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壱 オトコの正体
間違えて召喚すんなっ!【前】
しおりを挟む“下総ノ国”。
それが、いま美穂がいる場所の名前だというのが、男が最初に語ったことだった。
国とは言っても、美穂が知る国名ではないのは確かだ。
近隣に、“安房ノ国”と“上総ノ国”があると知り、ようやくそれが、美穂の感覚でいう『地名』なのではないかと思い至った。
(安房とか上総なら、聞き覚えがあるし)
安房鴨川、上総一ノ宮。
それは、美穂が住んでいた県にある駅名だ。
「アタシは、この“下総ノ国”の“国獣”……“神獣”とも呼ばれる存在なの。
アタシの本当の姿は、覚えているかしら?」
試すように美穂を見る男───セキコの問いに、美穂は右の足裏をさすった。
痛む訳ではないのにそうしたのは、そこに赤い“痕”があるからだ。
獣が残した爪痕。三本の赤い筋。
思い起こされる、目の前の青年の正体。
「…………虎男」
「そう。記憶は残ってるようで、安心したわ」
狭い板敷きの間で緋の衣にそでを通したのち、美穂は男に手を引かれ、神殿と呼ばれる場所へ『瞬間移動』したのだ。
訳が分からない美穂の前で、男は赤褐色の体毛をもつ大きな虎に変わった。
動物園の檻のなかやテレビ画面でしか見たことのない猛獣の出現に、美穂は腰を抜かしたのだった。
(“証”がどうとか言って、人の足、引っ掻きやがって)
昨夜の出来事を思いだし、恐ろしさとわずかな痛みもよみがえる。
「じゃあ、アンタだけが知るアタシの真名も、ちゃんと覚えているわよね?」
微笑みかけてくるセキコを、美穂は思いきり鋭く見返してやる。
「さあ? セキコじゃないの?」
この呼び方は通称らしく、男が指摘したように、美穂は彼の真名を知っていた。
「それは通り名。
まぁ、アンタもアタシを呼ぶのに不便だろうから、当分はソレでいいわよ」
わざとはぐらかした美穂に気分を害したふうでもなく、広げた和紙に持っていた筆をまたすべらせるセキコ。
『真名』と書かれた横に『禁忌』と記される。
「アタシの真名は、アタシ自身が知るまでは、誰も口に出してはいけない『禁忌』なの。
だから、うっかり口にしないように、愁月から“呪”をかけられたでしょ?
アンタがアタシに、口に出さずに真名を伝えられるまで、その効力は続くわ」
文字を示しながら説明されるのは、何やら学校の授業のようだ。
正直、美穂はあくびが出そうだった。
(つか、だから何って感じなんだけど)
何ソレ意味わかんないと美穂が言うと、セキコは菊に筆と硯と和紙を持って来させ、かな混じりの漢字を書き説明し始めた。
さらに、何ソレ文字つながってて読みにくいと言えば、美穂に自分の名前を書かせ、心得たというように美穂が読める字体を書き出したのだ。
「あのさ。あんたの名前、これに書けばいいんじゃないの?」
セキコの『授業』にあきた美穂は、退屈しのぎにそんな思いつきを言った。
意味ありげに男が笑う。
「そうね。試してみたら?」
筆を持たされ、美穂は昨夜の儀式の終わりに見た、緋色の布地に浮かび上がった文字を思い返す。
(えっと、確か───)
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