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二章 上司が溺愛しすぎる件

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 画面を見ると、そこには“小林尚樹”とあり、ようやく彼氏が反応してくれたことを表していた。沙耶は深呼吸してから、通話ボタンをタップする。

「もしもし、尚樹?」
『沙耶、オレ』
「うん……メッセージ、見てくれた?」
『ああ。お前ん家でいい?』
「え、今夜?」

 急な展開に追いつけずにいると、電話口から訝しげな声が聞こえてきた。

『いまから行くつもりだけど、なんか用でもあるのか?』
「きょ、今日、残業なのよ」
『残業? じゃあいま、会社なのか?』
「う、うん」

 なぜかドキドキする胸を押さえていると、尚樹の口から突飛な提案が漏れ出てくる。

『じゃあ迎えに行くから』
「え、あっ……いいよ! うちで待っててよ!」
『こんな夜中にひとりで歩かせられるわけないだろ? すぐに行くから』
「あ……」

 一方的に通話が切られ、沙耶は唖然としてツーツーと虚しく音を立てる受話器に耳をつけていた。

(いま迎えに来られたら、また勘違いされちゃう……!)

 沙耶は慌ててオフィスに戻りつつ、尚樹のことを思う。

(こういう優しさがあるのに、どうして浮気なんてしたんだろう……やっぱりマンネリ気味だったから、飽きられてたのかな?)

 付き合い始めのころは、尚樹はとても紳士だった。お互い学生だったこともあり、お金はなかったけれど間違いなく幸せだったのだ。

(私はどうしたいんだろう……)

 話し合えばきっと、自分の本当の気持ちに気づけるかもしれないと沙耶は期待している。それにいまなら、元の優しい尚樹に戻ってくれるかもしれない。田辺美保子との浮気を許せたら、もう二度とそんな過ちは犯さないはずだ。

(私の度量の大きさ、器にかかってるんだ)

 だけど田辺美保子と尚樹の関係を考えると、胸が引き裂かれるほど苦しくなる。

(私が我慢すれば……がんばれば……許せたら……)

 ぎゅうっと、心臓が圧迫されている感じがした。急な呼吸困難に陥り、その場でしゃがみ込む。ハアハアと息を整えていると、オフィスからバタバタと走ってくる音がした。

「宮城!?」

 この声は藤本だ。おそらくいつまでも沙耶がオフィスに戻らないから、心配して見にきてくれたのだろう。礼を言いたいのに、沙耶は顔すら上げられなかった。

「どうした? 何があった?」

 藤本は姿勢を低くして、うずくまる沙耶を抱き締める。ふわりと香る、藤本のさわやかな匂いが鼻孔をくすぐり、沙耶は落ち着きを取り戻していく。

「ご、ごめんなさい……課長……」
「そんなこと気にするな! いったいどうしたんだ? 病院に行くか?」

 心配そうに藤本が沙耶の顔をのぞき込んできた。自分では気づかなかったが、沙耶の顔は真っ青だったから、彼は有無を言わせず沙耶を横抱きにかかえ上げる。

「ひゃ、ひゃあっ、課長!?」
「とりあえず医務室に行こう。産業医はもういないかもしれないが、そこで少し休め」
「だ、大丈夫です! ほ、本当に――」
「沙耶?」

 アワアワしている沙耶の耳に、聞き慣れた尚樹の声が聞こえてきた。顔を廊下に向けると、そこにはやはり尚樹が立っている。まだ状況を呑み込めていないようだ。
 しかし尚樹は沙耶を抱える藤本をまっすぐににらみつけた。

「藤本さん、オレの彼女に何してるんすか?」
「……具合が悪そうだから、医務室に連れていくつもりだ」

 藤本も尚樹をにらみ返し、一触即発の雰囲気が漂う。
 沙耶はひとりハラハラしていた。

「それならオレが面倒見ますから、沙耶を降ろしてください」

 藤本は何も言わず、気遣わしげに沙耶を床に降ろす。
 沙耶は藤本に申し訳なさそうに頭を下げた。

「か、課長っ……ありがとうございました。でも、もう大丈夫です」
「沙耶、行くぞ」

 尚樹にぐいっと腕をつかまれ、無理やり引っ張られる。

「痛っ……な、尚樹」
「ここにいる気なら、話し合いはなしってことだな」

 皮肉めいた表情で、尚樹が沙耶を突き放した。
 いま尚樹を失うわけにはいかないと、彼にすがるしかない沙耶は、慌てて尚樹のあとをついていく。何度か振り返ったが、その都度藤本はジッとこちらを見つめていたのだった。
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