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第四章 過去が溶け出すアイスティー
この想いと、情熱の行く手【1】
しおりを挟む職種柄、日曜が休みということは少ないのだけど、その日、私は休みだった。
洗濯と掃除と、ちょっとした雑用
(お店の従業員に渡すシフト表の作成やら新作スイーツの手書きPOPの作成やらだ)
を片付けたら、お昼になっていた。
「初めてだね。家で、まいさんと、二人っきりのランチタイムなんて」
はいどうぞ、と、目の前に差し出されたのは、レタスとベーコンのチャーハンだ。
市販の中華スープと共に、大地が用意してくれた。
父さんは、接待ゴルフに行っていた。
「家事とお仕事は、ひと段落したんだよね? なら、午後からは、僕と遊んでくれる?」
「あんた、課題だされてるって、言ってなかった?」
「まいさんが家のこととかやっている間に、終わらせたよ。だから、いいでしょ?」
「いいけど……何したいの」
中華スープに口をつけ、ちらりと大地を見た。ふふっと大地が笑う。
「えっちなコト」
ぶっとスープを吹き出しかけて、大地をにらむ。
「昼間っからアホなこと言ってると、殴るわよっ」
「……冗談なのに。まいさん怖いよ」
「あんたが言うと、冗談に聞こえなくて、こっちが怖いっての!」
唇をとがらせて不満そうに私を見る大地に、負けずに言い返してやる。
食べ終えた皿を流し台に運びながら、大地がリビングの方を指差す。
「あれ。チェス」
つられて見ると、すでにチェス盤がテーブルの上にのっていた。
……もう、最初から言えってのよ。
「前に、まいさん、僕に教えてって、言ってたでしょ?」
大地がこの家に持ちこんだ、数少ない荷物の中にあったチェス一式。
訊いてみると、小学校の頃からやっていて、そこそこの腕前だという。
「うん。やってみたい。教えて!」
意気込んで言うと、大地はちょっと笑った。私の側にひざまずく。
「いまの、僕のことギュッて抱きしめて、もう一回言って?」
───この、甘ったれがっ。
*****
やってみると、予想以上に難しくて、小一時間でギブアップすることになった。
手にしたナイトの駒を、元の位置に戻す。
「だめ。ここまでが限界。また今度にしよ……? お茶淹れてくる」
「うん。分かった。
棋譜は頭に残してあるから、いつでも続き、できるからね」
チェスを片付けながら、大地がふふっと笑う。
……くそう。バカにしてるな。
二人分のミルクティーを淹れて、大地の元へ持って行く。
「……大地。どこか行きたい所とか、ある?」
「え?」
カップを受け取った大地が、きょとんとした顔を私に向ける。
唐突な質問だったかと反省しながら、ミルクティーをすすった。
「んーと……あんた、あんまり友達と遊んだりしてなさそうだし……。私と出かけるのが、ヤじゃなかったら、だけど」
「嫌なわけないよ! まいさんと一緒なら、僕、どこへだって行きたい!」
身を乗り出して言う。ストレートな反応に、訊いたこっちが照れくさくなってしまった。
「……じゃあ、行くところ考えておいて。休みが合ったら、連れて行ってあげるから」
「うん。ありがとう!
……あ、でも本当に、まいさんがいてくれるなら、どこでも───」
大地の言葉をさえぎるように、来客を知らせる呼び出し音が鳴った。
「誰だろ……」
「セールスとかかもしれないし、僕、出てあげるよ」
立ち上がりかけた私を制し、大地がインターホンに歩み寄る。
「はい。どちら様……───少々、お待ちください」
横顔がわずかにくもる。受話器を置いて、大地は暗い声で言った。
「まいさんの、おばさんだって……。なんか、怒ってるみたいだ……」
*****
母さんの六歳上の姉である聡子伯母さんは、大地を見て、いまいましげに溜息をついた。
「まったく……私が気づかずにいたのをいいことに……!」
残暑はまだ厳しく、日中は陽ざしが肌に痛いくらいに強かった。
室内はエアコンを入れて快適に過ごせるようにしているものの、外から来たばかりの伯母さんは、バッグから扇子を取り出し、自らをあおぎだした。
「恭一さんも、何を考えているんだか。
いまさらこんな……認知もしてない子を引き取るだなんて。お人好しにも、ほどがありますよ!
親戚たらい回しにされたら気の毒だって、そんなこと、百も承知で産んだのだろうに。
それが嫌だったら、堕胎すればいいだけの話でしょう。
道に外れた子を産んで、人並みに扱ってもらおうだなんて、厚かましいったらありゃしない」
「伯母さん!」
大地を前にしてのあまりの大人げない発言に、たしなめるように声をかける。
隣に座った大地が、私の膝に触れ、軽く首を振った。
とたん、伯母さんの目が、つり上がる。
「何をしているの!? 汚らわしい! 舞美から、離れなさいっ」
ヒステリックな叫びに、私は言葉を失った。何を言われたのか、一瞬、理解できなかった。
……大地がうつむいたのが、分かった。
「だいたい、あなたのその耳、なんですか。男のくせにチャラチャラして……髪は真っ茶っ茶でだらしなく伸ばして……。
そんなことじゃ、まともに就職だってできませんよ。
いったい、どういう育て方をされたのかしら。あきれて物が言えないわ。
まぁ、他人の旦那を盗むような、ドロボウ猫の息子ですものね。
そもそも本当に恭一さんの子かどうか、分かったものじゃ───」
「いいかげんにしてください!!」
我慢の限界だった。
いくらなんでも、いい歳した大人が、高校生とはいえ、まだ親の庇護を受ける立場にある子供に対して、言って良いことではないだろう。
「さっきから黙って聞いていれば……大地に想像力がないとでも思っているんですか。
そんな言い方……、世間の目が自分にどう向けられているかなんて、当の本人が、一番よく解っているはずです。改めて彼に突きつける言葉じゃないでしょう?
第一、これはウチの問題です。伯母さんにとやかく言われる筋合いは、ないかと思いますが」
ぷるぷると伯母さんの唇が震えた。目が尋常ではないくらい、血走っている。
「あなたって子は……! それでも祥子の娘なの? 自分の父親が母親を裏切って、よそに女なんかつくって……あげくに子供まで産ませていたのよ? 何を根拠に、こんな子を庇い立てするの!?」
信じられないといわんばかりに首を振り、手にした扇子を小刻みに揺らしながら大地に向ける。
伯母さんの態度に、だんだんと自分の心が冷えていくのが分かった。
身内に、こんな人がいるだなんて、恥ずかしくなってしまう。
「……母さんだったら、父さんに怒りはしても、伯母さんみたいに、大地を傷つけたりしませんよ。
それは『娘の私』が、一番よく解っています」
片腕を伸ばし、大地の手をぎゅっと握りしめる。伯母さんをにらみすえた。
「伯母さんの言う通り、大地の出生までの経緯は、社会的に歓迎されて良いものではありません。
法律上はもちろん、人と人との信頼関係を考えれば、当然のことだと、私も思います。
───ただ、責められるべきは、大地ではないはずです。
大地は……母さんや父さんに守られて、ぬくぬくと育ってきた私からすると、とても恵まれて育ったとは言い難いです。
でも……それでも、大地は素直な良い子に育っているんです。おそらく、伯母さんのいう、『ドロボウ猫』の反面教師からでしょうけど」
「───口ばっかり達者になって。だから三十近くになっても、嫁の貰い手がないんですよ、あなたは」
言い負かされたのを悔しく思ったのだろう。伯母さんは、顔をゆがめて笑った。
私は大きく息をついた。腹に力を入れて、一気に言い放つ。
「……いま、タクシーを呼びます。どうぞ、お帰りください。そして、二度と私たち家族に関わらないでください。
伯母さんが大地を受け入れない限り、私たちも伯母さんを拒み続けますので、そのおつもりで」
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