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後日談『五番目の大地』

醜い感情の蓋が、持ち上がる

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「……怒ってるの? 大地」

マンションのエレベーターに乗った直後、ぽつんとまいさんが言った。

「まさか。多香子さんから随分と酔ってるって聞いてたし。
僕の大切なまいさんに、何かあったら心配だから、迎えに行ったまでだよ」

心とは裏腹に、僕はニッコリと笑ってみせる。

───タクシーを降りた時に手を貸したあと、僕はまいさんの手をするりとほどいていた。

エレベーターを呼ぶ風を装って先に歩き、まいさんを振り向きもせず。
それが、怒りの行動からなせるささやかな意趣返し以外の、何になるというのか。
自分のなかにある醜い感情に、いい加減、嫌気がさしてくる。

「……怒ってるじゃん。なら、はっきりそう言いなさいよ」

玄関の扉を閉めたとたん、まいさんが面白くなさそうに、僕に背を向けたまま言ってきた。

───は?

僕のなかで、かろうじて制御していた醜い感情の蓋が、持ち上がる。

気づいたときには、まいさんの腕を乱暴につかんで、無理やりこちらを振り向かせていた。

「僕のっ……僕だけのまいさんが僕以外の男にさわられて、良い気分でいられると思う!?
たとえどんな理由があったとしても、僕は僕以外の男に、まいさんの髪のひとふさでさえ、触れて欲しくないんだよっ!」

言い切った直後、自分がどれだけ愚かな独占欲丸出しの感情を吐き出したのかを、思い知る。

こんなこと……口にだしてしまったら、おしまいなのに。
男の嫉妬なんて、醜いだけなのに。

「……なんで、こんなこと……言わせるの……?」

みっともない。
いままでの僕は、もっとうまく自分のなかの《醜い感情》と、付き合ってこれたはずだ。

なのに───。

心の整理が、うまくつかない。
まいさんが悪いわけじゃない。
僕の一方的な独占欲を押しつけてまいさんを従わせようだなんて、間違ってる。

そのくせ、僕をこんな風に悩ませているまいさんを、責め立てたい気持ちがわいてきて……感情の収拾がつかない。
なんで、こんな……───。

「ごめんね、大地」

罪悪感もあらわに、まいさんが口にした言葉は、謝罪以上の深い響きがあった。

うつむく僕の頬に、まいさんの小さな手が伸びてきて、触れた。
はねのけたい衝動をこらえて、まいさんを見つめ返す。

困ったように首を傾けて、僕を見るまいさんがいた。

「私、ちょっとだけ……あんたがヤキモチ妬いてくれるの、期待しちゃってたんだ」

え?

思いもかけない言葉に、驚く反面、不信感がつのる。
そんなつまらない『相手の愛情を確認するための行為』を、まいさんがしただなんて。

「僕が……まいさんのことをどんなにか好きで、大切に想ってるかなんて、まいさん、嫌ってほど知っているはずだよね?」

あきれた気分と軽い苛立いらだちに襲われる僕の前で、ふいにまいさんが真顔になる。

「知ってるわよ。あんた、いつも口に出してくれるし。
だけど……良い言葉しか、私にくれなかったじゃない」
「なに、それ……」

まいさんが言ってることが、本気で解らない。
あんなに言葉を尽くして、まいさんが好きだって伝えてきたのに。

「他に、どんな言葉が必要だって言うの? まいさんって、実は僕以上に愛の言葉に貪欲なんだ?」

皮肉が口をついた僕を、まいさんがじっと見つめる。
僕の頬に触れたまいさんの手指が、荒れた僕の心をなだめるようになでてくる。

「我慢しなくてもいいのよって、私、あんたに言ったでしょ? それは……あんたのなかにある負の感情も、全部受け止めてあげるっていう意味だった」

静かに語るまいさんに対して、僕は、既視感に似た不思議な気持ちをいだく。
……なんだ、これ……。

「だけど、いざ目の前で、荒れた感情を吐きだすあんたを見たら、怖くて……うまく受け止めてあげられなかったのよね、《最初》は」

苦笑いのまいさんの両手が、僕の首の後ろに回る。

「ちゃんと……《いる》じゃない。《隠れてないで》出てきていいのよ?」

僕の心の引き出しを、優しくまいさんが、開けていく。

「あんたは……『五番目の大地』なんだから」

───多重人格者がひとつの人格へと統合されていく話。

『五番目のサリー』。

僕はいつ、まいさんにその小説の話をしただろう?

いつなのか、それは解らない。
でも僕は、確かにまいさんに、それを語ったんだ。
だからいま僕の頬に、あたたかなものが流れているんだろう───。
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