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第四章 連鎖舞台
清麗なる『アヴェ・マリア』【2】
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相変わらず激しい物音が隣室から聞こえていた。
果たして、こんな状態で未優の歌声が留加に届くかどうかは疑問ではあったが、未優はゆっくりと息を吸い込んだ。
透明な歌声が空間を流れ出す───。
(聴こえる聴こえないの問題じゃない)
歌うことは、祈ること。
留加の苦しみが、少しでも早く癒えるように。
(お願い、神様。留加を、助けてあげて)
留加を想って歌う。
それはなぜか、愛のささやきに似て。
伝わることは恥ずかしい反面、心地良くて。
未優は声の限りに、留加に向けてその歌声を響かせ続けた───。
†††††
(……『アヴェ・マリア』……)
暴れるのにも疲れ果てた耳に、清浄な歌声が入ってきた。
祈りの声は、優しく留加の身を包む。
(母さん……)
一番最初に、母親が自分に教えてくれた曲。
清麗な、その調べ。
伝わる歌声に、留加の心が洗われていくようだった。
抱いていた衝動的な欲望も、忘れてしまいたいのに忘れられない過去も、すべて癒やし、浄めていく。
(……未優……)
やわらかく温かい声音の主を思いだし、そして留加は、ようやく意識を手放すことを、自らに許した。
───あとには、漆黒の体毛の一頭のシベリアンハスキーの“混血種”が、残されていた。
†††††
気づくと、自分の歌声だけが夜の静寂の中を響き渡っていた。
歌うのをやめ、未優は隣の部屋の様子に耳をそばだてる。物音ひとつ聴こえない。
(うまく……いったのかな……?)
留加が気になって仕方がなかった。
だから未優は、再び防音室から留加の部屋へと入った。
依然、室内は薄暗かったが、月の光の差しこみ加減で、さきほどよりも広範囲に渡って見通すことができる。
獣の爪痕が、テーブルにも椅子にもクローゼットにも残っており留加の苦しみを刻んでいた。
ひっくり返ったテーブルと椅子を元に戻し、未優は床に横たわっている黒い獣の側に近寄った。
腹部が規則正しく上下している。……眠っているようだった。
未優は、その場にかがみこんだ。
(良かった……ちゃんと“変身”できたんだ)
思わず指先が伸びた。毛並みに触れ、その身体を愛おしむように撫でる。
ぴくり、と、反応が返ってきて、未優はあわてて手を引っこめた。
ほぼ同時に、シベリアンハスキーの血をひいていると思われる犬が、くるりと身体を反転させ起き上がった。
ぶるるっ……と、全身を震わせる。いっそう冴え冴えとした青い瞳が未優を見た。
『あの歌声は……やはり……』
未優は目をしばたたいた。……まさか、そんな馬鹿な。
黒い犬は首をめぐらせ、床に落ちたままの置時計に気づく。壊れている。
「……十一時過ぎだよ」
『十一時か。それにしても、なぜ彼女は勝手に人の部屋に入って、座りこんでいるんだ』
「……そんなの、留加が心配だったからに決まってるじゃん」
後ろ足で耳をかいていた動作が止まる。
未優は、気まずい思いで言った。
「あの。なんかよく解んないけど、留加が思ってること、伝わってくるんだけど」
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