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参 サダメられし出逢い
桃の香りのくちづけ【前】
しおりを挟む美穂がこの世界に居たいという意思を示してから、セキコは毎日、美穂に『授業』を行った。
“陽ノ元”にある国々の話。
“神獣の里”という、たくさんの“神獣”が住む異界の話。
さらに、人と“神獣”の古くからの関わり方、などなど。
(ソレなんかの役に立つの? ってな感じの、くっそツマンナイ内容だけど)
美穂は逆らわずに、大人しく聞いている。
……時々、茶化すくらいはするが。
(でも、なんか……)
悪くない。
セキコとそうして過ごす時間は。
筆を持つ、長く綺麗な指と。
胸に響く、つややかな声音。
時折、美穂を見つめて甘やかさを含む、鳶色の瞳。
(……何コレ。なんか、そわそわする)
落ち着かない気分になることがある。
セキコには美穂が『違うモノ』に見えているのではないだろうか?
(っていうか、あたしにもこいつが、時々『違うモノ』に見えてる……ような気もする)
相変わらずの女装いと女の口調。
美穂の身なりや食生活に口を出し、礼儀作法についても指摘されるので、
(お前はあたしのオカンか!)
と、美穂が内心で突っ込むことも多々ある。
しかし、それら全部をひっくるめて、美穂にとってセキコは『悪くない』のだ。
「───っていう考え方が一般的ね。だけど……美穂? 聞いてる?」
突然、話を向けられて、美穂はあわてて見入ってしまっていたセキコの指先から顔を上げる。
「き、聞いてる」
「……今日は、このくらいにしておきましょうか」
美穂の反応を見て、セキコは苦笑する。集中力の切れやすい美穂を知っているからだ。
部屋に散らかった和紙や使った筆記具を片付けるように菊に言い置いて、セキコは腰を上げた。
「濡れ縁に出て待ってて」と、美穂に言い残して。
庭にある樫の枝葉がさわさわと揺れている。
適度にさえぎられた陽の光が、濡れ縁で影と踊っていた。
美穂は両足を投げ出して、後ろに両手をつき顔を上げ、目を閉じる。
セミの鳴き声が、うるさいほどに辺りに響いていた。
「お待たせ」
衣ずれの音と共に聞こえた声に目を開けると、手桶を持ったセキコが、美穂の側に腰を下ろすところだった。
「コクのじい様からお裾分けされたの」
桶には水に浸された桃が入っている。
特有の甘い香りがふわっとただよってきた。
「……この世界に居るって決めた、あんたにって」
ちょっと笑うと、セキコは桃を取り上げ手にした小刀で器用に皮をむき始める。
「この桃はね、アタシがじい様に頼まれて『力』を与えて獲れた桃なのよ」
口開けて、と、桃をひときれ鼻先に差し出される。
いっそう濃い香りが美穂の鼻腔を刺激した。
(……あーんしろってか!)
「早く。せっかく冷やしておいたのに、アタシの熱が移っちゃうでしょ」
ここで引いたら負けのような気がして、美穂はセキコをにらみながら口を開けた。
冷たい果肉と果汁、わずかに、セキコの指先が唇に触れる。
そのことに一瞬、びくっとしながらも、モグモグと口を動かすことに美穂は集中した。
「……いい子ね」
口のなかに広がる芳香とセキコの微笑みが、味覚と視覚に甘さをもたらす。
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