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第六章 この心に宿るから
覚悟しなさいよ?【1】
しおりを挟む昨日の夜のニュースでは桜の開花宣言が、ようやくこの地方にもだされていた。
例年よりも遅い春の訪れは、見上げる視線の先のほころびからも窺える。
水色をした優しい色合いの空をぼーっと見ていた私の目に、突然、にこにこ顔の大地が映った。
次いで、コンコンとフロントガラスを叩かれ、あわてて車から降りる。
「……終わった……の……?」
「うん。待たせてゴメンね」
やわらかな口調は《私のよく知る大地》のものだった。
───診察室まで付き添おうかと言った私を、やんわりと拒んだ大地のもの、だった。
「その……気分は……どう……?」
自分でもヤになるくらい、もどかしいほど言葉がでてこなかった。
そんな私をよそに、大地は何事もなかったかのように───実際には融合の治療を受けてきたはずだ───ふふっと笑ってみせた。
「やだなぁ、まいさん。その、こわごわとした言い方。僕のことを信じてるって言ったのは、嘘だったの?」
「だっ……だって、あんたあんまりにも前の大地のまんまっていうか……変化が見られないっていうか……。
はっ。
まさかあんた、治療受けるのやっぱや~めた、とか思って、私が付き添わなかったのをいいことに、適当にお茶濁してきたんじゃ……」
「……まいさんのなかの僕って、そんなに信用ないの?」
げんなりとした顔をして見せる大地に、私は混乱してしまい、思わず指を突きつけた。
「証拠! そう、証拠を見せなさいよ。ちゃんと融合が為されて、あんた達ふたりがひとつになったっていう証拠を!」
大地は、じっと私を見た。ふと、悲しそうに目を伏せる。
「まいさん……僕に言ったよね……? どんな僕でも受け入れてくれるって。僕は、まいさんのあの言葉を支えにして、治療を受けてきた。
……本当は少し、不安だったのに……また、まいさんを傷つけるようなことになったらって……」
言いながら、大地は自らの顔を両手で覆った。
「それなのに、まいさんがそんな風に僕を疑うなんて……」
肩が、震えていた。
くぐもった声が泣いてるようにも聞こえ、顔を覆う大地の手に指を伸ばして、のぞきこむ。
「疑うとか、そういうんじゃくて……。私も、本当は恐かったのよ。また《私を知らない》大地が、出てくるんじゃないかって……。
ゴメンね、大地。治療終えたばっかで、あんたも実は、情緒不安定だったりするのよね?
ね、とりあえず、車に乗って。お昼ご飯、なにがいい? あんたの好きなもの、なんでも作ってあげるから。何が食べたい?」
瞬間、文字通り、手のひらを返して私の手首をつかみ寄せ、ついでに素早く私の唇を奪った大地は、その唇でふふっと笑った。
「……まいさんの、ふっくらとした小さな可愛い唇。……ごちそうさま」
「……っ……て! あんたねぇ~っ」
拳を上げて肩のあたりを殴りつけてやろうとした私を、大地はひょいとかわした。
「怒らないで。可愛い顔が、台無しだよ?」
「もうっ……。
───じゃあ、帰るわよ。ほら、ふざけてないで車に乗って」
大地の腕を軽くつかみ、助手席のドアを開く。
ところが大地は、そんな私の手をそっと外した。
「大地……?」
いぶかしく思って仰ぎ見た大地の顔から、一瞬だけ表情が、消える。
けれどもすぐに、元通りの微笑を浮かべた。
「ね、少し散歩しない? 桜はまだだけど……気持ちの良い風が吹いているし、陽差しも暖かいしさ」
大地の指が、クリニックの駐車場脇の道路を挟んだ向こう側を、差していた。
私の勤め先であるショッピングセンター付近まで続く自転車道路だった。
川添いのそこは、桜並木にもなっている。
「いいけど……なに、急に」
「……ちょっと、マジ話、したいんだ。家に帰る前に、きちんと話しておきたいと思って」
しぶしぶ承諾すると、大地は言葉の通り、至って真面目な顔で私を見返した。
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