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第六章 ── 潮崎 葵 ──

君がための微笑み【1】

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尚斗なおとを家に呼んで食事をしていた。

暑さから、瑤子ようこの食欲は失せていたが、部活動を終えて腹をすかせているだろう尚斗のために、そうめんをゆで、かき揚げを作った。

「───ごちそうさま。うまかったよ。瑤子さんって、本当、料理上手だよね」

夕食後、尚斗に感心したように言われ、瑤子は照れくさく思いながら笑う。

「このくらい、上手って言われるほどじゃないわ」

食器の後片付けを始める瑤子を黙って見つめていた尚斗が、言いにくそうに切りだす。

「瑤子さん……」

尚斗が瑤子を名前で呼ぶようになったのは、つい最近のことだ。

「なんか、オレに隠してる?」

そのひとことに、手にした食器がガチャンと音を立てた。思わず、動揺してしまった。

「……そんな風に、見える?」

手を止めて、尚斗を見返す。
心のうちを見透かすような純真な瞳が、こちらを見ている。

瑤子は、その瞳から逃れるように、目を伏せた。

(言ってしまおうか……)

自身に問いかける。

少なくとも今回の件は、尚斗に黙っておくというのは心苦しい。
これ以上、彼に対して隠しごとを増やしたくなかった。

瑤子は思いきって口をひらく。

蒼との美術室での写真を、撮られていたこと。
そして、その写真と引き換えに、モデルを依頼されたことを。

尚斗は瑤子の話を聞き終えるとしばらくのあいだ、眉をひそめていた。

……瑤子が注いだ麦茶を口にする。

「その、モデルって、具体的には何も聞いてないんだ?」

「自分の作ったセットがどうのって言ってたけど……それ以上の詳しいことは、聞いてないわ」

「じゃあ、その撮影にオレが付き添うってことで、折れてみようよ。
そうすれば、変な真似するようだったら、オレが止めることもできるし。
ね?」

同意を求めて、瑤子を見つめる。

尚斗の口調には、瑤子の不安を取り除こうとする意思が感じられた。

瑤子は、うつむいた。

透き通るような汚れのない眼差しと、ひたむきな話し方。

そんな尚斗のまっすぐな優しさを自分が受ける権利を、もっていないように思えたからだ。

「……うん……」

力なく、小声でうなずいてみせる。

尚斗はちょっと笑って立ち上がると、瑤子の肩に手を置き、のぞきこんできた。

「元気だして。大丈夫だって。
オレが絶対、そいつから瑤子さんのこと、守るから。
だから、笑ってよ」

懸命になぐさめようとする姿勢が、痛いほど伝わってくる。

尚斗の偽らない優しさが胸にしみて、心地よさと共に、息苦しさを覚える。

(どうして……そんなに優しくしてくれるの? 私の、自業自得なのに……)

声にださずに、目の前の栗色の瞳に問いかける。

けれども、瑤子はその答えを知っている。

(理由なんて、ないんだわ……)

考えるのではなくて、本能的に。

初めて会った日に、仔猫を見捨てられずにいた、その心と同じように───純粋な、想いで。

(もっと早く、会いたかった)

押し黙ってしまった瑤子を、心配そうに見つめる尚斗の頬に、手を伸ばす。

(そうしたら彼に近づくのをためらうことのない、綺麗な自分でいられたのに……)

自分は、汚れている。彼には、似合わない。

このままではきっと……彼を傷つけるだろう。

───そう思うと、苦しくて……今までの自分を消してしまいたくなる。

「瑤子さん?」

尚斗が、とまどったように見返してくる。

瑤子は、そんな彼の頬に、そっと唇を寄せた。

(今は……今だけは、こうしていたい……)

それが、瑤子のエゴでしかなくとも。
尚斗の側に……今はまだ、このままで、いたかった。

「───ありがとう、尚斗くん」

ようやく告げて、微笑む瑤子に尚斗は少し照れたように笑った。

それから、愛おしむように、瑤子の唇に自分の唇を重ねる。

瑤子は、尚斗のくちづけを受け入れながら、時間が止まればいいと、祈らずにはいられなかった。



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