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第五章 拒絶の向こう側

今晩、おれの部屋に来てよ【2】

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「同じ経験をしなくても、想像力があれば……他人の痛みだって、自分の痛みのように感じることは、できるわ。
過去の痛みには、そうやって想像を働かせるしかないから。
だけど、いま、目の前にいるあんたの痛みは、ホントに《そんなこと》で、解決できるの?
あんたは……私を傷つけて、そうして自分の抱えてる痛みを、なかったことにできるの?
……自分と同じ人間を増やして、やされたりなんか……できるって、いうの……?」

大地は鼻で笑った。

「そんなこと、だって? あんたは自分がそういう目にあったことがないから、そんな風に言えるんだ!」

苛立いらだちを露わに、大地の片手が、私のニットの胸元を握りこむ。
私はうなずいてみせた。

「そうよ。私は、あんたじゃない。
だから、例え同じ経験をしても、あんたとは違うとらえ方をするかもしれない。それは、否定できない」
「……っんだよ、意味わかんねぇ……。解るって言ったり、違うって言ったり……」

怒りよりも、困惑の色が強くなった大地の表情を見てとり、私は胸元にある大地の手に、そっと自らの手を重ねた。

「わからない、じゃなくて、考えるの。
ちゃんと考えて……それでもあんたが、私を虐げたいって言うなら、私はもう、あんたを止めない。好きにしなさいよ」

ゆっくりと大地から手を放す。ひとつ息をついて、目を閉じた。

「……あんたが……大地が、本当に望むなら、私は別に、何されたっていいわよ。
あんたは今まで、いろんなことを我慢してきたんだから。もう、我慢しなくて、いいから……」

いつも人の気持ちを優先して。自分の気持ちを殺してきた、大地になら───。

いま、ここにいる大地が、我慢し続けてきたことによる『抑圧されてきた感情の表れ』だとしたら……受け止めてあげられるのは、私しかいないのだから。

ふいに、私のあごに冷たいものが落ちてきた。
降るはずのない雨の雫のようなそれは、目を開けなくても、大地の涙だと、わかる。

「……あんたを、傷つけたいわけじゃ、ない……」

絞りだすような声音を受けて、目を開けると、涙をためた瞳が映る。
綺麗な顔立ちが、痛々しいほど苦渋に満ちていた。

私と目が合うと、大地は身体を起こし、横を向いた。

「いつも、思ってた……! あんたが見ているのはおれじゃなくて、あんたに都合のいい『こいつ』なんだって。

おれが、好きなわけじゃない。
おれに、優しいわけじゃない。
おれを、気遣ってるわけじゃない。
……あんたの行動のすべては、おれでない『大地』のために、あって。
あんたの心は、おれには決して触れることがないものだって、思ってた……」
「大地……」

おもむろに身体を起こして、指を上げ大地の頬を伝った涙をぬぐってやる。
一瞬、身を引きかけて、けれども大地は、されるがままになっていた。

「……ごめんね、もっと早くあんたの『声』を聞いてあげていれば良かった。本当に、ごめん」
「───おれは『こいつ』みたいに、良い子じゃないんだ。あんたに何してあげたら良いのか全然想像つかないし。そういうこと考えるの、正直、面倒くさい」

私は思わず噴きだした。

「あぁ、うん。分かった。いいよ、それで。
だけど、父さんには優しくしてあげて。あんたに嫌われてるって、しょげてて可哀想だから」
「……努力してみる」

素直にうなずくさまに、私はちょっと不安になって大地をのぞきこんだ。

「なんか、やけに素直だけど……」
「っだよ! 言うこと聞けば聞いたでそんな風に言うなら、別にいままで通り、反抗してたっていいんだけど?」
「ごめんごめん。
……なんか、お腹すいたね。お昼ご飯に、しよっか?」

ベッドから立ち上がりながら大地を振り返る。

ベッドに腰かけたままの大地が、初めて私を真っすぐに見て言った。

……言われた内容に理解が追いつかなくて立ちすくむ私に、立ち上がった大地が素っ気なく告げる。

「昼メシ、作ってくれるんじゃないの? ……舞さん」

最後に付け加えられた呼びかけは、私の心臓を痛いくらいにつかんで……直前の大地のセリフを、現実のものとした。

……大地は、こう言った。

「あんたさっき、我慢するなって言ったよな?
───おれ、あんたとシたいんだけど。今晩、寝る前に、おれの部屋に来てよ」


*****


夕飯は、久しぶりに三人そろって食べることができた。
大地は父さんの言葉に、淡々とした口調ながらも、きちんと言葉を返していた。

ぎこちなさは否めなかったけどそうして『家族』として囲む食卓は、やっと訪れた平穏のように思えた。

でも───。
『大地』は、まだ完全に『大地』に戻ったとは言えなかった。

二つの人格の融合……それが成されてこそ、初めて《大地が帰ってきたこと》になる気がしたから……。

シャワーのコックをひねって、溜息をついた。
投げかけられた大地の言葉が頭をよぎって、もう一度、深い息を吐く。

これまでとは明らかに違う真っすぐな眼差しは、私を惑わすには充分で……だからこそ、迷ってしまう自分がいた。

「……いまさら迷って、どうするのよ。大地は大地だって言ったのは、私じゃん。自分の言葉に、責任もてっての……!」

浴室に独りごとを響かせ自身をしかりつけ、私は、大地の部屋に行くことを決めたのだった。



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