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第二章 禁忌の称号
誰かを『犠牲』にしても【3】
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「あたしは、その覚悟をもって“歌姫”にならなきゃいけないんだね。
他の誰かを犠牲にするかも知れない、それでも自分の望みをつらぬくんだっていう、覚悟を」
未優は言いながら、別れ際の響子の言葉を思いだす。あれは、このことを指していたのかもしれない。
そしてまた、未優は思う───留加のことを。
留加が自分に内緒で慧一と『契約』していたのを、責めてしまったことを。
……あれは、筋違いな非難だ。
(あたし、自分のことばっかりで……)
留加は、ヴァイオリニストだ。
己の技術をもってして正当な報酬を得ることは、当然の権利のはずだ。
趣味で弾いているのではないことくらい、未優にだって解っていた。
(初めから……本当は、あたしがきちんとしとかなきゃ、いけなかった)
それを慧一が、未優の代わりにしてくれていたのだ───無知な自分に代わって。
†††††
家に戻った未優は、別棟にある慧一の部屋を訪れた。
執務机を兼ねたそこについていた慧一は、未優の顔を見ると、手にした携帯電話を置いた。
「……薫と一緒だったそうだな。何か収穫はあったのか?」
「留加の住所教えて! 知ってるよね、もちろん」
意気込んで尋ねる未優に、慧一は息をついた。
「知ってどうするんだ」
「ちゃんと謝りたいの! あたし……留加、引っぱたいちゃって……」
「……短絡的だからな、お前は」
「小言はあとで聞くから。住所!」
手を差し出して迫る未優に、慧一は頬づえをついて横を向く。
「今から留加の家に行くっていうのは、俺は勧めんぞ。無駄だ」
「もうっ、意地悪しないで教えてよ!」
「……五番ゲートだ」
「え?」
コツンと、慧一が机を叩く。未優を見て、ちょっと笑った。
「律儀に、お前を送らなかったことを詫びに来た。お前と入れ違いに数分前に出て行った。まだ邸内にいるだろう。
奴の住所を考えて、五番ゲートから出ることを勧めたんだ」
「わかった!」
未優は身をひるがえした。しかし、慧一の部屋を出る前に、彼を振り返る。
「留加と契約してくれて、ありがとう!」
言って、未優は扉も閉めずに走り去って行く。
慧一は顔を覆うように、中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、つぶやいた。
「……馬鹿が……」
†††††
慧一の部屋があるのは、敷地内の北側に位置した「冬の館」である。
五番ゲートに行くには、館の中央バルコニーから降りた方が早い。
そう思って、未優はそこに至る客間を横切った。
山積みになったシーツを抱えた使用人にぶつかりそうになりながら、バルコニーに続く大窓を開ける。
「───留加っ!」
月光のもと、留加の後ろ姿が見てとれ、未優は叫んだ。と、同時に、バルコニーの手すりを飛び越える。
風が空を切り、未優の腰まである栗色の髪を巻き上げた。
未優の声に振り返った留加は、ぎょっとして、いま来た道を駆け戻る。
『山猫』の身軽さと、『犬』の俊足力で───未優は留加に、抱きとめられた。
かすれた声で、留加が言った。
「……君は……本当に“歌姫”になる気が、あるのか……!? なんて、無茶なことを、するんだ……!?」
乱れた息遣いが、近い。
その事実に未優はときめきながらも、気持ちを抑えて言い返す。
「あたしは『山猫』だもん。このくらいの高さなら、平気だよ。……だけど、留加がここまで駆けてきてくれたこと、嬉しかった。
ありがとう」
瞬間、留加は未優を手放した。片手で顔を覆い、横を向く。
暗がりのなか、留加の顔が赤くなるのがわかった。その反応を、未優はどう解釈してよいのか、とまどう。
(少しは意識してくれてるって、思っても……いいの、かな?)
自分の都合の良いようにとって、あとでひっくり返されるのを恐れた未優の無意識が、彼を追ってきた目的を思いださせた。
「あの……ね、留加。その……今日は、ほっぺ引っぱたいたりして、ごめん!」
思いきり頭を下げる。そんな未優を、留加は黙って見下ろした。
他の誰かを犠牲にするかも知れない、それでも自分の望みをつらぬくんだっていう、覚悟を」
未優は言いながら、別れ際の響子の言葉を思いだす。あれは、このことを指していたのかもしれない。
そしてまた、未優は思う───留加のことを。
留加が自分に内緒で慧一と『契約』していたのを、責めてしまったことを。
……あれは、筋違いな非難だ。
(あたし、自分のことばっかりで……)
留加は、ヴァイオリニストだ。
己の技術をもってして正当な報酬を得ることは、当然の権利のはずだ。
趣味で弾いているのではないことくらい、未優にだって解っていた。
(初めから……本当は、あたしがきちんとしとかなきゃ、いけなかった)
それを慧一が、未優の代わりにしてくれていたのだ───無知な自分に代わって。
†††††
家に戻った未優は、別棟にある慧一の部屋を訪れた。
執務机を兼ねたそこについていた慧一は、未優の顔を見ると、手にした携帯電話を置いた。
「……薫と一緒だったそうだな。何か収穫はあったのか?」
「留加の住所教えて! 知ってるよね、もちろん」
意気込んで尋ねる未優に、慧一は息をついた。
「知ってどうするんだ」
「ちゃんと謝りたいの! あたし……留加、引っぱたいちゃって……」
「……短絡的だからな、お前は」
「小言はあとで聞くから。住所!」
手を差し出して迫る未優に、慧一は頬づえをついて横を向く。
「今から留加の家に行くっていうのは、俺は勧めんぞ。無駄だ」
「もうっ、意地悪しないで教えてよ!」
「……五番ゲートだ」
「え?」
コツンと、慧一が机を叩く。未優を見て、ちょっと笑った。
「律儀に、お前を送らなかったことを詫びに来た。お前と入れ違いに数分前に出て行った。まだ邸内にいるだろう。
奴の住所を考えて、五番ゲートから出ることを勧めたんだ」
「わかった!」
未優は身をひるがえした。しかし、慧一の部屋を出る前に、彼を振り返る。
「留加と契約してくれて、ありがとう!」
言って、未優は扉も閉めずに走り去って行く。
慧一は顔を覆うように、中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、つぶやいた。
「……馬鹿が……」
†††††
慧一の部屋があるのは、敷地内の北側に位置した「冬の館」である。
五番ゲートに行くには、館の中央バルコニーから降りた方が早い。
そう思って、未優はそこに至る客間を横切った。
山積みになったシーツを抱えた使用人にぶつかりそうになりながら、バルコニーに続く大窓を開ける。
「───留加っ!」
月光のもと、留加の後ろ姿が見てとれ、未優は叫んだ。と、同時に、バルコニーの手すりを飛び越える。
風が空を切り、未優の腰まである栗色の髪を巻き上げた。
未優の声に振り返った留加は、ぎょっとして、いま来た道を駆け戻る。
『山猫』の身軽さと、『犬』の俊足力で───未優は留加に、抱きとめられた。
かすれた声で、留加が言った。
「……君は……本当に“歌姫”になる気が、あるのか……!? なんて、無茶なことを、するんだ……!?」
乱れた息遣いが、近い。
その事実に未優はときめきながらも、気持ちを抑えて言い返す。
「あたしは『山猫』だもん。このくらいの高さなら、平気だよ。……だけど、留加がここまで駆けてきてくれたこと、嬉しかった。
ありがとう」
瞬間、留加は未優を手放した。片手で顔を覆い、横を向く。
暗がりのなか、留加の顔が赤くなるのがわかった。その反応を、未優はどう解釈してよいのか、とまどう。
(少しは意識してくれてるって、思っても……いいの、かな?)
自分の都合の良いようにとって、あとでひっくり返されるのを恐れた未優の無意識が、彼を追ってきた目的を思いださせた。
「あの……ね、留加。その……今日は、ほっぺ引っぱたいたりして、ごめん!」
思いきり頭を下げる。そんな未優を、留加は黙って見下ろした。
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