憐の喜び〜あなただけ知らない〜

一茅苑呼

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第七章 ── 関谷 尚斗 II ──

束の間の幸せ【3】

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いつか、尚斗から離れなくてはならないときが、くるかもしれない。

いや、それ以前に、彼のほうから瑤子を、敬遠する日がくるだろう。
そう遠くない未来に。


つかんだシャツに力をこめる。

───自分は、ずるい人間だ。
最後の最後まで……この手を離そうとはしないだろう。
彼から、振りほどかれるまでは。

(私の過去を知ったら……あなたは、どうするの……?)

この前あんな風に決意したばかりなのに、瑤子の心は、まだ、揺れている。

話さなくて済むのなら、きっと一生、黙っていくはずだ。

(だって……失いたくないもの)

なにげなくこちらを見た尚斗が立ち止まる。

「具合でも悪くなった?」

気遣うように言われて、あわてて笑う。

「あ……人混みって、苦手だから」

「確かに、ごちゃごちゃしてるよなー。おまけに暑いし」

開襟かいきんシャツの胸もとをパタパタと揺さぶりながら、尚斗は辺りを見渡す。

文化祭二日目の今日は、一般客も混じっている。
人の過密度は、はるかに昨日を上回っていた。

「……ごめん。暑かったんだね」

言って、シャツから手を放し、尚斗の側から後退しかけた。

体育館へ向かう、通路途中の渡り廊下。
板の切れ間で、転びそうになる。

はっとした次の瞬間、尚斗に腰を引かれ、難を逃れた。

安堵あんどの息をつく瑤子の耳に、尚斗の少しふてくされたような声が届く。

「オレ、そういう意味で言ったんじゃ、なかったんだけどな」

顔を上げたときにはもう、背中を向けられていた。

けれども大きな手のひらが、瑤子を待つように、こちらへと伸ばされる。

「瑤子さんが、イヤじゃなきゃ……」

言葉をにごされても、想いは伝わる。

瑤子は、ふわりと笑った。

触れずにいるのに、尚斗の手のひらからぬくもりが感じられて、心がつつまれるようだった。

指先を、そっと、伸ばす。
想いをこめて。

(いまだけは、こうしていたいから)

たとえ刹那せつなの至福と分かっていても、得ずにはいられないものが、ある。

いまさえよければ、というわけではなく。

(この瞬間だけにしか、手に入れられない想い)

だから、指先だけをつなぐ。
決して、このときを、逃さないように。





第二体育館には写真部だけでなく、生花部と手芸部の展示品もあり、それぞれに仕切られている。

けれども人だかりは、写真部の大きな三枚のパネルに集中していた。

それが、葵が瑤子を撮った写真を引き伸ばした物であるのは、遠目からでも分かった。

「神田さん、こっちこっち」

葵に手招きされ、瑤子は尚斗と共に、歩み寄って行く。

パネルを見つめる人々の感嘆やささやき声が間近でして、瑤子はいたたまれない気分になった。

尚斗の背に隠れるようにして、パネルに目を向ける。

(これ……私……?)

瞬時にして、気恥ずかしい思いが、驚きへと変わる。

呆然と、瑤子は目の前のパネルを見つめてしまう。
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