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第三章 三番目の大地

あんたが好きなのは、おれじゃない【1】

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クリニックからの帰りの車中。

私から顔を背けるように窓の外を見やる大地の横顔は、行きとまったく同じ不機嫌さを露骨に示していた。

ただ、その顔色だけが蒼白そうはくで、表情は同じでも、心のなかにあるものまでが同じとは考えにくかった。

「───舞美さんをお呼びしたのは、大地くんの抱えた事情を知っている唯一の大人で……彼が信頼を寄せている方だろうと判断したからですわ。

大地くんの人格が変化した原因は、記憶を取り戻したことによって、再度、虐待を追体験してしまったからだと、わたくしは考えております。
つまり、虐待を受けた人間に見られる『解離性人格障害』を、引き起こしてしまっている可能性があります。

非常に申し上げにくいのですが……。記憶を失う前の大地くんに戻すには、現在の大地くんの人格を消去するしかないのです。
あるいは……現在の大地くんのまま、虐待を受けた心の傷を癒やす治療に切り替える、という方法もあります。

倫理的にも心情的にも、難しい判断かとは思いますが───どうするのが大地くんにとって一番良い選択になるのか。舞美さんのご意見を、聞かせていただけますか?
もちろん、考える時間も必要でしょうから、すぐにとは言いませんが───」

榊原医師から告げられた言葉を思いだし、溜息をついた。
……確かに、すぐに答えのでる問題じゃなかった。

「───……寄って欲しいんだけど?」

いきなり、強い口調で大地に言われた。驚いて、大地を見返す。

「え? 何?」
「本屋っ。寄ってくれって言ってんの! 二度も言わすなよ」

ムッとしたように口をへの字に曲げた大地を見て、ごめんと謝りながら、私は別のことを考えていた。

以前の大地とは比べものにならないくらい、いまの大地は尊大で……私に対して遠慮がない。

確かに記憶をなくす前の大地も遠慮はなかったけど……配慮まで欠けてはいなかった。
いつでも私に対して、敬意のようなものを払ってくれていた。

それは、おそらく目上の人間に対しての、絶対的な礼節というもので、相手のプライドを尊重するという……大地の年齢からすれば、相当な老成を感じさせる「気遣い」だった。

そんな大地だから、私は、
『もっと甘えた方がいい』
と、
『子供なのだから』
と、たしなめたりしたのだ。

なのに、そんな大人びた仮面を脱ぎ捨てた現在の大地を、いざ目の前にしたとたん、
『こんなのは大地じゃない』
だの、
『記憶と一緒に品性までなくしてきた』
だのと、否定してしまったのだ……。

なんて身勝手なことを、私は言ってきたのだろう。
以前の大地にも、いまの大地にも。

───こんな私に、大地にとっての良い方法を考える資格なんてあるんだろうか……?

答えの見つからないまま、私はふたたび、大きな溜息をついた。

……隣で大地が耳障りだと言わんばかりに、カーステレオのボリュームをあげた。


*****


「えっと、三十分後でいい?」

市内にある新古書店の駐車場に降り立って、大地の背中に問いかけた。

相変わらずまともに返事を返す気はないらしく、大地は一瞬だけ私を振り返ると、うなずくこともなく店のなかへと消えた。

店内は平日の昼間とあってか年齢不詳職業不詳の男性客が多く、あとは私より少し若いくらいの女性客が、ちらほらといるくらいだった。

特に買いたい物のない私は、会計カウンターに近い中古CDの棚を、なんとはなしに見ていた。

そのうちに、大地に告げた時間が経過し、レジの方角を気にしながらCDコーナーを回っていたのだけど……大地がやって来る気配は、なかった。

……アイツめ、もっと時間が必要なら、そう言えってのよ。
そうすれば、この先にあるスーパーで、夕飯の買いだし済ませておけたのに。

心のなかで毒づきながら、大地を探して、店内を歩きだす。

以前の大地なら、海外文学か日本のSF文学のコーナーにいることが多かったのだけど……。
いまの大地の趣味は違うようで、見当違いのアダルトコーナーの棚を見上げていた。

もうっ、側にデカデカと『18歳未満お断りいたします』の文字があるってのに!
呼びに行く、こっちが恥ずかしいわッ。

「ちょっと、大地っ……」
「……あ。丁度良かった。これ買ってよ」

無表情に差し出された本のタイトルは、『母の夜のつとめ』『密着母子』『姉さんの制服』。
……思いっきりエロ漫画なんですけどっ!

「読んでみたいけど、おれじゃ買えないし」
「って、あんたねぇ……!」

頬を引きつらせながら大地に詰め寄った瞬間、後ろから声がかかった。

「───進藤?」

振り返ると、店のロゴが入ったエプロンを身につけた、大地と同じくらいの年頃の男がいた。

「……確かお前、進学してたはずだよな。サボりか?
ったく、こっちは真面目な勤労青年やってるっつーのに。イイご身分だな。
しかも、女連れってか? ……つか、お前マジ年上好きな? ま、今度はちっと若いみたいだけど。
あっ……と、小遣い稼ぎなんだっけ?」

ニヤニヤしながら近寄って来た男に、大地が眉をひそめた。
彼が大地に対して良い感情を抱いていないのは、肌で感じられた。

「お姉さん、こいつにいくらくらい貢いでんの? 未成年とイケナイ関係って、職場とかにバレると、まずいんじゃない?」
「貢ぐって……」

私が反論を口にしかけた時、後ろで大地が静かに言った。

強請ゆすりなら、他でやれよ」
「はぁ? 何カッコつけちゃってんの? 援交野郎がエラっそーに上から目線かよ。マジむかつくんですけど?」

ふいに、背後で風が通った気配がした───直後、男が棚に、背中を打ちつけていた。
大地の足が、男の横っ腹を蹴ったのだと理解するのに、数秒かかった。

「ちょっと、大地! あんた何して……───」

ドサドサと書棚から本が落ちたのと、大地に二の腕を引かれたのが、同時だった。
何事かと、店内にいた人間の視線が、集まる。

「……っ、にすんだ、てめえっ……!」

顔をしかめ、うめく男をちらとも見ずに、大地は私を引きずるようにして店の外へと向かった。
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