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第一章 もう一人の存在

微笑ましい兄弟喧嘩【2】

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*****


大地は約20分後にテーブルに戻って来た。
「待たせてごめんね」と言った大地の顔が、照れくさそうに微笑む。

「───……帰ろうか、まいさん」

駐車場へ向かう暗い夜道のなか、大地は言葉を探すように夜空を見上げ、白い息を吐いて、うつむいた。

外れかけた碧色のマフラーをかけ直した大地の右手に、そっと手を伸ばす。
冷たい指先に指先を絡めると、大地は一瞬驚いてみせ、それから笑った。

「あのね、まいさん。
透さんが言ってたこと……全部、本当なんだ」
「……そう」
「その……やっぱり、正直引いた……よね?」
「───引くわよね、普通」

つないだ指先をほどいて、私はいたずらっぽく笑ってみせた。
改めて、大地の腕に身を預けるようにして、寄り添った。

「でも、私はトオルくんに言わせると、普通じゃないみたいだし? それに……」

言いながら、大地を見上げて微笑んだ。

「大地のこと好きになり過ぎて、感覚が麻痺まひしてるみたいなの。
……あんた、ちゃんと責任とりなさいよ?」
「───うん」

小さくうなずくと、大地はふふっと笑った。
私の頭に、コツンと自分の頭をぶつけた。

「……あんまり嬉しいと、言葉ってうまくでてこなくなるね。だからなのかなぁ……?」

キスしていい? と、耳に落ちてきたささやきに、即座にうなずきたいのを理性で押し留め、辺りを見回した。
……誰も、いない。

「……いい───」

皆まで言わせずに塞がれた唇。
凍えそうな空気のなか触れ合った部分だけが温かくて、心地良い。

「……ねぇ、どれだけ僕が嬉しかったか、伝わった……?」

私は大地の頬にくちづけて、大地の耳に唇を寄せる。

「伝わったわよ。……ちゃんと、続きがあるって」

言って含み笑いをしてみせた時、遠くのほうで人の話し声が聞こえた。


*****


夜の闇に目が慣れた頃、大地が話してくれたことによれば、トオルくんは高校を卒業したあと、都内の料亭に就職したらしいのだけど。

「三ヶ月くらい前に、お父さんが亡くなったらしくて。実家継ぐことになったって、言ってた。
トオルさんは「小っちぇ飲み屋」とか卑下してるけど……。
神紋じんもんってお店、知ってるよね? 結構有名な居酒屋チェーンだし」

───柄の悪い……どう見ても半グレ風情のトオルくんが、実はお坊ちゃんだったという事実を知り、私は絶句した。

トオルくん、素材は悪くないんだから、もうちょっとどうにか───……なんないか、やっぱり。

大地とのやり取りを思いだす限り、彼が自分を曲げるタイプでないことは、明らかだ。

ベッドの上で身動みじろぎ、私は大地に向き直った。

「でも、まぁ……大地にとっては大事な『お兄ちゃん』だもんねぇ……」

私のつぶやきに、大地はちょっと笑い、その腕に私を抱き寄せた。

「僕が大事なのは、まいさんとお父さんだけだよ? 透さんは、僕にとっては『世話のやける兄貴』」
「……そういうことに、しといてあげる」

めずらしく素直じゃない大地の片頬に手を伸ばして、大地の瞳をのぞきこむ。
トオルくんによって、幾つもの顔を見せた大地が、思い返された。
……いつも笑っているばかりの大地が見せた、様々な表情を。

「……でも私は、トオルくんに感謝してるわよ? 本当に。
彼がいてくれたから、いまの大地がいるんだって、思えるから」

私を見つめ返す大地の頬が、わずかにゆがんだ。
泣きたいくらい嬉しいのに、素直に喜べない……そんな風な笑みに、見えた。

「……透さん、悪い人じゃないけど下品ていうか……思ったことをそのまま言う人だから……。
まいさん、嫌がるんじゃないかって、思ってた」

言葉を選びながら話している大地に、私は噴きだした。

「悪いけど、私も思ったこと、すぐに口にだしちゃう人間だよ?」
「うん……。
でも、まいさんは礼儀知らずってわけじゃないよね。相手のこと、ちゃんと気遣える人だし。
だけど透さんは、自分が相手にどう思われようが、お構い無しの人だから……」

心底困ったような溜息をつく大地の頬を、親指でなだめるように撫でてやる。

「───自分が大好きで、大切に想ってる人が、他人から良く思われないのは、つらいものね?」

私の言葉に、大地はわずかに目を見開く。
それから、強がりを手放した、いつものやわらかな微笑みを見せた。

「……本当に……まいさんには、かなわないなぁ……」

───そうして、自分の気持ちに素直になった大地は、大好きな『お兄ちゃん』の話を、明け方近くまで私にしてくれたのだった。


*****


少し遅い昼食をとるため、ショッピングセンター内にある休憩室に向かいながら、スマホの画面に目を落とした。

マナーモードにしてあるスマホは、店の中の貴重品入れである戸棚にしまっていた。
だから、仕事中に電話やメールが来ても、休憩の時以外は分からなかった。

通知を確認すると、めずらしく着信が何件か入っていた。

───全部、父さんからだった。

『……舞美。父さんだ。
あのな、大地くんが、学校で事故にったらしくて───いや、仕事中のお前に言っても、心配させるだけだな……。
とにかく、これを聞いたら、連絡をくれ』

一度目は意味が解らず、私はもう一度メッセージを再生した。

聞き間違えかもしれないと思い、三度目を聞き……やっと、父さんに連絡をしなければと思い立つ。

けれども、父さんのスマホは留守番電話になっていて。
私は、たどり着いた休憩室の扉の前、スマホを手にしたまま、立ち尽くしてしまう。


───大地が、事故に遭った……?

しかも、学校でって……。

いったい、どういうことなのよ……?



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