4 / 35
【第一章】
彼と彼女と先輩と④
しおりを挟む
「そうですね……」
相づちは、つぶやきに近かった。
一時期は、あいさつすらギクシャクしてしまったのは、私のほう。
そんな私の態度にもかかわらず、それまでのように変わらずに接してくれたんだ、この人は。
「じゃあ、帰ろうか、松原」
自転車のスタンドを戻し、そのハンドルを握り、引き始める。
「車の通りが少ないとこ選ばないと、二人乗りは危険度が増すから、ひとけのない道を通るけど、けっして下心はないぞ。
そのへん誤解のないように。
───よい子は、マネしちゃダメだぞー」
道行く小学生くらいの子供たちに声をかけ、私を乗せ、走りだす。
通りすぎる風に、髪を奪われる感覚を、とても心地よく思った。
それが半減されてしまうのは、あきれたように私たちを見送る一団の視線が痛かったからだ。
もう、本当に、この人は!
「恥ずかしいからやめてくださいっ」
「えー?」
笑うだけ笑って、私の言葉を物ともせずに、自転車を走らせる佐竹先輩。
やがて駅付近から遠ざかり、家に近づくにつれ田園風景が広がって、車が行き交うのにギリギリの車道を通る。
その間も、相変わらずの調子の良さで、軽口をたたき続ける先輩と話しているのは、楽しかった。
さきほどまでの息苦しさは、通りすぎてゆく風にさらわれてしまったかのように、なくなっていた。
見晴らしのいい一本道の行き着く、ずっと先の山々の、そのまた向こうの夕焼けに目を向けた。
やわらかな、オレンジ色。
何もかも包みこんでくれそうな、優しさをもつ、その色。
とり残されたような白い雲も、半透明になって、その色に取り込まれかけている。
なにげなく、視線を前方に戻した。
とたん、目の前に、空中を飛び回る細かい虫の大群が現れた。
顔をしかめながら、片手で払い除けた、その時。
「松原」
穏やかな声のかけ方に、「なんですか」と、問い返す。
ちらりと、こちらを仰向いてくる佐竹先輩。
「……いや、なんでもない」
苦笑ぎみに言って、ふっと表情をゆるめて前へ向き直る。
先輩……?
言いかけてやめるなんてことは、この人にしてはめずらしいことだった。
何を言うつもりだったんですか?
そのひとことを問いかけることなく、自転車は速度をあげて進み続け、夕空から夜空に変わる前に、家に着く。
───七時過ぎに迎えに来るから。
残された先輩の言葉をかみしめて、その背中を見送る。
確実に軽くなった自転車は、瞬く間に夕暮れのなかに消えて行った。
……なぜ、あの人は、あんなに彼に似ているんだろう。
彼にさえ似ていなければ、きっと、あの人を素直に受け入れることができたのに、とも思った。
けれども。
彼に似ているからこそ、佐竹先輩を避けられずにいる───つまり、そういうことだ。
なんて、ずるい子なんだろう、私は。
彼に似た人に慕われることで、自分の欲求を満たそうとしている。
そんな利己的な自分を、もうひとりの私が非難する。
───嫌な女。
「香緒里? 帰ったの?」
ハッとして玄関先で顔を上げると、母がスリッパを鳴らしてやってきた。
「私、今日、花火見に行くから」
「あら、そう。じゃ、浴衣だそうか?」
「え。いいわよ、面倒くさい」
顔をしかめて断る私を完全に無視して、いそいそと浴衣を用意し始める母にあきれつつ、自分の部屋に戻った。
相づちは、つぶやきに近かった。
一時期は、あいさつすらギクシャクしてしまったのは、私のほう。
そんな私の態度にもかかわらず、それまでのように変わらずに接してくれたんだ、この人は。
「じゃあ、帰ろうか、松原」
自転車のスタンドを戻し、そのハンドルを握り、引き始める。
「車の通りが少ないとこ選ばないと、二人乗りは危険度が増すから、ひとけのない道を通るけど、けっして下心はないぞ。
そのへん誤解のないように。
───よい子は、マネしちゃダメだぞー」
道行く小学生くらいの子供たちに声をかけ、私を乗せ、走りだす。
通りすぎる風に、髪を奪われる感覚を、とても心地よく思った。
それが半減されてしまうのは、あきれたように私たちを見送る一団の視線が痛かったからだ。
もう、本当に、この人は!
「恥ずかしいからやめてくださいっ」
「えー?」
笑うだけ笑って、私の言葉を物ともせずに、自転車を走らせる佐竹先輩。
やがて駅付近から遠ざかり、家に近づくにつれ田園風景が広がって、車が行き交うのにギリギリの車道を通る。
その間も、相変わらずの調子の良さで、軽口をたたき続ける先輩と話しているのは、楽しかった。
さきほどまでの息苦しさは、通りすぎてゆく風にさらわれてしまったかのように、なくなっていた。
見晴らしのいい一本道の行き着く、ずっと先の山々の、そのまた向こうの夕焼けに目を向けた。
やわらかな、オレンジ色。
何もかも包みこんでくれそうな、優しさをもつ、その色。
とり残されたような白い雲も、半透明になって、その色に取り込まれかけている。
なにげなく、視線を前方に戻した。
とたん、目の前に、空中を飛び回る細かい虫の大群が現れた。
顔をしかめながら、片手で払い除けた、その時。
「松原」
穏やかな声のかけ方に、「なんですか」と、問い返す。
ちらりと、こちらを仰向いてくる佐竹先輩。
「……いや、なんでもない」
苦笑ぎみに言って、ふっと表情をゆるめて前へ向き直る。
先輩……?
言いかけてやめるなんてことは、この人にしてはめずらしいことだった。
何を言うつもりだったんですか?
そのひとことを問いかけることなく、自転車は速度をあげて進み続け、夕空から夜空に変わる前に、家に着く。
───七時過ぎに迎えに来るから。
残された先輩の言葉をかみしめて、その背中を見送る。
確実に軽くなった自転車は、瞬く間に夕暮れのなかに消えて行った。
……なぜ、あの人は、あんなに彼に似ているんだろう。
彼にさえ似ていなければ、きっと、あの人を素直に受け入れることができたのに、とも思った。
けれども。
彼に似ているからこそ、佐竹先輩を避けられずにいる───つまり、そういうことだ。
なんて、ずるい子なんだろう、私は。
彼に似た人に慕われることで、自分の欲求を満たそうとしている。
そんな利己的な自分を、もうひとりの私が非難する。
───嫌な女。
「香緒里? 帰ったの?」
ハッとして玄関先で顔を上げると、母がスリッパを鳴らしてやってきた。
「私、今日、花火見に行くから」
「あら、そう。じゃ、浴衣だそうか?」
「え。いいわよ、面倒くさい」
顔をしかめて断る私を完全に無視して、いそいそと浴衣を用意し始める母にあきれつつ、自分の部屋に戻った。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
深海の星空
柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」
ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。
少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。
やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。
世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話
家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。
高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。
全く勝ち目がないこの恋。
潔く諦めることにした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる