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参 孤独な役割
《三》別れの刻限【前】
しおりを挟むかつて『人』であった存在は砂塵と化し、木枯らしに吹かれて散ってしまった。
『───……百合様』
ややしばらくの間、立ち尽くしていた百合子に、身の内から声がかかった。
『“影”から抜け出ます。御身に力を入れてくださいまし』
美狗から言われた意味が解ったのは、その直後。
急激な疲労を感じ、ふらつきながらも、百合子は両ひざに手を置き己の身を支えた。
見えぬ絹衣が、百合子の身体をすべり落ちる。
「お願いでございます!」
突然、美狗が百合子の足もとに、ひれ伏した。
「あのような“役割”を、お優しいコク様だけに、背負わせないでいただけませぬか……!」
犬耳の女の懇願は、悲愴なまでの切実さが感じられた。
「百合様にはコク様の支えに……導となっていただきたいのでございます……!」
百合子は、自分を目の上のこぶと思っているだろう相手からの申し出に、あっけにとられる。
「……私に……コクの導となれだと?
それが、コクの言った『あと二日』と、どうつながるというのだ」
数秒ためらった気配ののち、思いきったように美狗が百合子を見上げた。
「……コク様は、百合様を……元の世界へと、お返しになられるつもりなのでございます……」
「元の、世界……だと?」
百合子は眉を寄せた。
いきなり、なんの話をしているのであろうか?
理解に苦しむ百合子を、美狗の黒目がちな瞳がじっと見つめてくる。
「記憶を無くされておられる百合様を混乱させしまい、申し訳ございませぬ。
ですが、これは百合様にとっても大事なことかと存じますゆえ、あえて申し上げます」
美狗の説明によると。
百合子は異世界より“召喚”されたのち、黒い虎神であるコクと“契りの儀”という『仮契約』を交わしたらしい。
その時に、百合子はコクに対し「元の世界に戻せ」と迫ったようだ。
「“神獣”であるコク様にとって“仮の花嫁”とはいえ、百合様は絶対的な存在。
たとえようやく迎えた“対”だとしても、たとえどんなに待ち望んだ『伴侶』であったとしても。
……いえ、だからこそ、コク様にとって貴女様の願いを叶えることこそが、存在意義なのでございます」
できるなら自らが代わりたいと、そう言わんばかりの眼差しと口調。
美狗から向けられる嫉妬と羨望に、百合子はひるむ。
「……お前の言い分は解ったが、コクが本当に私を必要としてるかどうかは別の話だろう。
現に、コクは私と距離を置きたがっているようだし……」
百合子の言葉に、美狗がキッとまなじりをきつくした。
「それもこれも、貴女様をこの世界に留めてはおけぬと、お思いになられているからこそ! それが、解りませぬか!」
苛烈な眼差しが、言葉と共に百合子をなじる。
美狗のコクを想う気持ちにたじろぎ、百合子は素直に認めることができなかった───コクの本意を。
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