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第五章 女王への道

舞台で表現すべきもの【1】

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留加はその扉を叩いた。従業員寮の清史朗せいしろうの部屋だった。

清史朗は留加の顔を見ると、待ち人来たりというような、ホッとした表情を浮かべた。

「……おはようございます。ご用件は」

一瞬、言いよどんで、留加は真っすぐに清史朗を見返した。

「『王女』に……シェリーに会わせて欲しい。二人だけで」

「本来は、お客様以外の男性と二人きりでというのは引き合わせかねるのですが。『王女』本人からのご用命もございますし、承りましょう。
───そうですね。本日の二十二時に、トレーニングルームでいかがでしょう?」

清史朗は胸元から端末機を取出し、シェリーのスケジュールを確認しながら留加に問う。

留加は驚いた。

「今日頼んで、今日会ってもらえるのか?」

くすっと清史朗が笑う。

「ご用命があったと、申しましたでしょう?
『王女』からは、あなたが会いたいとおっしゃってきた時は、何を差し置いてもスケジュールの都合をつけろと、申しつけられておりましてね。

さすがに、馴染みのお客様との先約をキャンセルするわけにはまいりませんから、空いているのはそのお時間しかないのですが……よろしいでしょうか?」

「あぁ、構わない。……よろしく伝えてくれ」

「かしこまりました。……あぁ、留加様。ひとつだけ」

去りかけた留加を、清史朗が呼び止める。

「ヴァイオリンを忘れずにとの、お言づけがございました」
「……わかった」

ゆっくりと、留加はうなずき返してみせた。
「また明日ね」と言われた日から、もうすぐ八年が経過しようとしていた───。


†††††


(『女王』になれ、か……)

未優は壁にかけたカレンダーを見やる。

“歌姫”になるために、“歌姫”が《本来どんな職業であるかも知らず》未優は面接を受けた。
その日から、ようやく一ヶ月が経つか経たないかのこの時期に、『女王』をめざせと言われるとは予想もしていなかった。

(そもそもあたしの目標って“歌姫”になることで、『女王』になることじゃなかったし)

“歌姫”として“舞台”に立つことができれば、それで良かった。

夢は叶ったと、言っていいだろう。
あとはずっと、このまま“歌姫”で居続けることができれば、それで幸せのはずだった。

(でも、このままじゃ、あたしはいずれ“歌姫”を辞めなくちゃならないんだ)

『山猫族』の頂点に立つために───。

それは、未優が望む場所ではない。未優の居場所は、ここ、“第三劇場”でしかない。“歌姫”であることだ。

(それなら、『女王』になるしかない)

慧一の言う通りだ。遅いか早いかの違いだろう。

“歌姫”を続けていれば『女王』をめざすのは必然だ。ならば、意識を切り替えるしかない。

未優は、カレンダーに印をつける。
今日から、自分が『女王』をめざすのだという決意に代わって。

「───あれ?」

思わず、声をあげた。もう11月も中旬である。

未優は、とっくに来てなければならない自身の“変身日”が、まだ来ていないのに気づく。一週間近く遅れていた。

(あーっ。“連鎖舞台”で頭がいっぱいで、すっかり忘れてたーっ)

あわてて医務室へと向かう。
まさるに相談する目的で扉をノックしようとした時、なかから少女のすすり泣くような声がした。

(またエッチなビデオ観てるんじゃ……)

眉をひそめつつ、乱暴なノックをした直後、未優はなかへと入った。

「失礼します、エロビデオ観てる暇があるなら、あたしの相談にのってください」

口先だけの、感情のこもらない言い方で告げる。

とたん、
「こら! 相手の返事も待たんで入ってくる馬鹿がおるか!」
勝の一喝に、未優はぎょっとなってそちらを見る。

衝立ての向こうに、人影があった。診察中だったのだ。

「ご、ごめんなさいっ!」

あわてて未優は、医務室の外へと飛び出した。扉の横に立ち、前の人の診察が終わるのを待つ。

ほどなくして、室内からハチミツ色の髪をした12、3歳の少女が出てきた。
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