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第五章 ── 村上 和哉 ──

淫らな芝居【3】

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見ひらかれた蒼の眼が、そんな瑤子を映しだしたあと、ふっと失笑へと変わった。

「……かなわないな、君には───本当にね」

しみじみと付け足すように言って、蒼は寄せていた身体を離した。

何事もなかったように微笑む。
虫も殺さないような、穏やかな笑み。

「いまから練習に戻るよ。
ここに居ても君の邪魔になりそうだし、おれもこれ以上は、自分の理性に自信がもてないからね」

そうして、準備室を去って行く蒼を、瑤子はなんとか見送った。

……彼に似た面影を思いだしながら胸にわずかな痛みを抱いて。

(似てるのね……あの人に)

───蒼といて満たされない自分を感じたのは、それが初めてのことだった……。





それから何日ものあいだ、放課後に瑤子が美術室へ行くことはなかった。

意識的に、蒼を避けていた。

蒼と別々のクラスだったことや、美術準備室以外で会おうとしないでいるふたりの暗黙の了解が、それを可能にさせた。

そのうちに夏休みに突入し、蒼と会う機会をつくらない以上、彼とは会うことのない日々が続いた。

(しばらく離れていたほうが、いいのかもね……)

その日、美術部の顧問から秋の展覧会についての説明を受けるため、瑤子は学校に来ていた。

サッカー部の練習を校舎のなかから見下ろし、ふと、そんなことを思う。

蒼といる時間は、嫌ではなかった。むしろ、心地よかったはずだ。

けれども、何かが違うようで……物足りない気がするようになっていたのも、事実だった。

(蒼に会わないうちに、帰ろう)

「じゃあ、私、これで失礼します」
「ああ、すまないな、神田。よろしく頼むよ」
「はい」

うなずき返して、第一職員室を出る。

顧問から美術部員への連絡係を頼まれたのだが……。

このままでは自分が二年になるのを待たずに、なし崩し的に部長にさせられそうだと、瑤子は苦い笑みをもらす。

昇降口を抜けずに下駄箱から靴を取りだし、中庭へと回る。

そこから外に出て、体育館脇を歩いて行けば、裏門へと通じる。
……蒼と、顔を合わせずに済む。

「───あ、悪い。そこのタオル、取ってくれ」

体育館の側の水飲み場。

半裸をさらし、蛇口の下に頭を突きだした男子生徒から、声をかけられた。

瑤子は驚いて立ち止まる。

(……なに……? 私に、言ってるの……?)

口では悪いと言っているもののあからさまに横柄な物言いであった。

しかし、こちらを見ずに、手のひらを空に舞わせている姿に、仕方なくバスケットボールの上に乗っていた、浅葱あさぎ色のタオルを手渡す。

「サンキュ」

短く言って、タオルを首に巻きながら、顔をぬぐいだす。

見事に均整のとれた筋肉質の上半身と長い腕。

水のしたたる黒髪の奥からのぞくつり上がりぎみの涼しげな目もと。

(あっ……)
「───あ」

目が合ったとたん驚いたのは、瑤子だけではなかった。

相手のほう、つまり、村上和哉も同じで、目を丸くして動きを止めた。

「神田、だったんだ……。俺はてっきり、マネージャーかと思ってたんだけど」

ははは……と、ぎこちなく笑う。

教室内でも必要以上に会話を交わしたことがなく、そのせいか、ふたりして黙りこむ。

「……村上くんって、バスケ部だったの?」
「え? ……ああ、一応な」

なんとはなしに訊いた瑤子に、和哉のハスキーな声が答える。

「そう。……じゃ、私はこれで」

言うだけ言って、瑤子は裏門へと歩きだす。

それに応じて、和哉が小さくうなずきかけた瞬間、

「あぶなっ……!」

和哉の叫び声と同時に、彼の長い腕に引き寄せられた。

頭を抱えられ、しゃがみこまされる。

直後、水飲み場のコンクリートに野球の硬球ボールがぶつかり、勢いよく跳ね返った。

───和哉に引き寄せられていなければ、瑤子の後頭部に当たっていただろう。

そう思うと、背筋がぞくっとした。

野球のボール、硬球は、石と同じだ。

まともに当たっていたら、ただでは済まない。

「ありがとう……」

力強い腕に抱えられた状態で瑤子が礼を述べると、和哉は小さく息をつき、いや、と、短く応えた。

二人して立ち上がり、離れたところで、和哉が言った。

「悪い。とっさだったから、力任せに引っ張っちまって。
……痛いとこ、ないか?」
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