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第二章 失われた想い
私たちは『異母姉弟』【2】
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*****
記憶をなくした大地が、家に戻ってから、三日目の晩のことだった。
「すみません。お姉さんにまで、ご迷惑をおかけして……」
利き手である右手が使えない大地のために、食事は私が、入浴は父さんが、手伝っていた。
「───あのさ。その、お姉さんっていうの、やめてくれる?」
自分で思っていた以上に、その口調は刺刺しいものとなった。
幾度となく繰り返された「すみません」と、まるで自分でない《誰かの姉》に対してのような「お姉さん」という呼びかけ。
ついに私は、我慢しきれなくなってしまったのだ。
大地は、無表情に私を見返した。何かを言いかけて、口をつぐむ。
その様に、気まずい思いで言い直した。
「……あんたの身体が不自由なうちは、家族である私達があんたの助けになるのは当たり前なんだし……気にしないでよ。
あと……前はあんた、私のコト『まいさん』って、名前で呼んでくれてたから……それが自然な感じがするの。だから、そう呼ばれる方が、しっくりくるっていうか」
「───そうですね。
僕があなたを『お姉さん』と呼びかけるのは……あなたにとっては、不愉快ですよね」
静かな口調で、大地が私の言葉をさえぎった。感情のない瞳が、じっと私を見据えた。
「僕は……あなたと、あなたのお母さんから、大事な人を掠めた女の、子供ですからね」
冷ややかに告げられた、偽りの事実。
私は思わず息をのんだ。
私達に血の繋がりがあるという父さんが良かれと思ってついた嘘。
だけどそれは、今の大地にとって《重荷でしかない現実》なのかもしれなかった。
「立場はわきまえているつもりですから、どうぞ、お気遣いなく。
───ご馳走様でした」
言って大地は、手にしたスプーンを置いた。
……不自由な手を思い、食べやすいようにと用意したオムライスも野菜スープも、ほとんど手付かずだった。
「……もういらないの?」
「食欲がないので。……残りは明日の朝にでもいただきます」
立ち上がり、大地は軽く頭を下げた。
そのまま捻挫で済んだという右足首をかばうようにして、自分の部屋へと戻って行った。
とりつくしまがない───いまの大地を表現すると、そんなひと言で終わってしまう。
記憶を失ってからの大地が笑うところを、私はまだ、一度も見ていない。
まるで以前の大地が、一生分の笑顔を使い果たしてしまったからだとでもいうように。
でも。
考えてみれば、初めて会った時すでに、大地は私を知っていたのだ。
そして……私を、好きでいてくれた。
だからこそ大地は、自分の中にある複雑な感情を押し殺して、私に気を遣わせまいとしていたのかもしれない。
……私が内心「宇宙人か」と突っ込むほどの、屈託のない笑顔を向けることによって。
本当なら、本妻の子と愛人の子だなんて、いがみ合わないまでも気まずさは隠せない関係だったはずだ。
にもかかわらず、歳の離れた姉弟のようにいられたのは、全部、大地のおかげだったのだ。
今まで考えることもなかった事実に行き当たり、切なくて、泣いてしまいそうになった。
元の、大地に逢いたい。
逢って、抱きしめて、気づけずにいたことを謝って……それ以上に、心からの感謝を伝えたいと思った。
記憶をなくした大地との生活は、まだ、たったの三日しか経っていないのに。
私の心には、以前の大地を求め、言い様のない焦燥感が、募り始めていた。
*****
真夜中だった。
肩を揺さぶられ、重いまぶたをあげると、そこに大地がいた。
「───なに、どうしたの? 具合でも悪くなった?」
びっくりして起き上がると、大地は軽く首を横に振った。
「……ううん、そうじゃなくて。僕、お腹すいたんだけど、コレ、だし」
包帯の巻かれた右手を見せ、ちょっと笑う。
「だから、まいさんに食べさせて欲しいな、と思って」
「……大地……記憶が、戻ったの? いま、まいさん、って……」
「え? 記憶って?」
きょとんと私を見返す大地は、自分が記憶をなくしていたことが解らないようだった。
「……待ってて。すぐに用意してあげるから」
けれども、そんなことはもう、どうでもいいことだった。
大地に微笑んで、私はベッドから降りかけた。
ふいに、大地が自由になるほうの手で、私を抱き寄せた。
「ね、お腹が満たされたら……今度は、まいさんが食べたいな。駄目?」
ささやく声の甘さにあきれる一方で、私自身、大地に求められる嬉しさで、声がうわずってしまう。
「なに言ってんのよ、怪我人の分際で」
「えー? だって、使えないのは右手だけだよ? それに……」
言いながら大地は、私の首筋に軽くキスをすると、今度はゆっくりと舌を這わせた。
背中に伸びた左の手指が、じらすように優しくなで伝う。
「……ね? 全然、問題ないでしょ? 他の部分も、試してみる?」
押しつけられる大地の身体の熱さに、慣れた身体が反応するのが分かった。
あわてて、大地を押し返した。
「お腹空いてるんでしょ? ほら、行くわよ」
「はーい」
何事もなかったかのように、大地はドアの方へ歩きだす。私はそのあとに続いた。
瞬間、ガチャンという音が鳴り響いた。
「いまの、なんの音?」
大地の背中に問いかけると、こちらを振り向きかけた大地が、ぼやけて見えた。
なんでだろうと、目をこすって……。
私は、目を覚ました。
記憶をなくした大地が、家に戻ってから、三日目の晩のことだった。
「すみません。お姉さんにまで、ご迷惑をおかけして……」
利き手である右手が使えない大地のために、食事は私が、入浴は父さんが、手伝っていた。
「───あのさ。その、お姉さんっていうの、やめてくれる?」
自分で思っていた以上に、その口調は刺刺しいものとなった。
幾度となく繰り返された「すみません」と、まるで自分でない《誰かの姉》に対してのような「お姉さん」という呼びかけ。
ついに私は、我慢しきれなくなってしまったのだ。
大地は、無表情に私を見返した。何かを言いかけて、口をつぐむ。
その様に、気まずい思いで言い直した。
「……あんたの身体が不自由なうちは、家族である私達があんたの助けになるのは当たり前なんだし……気にしないでよ。
あと……前はあんた、私のコト『まいさん』って、名前で呼んでくれてたから……それが自然な感じがするの。だから、そう呼ばれる方が、しっくりくるっていうか」
「───そうですね。
僕があなたを『お姉さん』と呼びかけるのは……あなたにとっては、不愉快ですよね」
静かな口調で、大地が私の言葉をさえぎった。感情のない瞳が、じっと私を見据えた。
「僕は……あなたと、あなたのお母さんから、大事な人を掠めた女の、子供ですからね」
冷ややかに告げられた、偽りの事実。
私は思わず息をのんだ。
私達に血の繋がりがあるという父さんが良かれと思ってついた嘘。
だけどそれは、今の大地にとって《重荷でしかない現実》なのかもしれなかった。
「立場はわきまえているつもりですから、どうぞ、お気遣いなく。
───ご馳走様でした」
言って大地は、手にしたスプーンを置いた。
……不自由な手を思い、食べやすいようにと用意したオムライスも野菜スープも、ほとんど手付かずだった。
「……もういらないの?」
「食欲がないので。……残りは明日の朝にでもいただきます」
立ち上がり、大地は軽く頭を下げた。
そのまま捻挫で済んだという右足首をかばうようにして、自分の部屋へと戻って行った。
とりつくしまがない───いまの大地を表現すると、そんなひと言で終わってしまう。
記憶を失ってからの大地が笑うところを、私はまだ、一度も見ていない。
まるで以前の大地が、一生分の笑顔を使い果たしてしまったからだとでもいうように。
でも。
考えてみれば、初めて会った時すでに、大地は私を知っていたのだ。
そして……私を、好きでいてくれた。
だからこそ大地は、自分の中にある複雑な感情を押し殺して、私に気を遣わせまいとしていたのかもしれない。
……私が内心「宇宙人か」と突っ込むほどの、屈託のない笑顔を向けることによって。
本当なら、本妻の子と愛人の子だなんて、いがみ合わないまでも気まずさは隠せない関係だったはずだ。
にもかかわらず、歳の離れた姉弟のようにいられたのは、全部、大地のおかげだったのだ。
今まで考えることもなかった事実に行き当たり、切なくて、泣いてしまいそうになった。
元の、大地に逢いたい。
逢って、抱きしめて、気づけずにいたことを謝って……それ以上に、心からの感謝を伝えたいと思った。
記憶をなくした大地との生活は、まだ、たったの三日しか経っていないのに。
私の心には、以前の大地を求め、言い様のない焦燥感が、募り始めていた。
*****
真夜中だった。
肩を揺さぶられ、重いまぶたをあげると、そこに大地がいた。
「───なに、どうしたの? 具合でも悪くなった?」
びっくりして起き上がると、大地は軽く首を横に振った。
「……ううん、そうじゃなくて。僕、お腹すいたんだけど、コレ、だし」
包帯の巻かれた右手を見せ、ちょっと笑う。
「だから、まいさんに食べさせて欲しいな、と思って」
「……大地……記憶が、戻ったの? いま、まいさん、って……」
「え? 記憶って?」
きょとんと私を見返す大地は、自分が記憶をなくしていたことが解らないようだった。
「……待ってて。すぐに用意してあげるから」
けれども、そんなことはもう、どうでもいいことだった。
大地に微笑んで、私はベッドから降りかけた。
ふいに、大地が自由になるほうの手で、私を抱き寄せた。
「ね、お腹が満たされたら……今度は、まいさんが食べたいな。駄目?」
ささやく声の甘さにあきれる一方で、私自身、大地に求められる嬉しさで、声がうわずってしまう。
「なに言ってんのよ、怪我人の分際で」
「えー? だって、使えないのは右手だけだよ? それに……」
言いながら大地は、私の首筋に軽くキスをすると、今度はゆっくりと舌を這わせた。
背中に伸びた左の手指が、じらすように優しくなで伝う。
「……ね? 全然、問題ないでしょ? 他の部分も、試してみる?」
押しつけられる大地の身体の熱さに、慣れた身体が反応するのが分かった。
あわてて、大地を押し返した。
「お腹空いてるんでしょ? ほら、行くわよ」
「はーい」
何事もなかったかのように、大地はドアの方へ歩きだす。私はそのあとに続いた。
瞬間、ガチャンという音が鳴り響いた。
「いまの、なんの音?」
大地の背中に問いかけると、こちらを振り向きかけた大地が、ぼやけて見えた。
なんでだろうと、目をこすって……。
私は、目を覚ました。
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