。
熱のために流れ落ちる涙のはずが、他にも何か要因があるように思えてならなかった。
この世界にある者との接触が極端に少ない彼女が、流行り病に侵されることはないだろう。
ましてや“神籍”にある身だ。五日も六日も寝込むなど、あり得ない。
「心労からかのう……」
未だ目覚めぬ“花嫁”を見つめ、ぽつりとつぶやく。
───儀式の晩の、あの取り乱し方。
ヘビ神によれば、“召喚”する者の条件には、親兄弟をすべて亡くしていることが挙げられていた。
それは、肉親のいない者であれば、その者が居なくなっても哀しむ者が少なくて済む。
何より、この世界で手厚く歓迎すれば「居心地がいい」と当人が感じやすくなるだろうという思惑かららしい。
(こちらの都合ばかりで喚んでしまうのじゃ。そんな単純な話ではなかろうに)
現に、彼女は自分に「元の世界に戻せ」と迫ったのだから。
「兄上……」
繰り返されるうわごとに、黒い“神獣”はヘビ神の元へと向かう決意を固めたのだった。
*
神のあいだに人の世にいう親と子のしがらみはない。
誰其れの血を引くという言い方はするが、そこに【親子としての情】は介在しないからだ。
現に、自分の親神が常世で荒神の怒りに触れ滅されたと聞いた時も、特になんの感慨もわかなかったものだ。
───しかしながら、人の親のように我が身を縛る存在はいる。
燃え盛る炎のように結われた赤茶色の髪に、鋭く細い目。
ふくよかな肢体を押し込めるように身にまとう、白い小袖と緋袴。
巫女装束を着た中年女が、黒虎にとってのそれであった。
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