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第四章 ── 槇原 実砂子 ──

彼にだけ、感じるのはなぜ?【3】

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(調子狂うわ、ほんと……)

尚斗といると、いつもそうだ。

心がかき乱されて、感情を抑えることが難しい。

「……オレと付き合うの、本当は嫌とか」

尚斗の言葉に頭を抱えたくなる。

悪いが、本当に嫌なら、この目の前にある腕にかみついてでも抵抗するだろう。

逃げようと思えば逃げられるのにそれをしないのは───。

(やだ。馬鹿みたいだわ……)

くすっと笑ってしまう。
理由が解ってしまえば、なんということもない。

(好き、だから)

人として好意をもっているのだと、疑わずに思っていた。

だがいまは、はっきりと、ひとりの異性として尚斗のことを意識しているのだと解る。

───実感する。

まわされた腕に、両手を伸ばす。

自分よりも、がっちりとした太い腕に、顔を寄せた。

「好きよ……」
「え?」

吐息のようなつぶやきは、よく聞き取れなかったらしい。

瑤子は、ふふっと笑った。

「尚斗くんが、好きなの。
だから、恥ずかしくて顔がまともに見られない」
「えぇっ」

ふっと腕の力が抜け、尚斗の身体の温もりも離れていく。

瑤子は、ゆっくりと尚斗を振り返った。

「そんな理由じゃ、だめ? 信じられない?」

肩が、少し震えた気がした。多分、声も。

自分の気持ちを正直に吐きだすのには、勇気がいった。

それが伝わったのだろう。尚斗も黙ってこちらを見ていた。

……うっすらと、顔を赤くしてはいたが。

「───信じるよ」

一瞬ためらったあと、尚斗がおもむろに指を上げる。
その指先が瑤子の耳の後ろに、ぎこちなく伸びてきた。

瑤子は、尚斗のその手首をそっとつかむ。

傾けられ、近づく尚斗の頬。

高鳴る胸を抑えるように、瑤子は、つかんだ尚斗の手首に力をこめる。

そうでもしないと、倒れてしまいそうに緊張していた。

(初めてって、わけでもないのに)

半眼のまま、近づく尚斗の顔を見つめていた。

唇が触れたとたん、びくっとして目をつぶってしまう。

一瞬のち押しあてられた唇が離れかけ、瑤子は薄目を開ける。
ふたたび割って入ってくる、唇。

(前は、ここで突き飛ばしていたんだわ)

屋上でしたキスを思いだした。
……今度は、そんなことはしない。

空いたもう一方の尚斗の腕に、腰を引き寄せられる。

瑤子はつかんでいた尚斗の手首を放した。
そのまま、尚斗の両肩に後ろから手をまわし、自分からも近づく。

時間の経過を忘れさせるほどにふたりは長いくちづけを交わしていた……。





結局、夕食は、インスタント物で済ませた。

なんとなく照れくさい思いが互いにあったようで、食卓は静かだった。

「───今度はちゃんとした物を作るから。
尚斗くんさえよければ、また寄ってね」

別れ際の瑤子の言葉に、尚斗は嬉しそうにうなずいてくれた。

尚斗の背中を見送ったあと、胸のうちに優しい感情が流れている自分に気づく。

溜息をついた。
わけもなく、はしゃぎたくなる。

リビングに入り、ソファーに寝そべった。

以前、尚斗が眠ってしまった場所ところ

ぬくもりのかけらさえ残ってはいないが、そうしたかった。

(好き……すごく、好き)

唇に残る感触。頬をなでた吐息。

腕にこめられた力の強さ。その、手の大きさ。

(全部、覚えてる)

瞳を閉じる。

制服を着替えずに、そうして横になったことは一度もない。

だが、服がシワになることを気にするより、いまはしばらく、尚斗を思いだしていたかった。

(キス……気持ち良かったな……)

身体よりも、心が感じていた。

満たされていくのに、上限を知らない、幸福感につつまれるように。

(尚斗くん、誰かと経験あるのかな)

童顔、というのにだまされてしまうが、実は、瑤子と付き合う以前、そういう相手がいたのかもしれない。

(自分のこと、棚上げしているわね……)

苦笑する。

瞬間、待っていたかのようなタイミングで、蒼の言葉が頭をよぎる。

『───あいつの潔癖さは、たとえ一時的に君を受け入れたとしても、何かのきっかけで、君をゆるせなくなるだろう。
……今までの君の行いを知ることになれば、なおさらね。

その時、君はどうする?』

きゅっと唇を引き結ぶ。

夢から覚めたように、ソファーから身を起こした。

(その時、私は……)

苦い想いを抱え、乱れた前髪をかき上げる。

(どうするんだろう……)



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