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第一章 ── 斎藤 蒼 ──

口止め料の接吻【2】

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昼休みの校内は、どこの教室も騒がしい。
それを実感しながら、蒼に訊いた尚斗なおとのいる教室を訪れた。

しかし、学年の違いが奇妙な妨げとなり、出入口で自然その足は止まっていた。

(あ……)

クラスメイト数人と談笑する尚斗の横顔が目に入り、知らず知らずのうちに笑みがこぼれた。

瑤子の視線に気づいた一人が尚斗に声をかけ、尚斗本人と目が合う。
思わず、目を伏せた。信じられないくらいに、胸が高鳴る。

(どうしちゃったの、私……)

「───神田かんだ……先輩、ですよね……?」

蒼よりも、やや低い声。
いきなり目の前に立たれ、瑤子は動悸を抑えきれずにいた。
反射的に、背を向けて引き返そうとしてしまう。

「待ってください。オレに……用があるんですよね?」

尚斗の呼びかけに、振り返らず黙ってうなずいた。





梅雨の中休み。
青空の広がる天を見上げていた。

尚斗によって指定された屋上。
瑤子は、ときおり吹く生暖かい風に、めくられそうになるスカートのすそを気にしていた。
昼休みの残り時間が少ないせいか他に生徒の姿はない。

「私の名前……よく知っていたわね」

転落防止のために四方を囲ったフェンスの手前にまで近づく。

初めて彼に会った時、自ら名乗った覚えはない。
なんとなく言いそびれてしまったのだ。
そして、先日に至っては論外だ。

「さっき……友達が教えてくれたっていうか……騒いでたから」


声がようやく聞こえるくらいの離れた位置で、尚斗はぼそぼそと答える。
言葉がうまく見つからない、といった感じで。

ざわめきは聞こえてこない。
隔絶された空間に、二人だけ取り残されたような静けさ。

「───美術室でのこと……誰かに言った?」

努めて明るく、さらりと切りだしてみた。

「いえ……」

あの時の光景を思いだしたのか心持ち頬を赤く染め、尚斗は顔を背けた。

瑤子のなかに、穏やかな感情が芽生える。

「そう」

相づちは、自然と優しいものとなった。
初めて彼と会った時に感じた想いが、呼び起こされたからだ。

沈黙が流れる。
お互いに、次の言葉を探しているようだった。

頭上を、飛行機が通り過ぎて行く。

「それで……」

先に口を開いたのは、尚斗のほうだった。
ちらりと、瑤子の出方を窺うように見てくる。

「オレに話って……そのこと、ですか? 見たこと黙ってろって、そういうことですか?」
「ちがっ……───」

言いかけて、口ごもる。

(何が、違うの?)

尚斗も瑤子の反応に驚いたようで、じっとこちらを見つめていた。
瑤子は混乱した感情を隅においやりながら、必死になって次の『セリフ』を考える。

(蒼と二人の時間を邪魔しに来ないでって、言いにきたはずでしょう……?)

自身に言い聞かせる。それ以外の目的など、ないはずだ。

「───誰にも言わないでほしいのはもちろんだけど、あの場所にも、二度と来ないで」

ようやく告げた瑤子の要求に、尚斗は面食らったようだった。
否定しかけた言葉の続きを、期待していたのかもしれない。

おもむろに、尚斗の目が半ば伏せられた。
何かを思うように、考え深げな色がにじむ。

やがて大きく息を吸うように、尚斗は口をひらいた。

「ひとつだけ、条件があります」

瑤子はまばたきをした。考えてもみない返答だった。
彼は、打算とは無縁の少年だと思っていたからだ。

「……何かしら?」

うながすと、尚斗は一度ためらうように、ぎゅっと両拳を握りしめた。
それから、まっすぐに瑤子を見返してくる。

「───オレと……」

耳まで赤くなりながら、小さな声で告げてくる。

「キス、してください……」



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