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二章 上司が溺愛しすぎる件
①
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終業時間間近、沙耶は思い切って尚樹にメッセージを送った。先日中途半端だった分、きちんと話し合いたいと告げる。すぐに既読がつくものの、尚樹からは何も返ってこない。業を煮やしていたところ、いつも沙耶に厳しい隣の席のお局に声をかけられた。
「宮城さん」
「あ、ご、ごめんなさい! スマホはすぐにしまいますね!」
けれどお局の意図はそこにはなかったらしい。申し訳なさそうに手を合わせられる。
「今日、残業代わってもらえないかしら?」
「残業、ですか……」
やることはなかったし、尚樹からも返事がないのだから、今夜は空いていた。お局に恩を売るのも悪くないと思い、沙耶は笑顔でうなずく。
「構いませんよ」
「ありがとう、助かったわ!」
お局はさっそく帰り支度をすると、沙耶に手を振ってオフィスを出ていった。
沙耶が仕事に打ち込んでいるうちに、オフィスからはひとり、またひとりと人がいなくなっていく。
時おりスマホをチェックするも、やはり尚樹からの返答はなかった。
(まさか今夜も浮気してるのかな……私たち、本当にどうなっちゃうんだろう……)
「まだ終わりそうにないのか?」
完全に気落ちしていたからか、話しかけられるまで目の前に藤本が立っていることに気づかなかった。
沙耶は慌てて顔を上げる。
「か、課長! だ、大丈夫です。もうすぐ終わりますからっ……」
無駄に鼓動が速くなっていく。藤本の気持ちをはっきりと聞いたいま、どのような顔をして彼に接していいかわからない。
しかし藤本はそんなことなどすっかり忘れたかのように、上司の顔で隣の席を引き寄せて座った。
「ほら、ここ数字間違ってるぞ」
「え、あっ……!」
初歩的なミスをしていることに、恥ずかしさから顔がカッと熱くなる。
「俺も手伝うから、半分寄越せ」
「い、いえ、そんな! 私の仕事ですし!」
「身が入ってないぞ。いまの宮城には完全に任せられない」
「あ……」
そう言ってUSBを奪う藤本に、沙耶は申し訳なくなってうつむいた。
「ご、ごめんなさい……仕事もちゃんとできないなんて……社員として失格ですよね」
「何言ってんだ」
眉を下げた藤本が、沙耶の頭をポンポンと優しく叩く。
「宮城がうわの空の理由を知ってるから、俺も同罪だよ」
「課長……」
そうしてしばらくは互いに仕事に集中していた。カタカタと、キーボードの音だけがオフィスに響く。
けれど沙耶の集中力はやはり欠如していた。どうしても解せないことがあったからだ。これまで普通に接してきた藤本が、なぜいまさらになって自分を好きだと言うようになったのだろうと、不思議で仕方なかったのだ。
「あ、あの、課長。聞いてもいいですか?」
ふいの台詞に驚いたのか、藤本の手が止まる。
夜のオフィスにわずかな沈黙が流れた。
「どうした?」
「……えっと、ど、どうして課長は……私に対して、その……そういうふうに思ってくれるようになったのでしょうか?」
すると藤本は上向き、ふうっと大きく深呼吸する。
「宮城がうちの会社の面接に来たときからって言ったら驚くか?」
「め、面接って……三年も前の話ですよね?」
瞠目する沙耶に、藤本が苦笑した。
「俺がそのときの面接官だったの、覚えてないだろう?」
コクリと、沙耶は即座にうなずく。面接時は緊張しすぎて、とてもではないが相手のことを観察している余裕などなかった。それに尚樹と同じ『ナルカワコーポレーション』にどうしても入りたかったから、失敗は許されなかった。
「あのとき――」
藤本は記憶を呼び起こすように遠くを見つめる。
「宮城は素直に恋人が働いているからって言っただろう?」
「は、はい」
普通なら色恋にかまけている場合ではないのかもしれないが、それが真の動機だったし、尚樹から会社の子細を聞いていたので、沙耶は率直に質問に答え続けていた。
「ロマンがあっていいなあと、思ったんだ。それに宮城沙耶という人間が、まっすぐで真面目で、愛情あふれる性格をしているんだと好感が持てた」
まあ、ほかの面接官は生温かい目で見ていたけどなと、藤本が面白そうに付け足す。
「お、お恥ずかしい……」
沙耶は全身を真っ赤にして、その場で縮こまった。
そんな沙耶に、藤本は言葉を続ける。
「それからだ。宮城が入社して、なんの因果か同じ課になって、ずっと見てきた」
「課長……」
なぜか胸がいっぱいになり、沙耶の瞳が自然に潤んだ。
藤本は苦笑する。
「だけど入社時から小林と付き合ってることは知ってたから、俺は宮城に何もする気はなかったんだ。この前までは」
「……尚樹が浮気していたから?」
「そう」
真面目な顔で、藤本がうなずいた。
「宮城を幸せにできるのは、俺しかいないって思うようになった」
沙耶は藤本の前でどんな表情をしていいかわからなくて、顔を背ける。けれど、藤本の気持ちはすごくうれしかったことは事実だった。
(尚樹と付き合った当初も、こんなふうにうれしいことがいっぱいだったはず)
尚樹とはやはりきちんと話し合わなければと、沙耶は改めて思う。
そのとき、スマホが音を立てた。長い振動なので着信だ。
「あっ……」
「いいぞ、俺は残りやっちゃうから」
「す、すみません。すぐに仕事に戻りますから」
沙耶は席を立つと、パタパタとオフィスを出ていった。
「宮城さん」
「あ、ご、ごめんなさい! スマホはすぐにしまいますね!」
けれどお局の意図はそこにはなかったらしい。申し訳なさそうに手を合わせられる。
「今日、残業代わってもらえないかしら?」
「残業、ですか……」
やることはなかったし、尚樹からも返事がないのだから、今夜は空いていた。お局に恩を売るのも悪くないと思い、沙耶は笑顔でうなずく。
「構いませんよ」
「ありがとう、助かったわ!」
お局はさっそく帰り支度をすると、沙耶に手を振ってオフィスを出ていった。
沙耶が仕事に打ち込んでいるうちに、オフィスからはひとり、またひとりと人がいなくなっていく。
時おりスマホをチェックするも、やはり尚樹からの返答はなかった。
(まさか今夜も浮気してるのかな……私たち、本当にどうなっちゃうんだろう……)
「まだ終わりそうにないのか?」
完全に気落ちしていたからか、話しかけられるまで目の前に藤本が立っていることに気づかなかった。
沙耶は慌てて顔を上げる。
「か、課長! だ、大丈夫です。もうすぐ終わりますからっ……」
無駄に鼓動が速くなっていく。藤本の気持ちをはっきりと聞いたいま、どのような顔をして彼に接していいかわからない。
しかし藤本はそんなことなどすっかり忘れたかのように、上司の顔で隣の席を引き寄せて座った。
「ほら、ここ数字間違ってるぞ」
「え、あっ……!」
初歩的なミスをしていることに、恥ずかしさから顔がカッと熱くなる。
「俺も手伝うから、半分寄越せ」
「い、いえ、そんな! 私の仕事ですし!」
「身が入ってないぞ。いまの宮城には完全に任せられない」
「あ……」
そう言ってUSBを奪う藤本に、沙耶は申し訳なくなってうつむいた。
「ご、ごめんなさい……仕事もちゃんとできないなんて……社員として失格ですよね」
「何言ってんだ」
眉を下げた藤本が、沙耶の頭をポンポンと優しく叩く。
「宮城がうわの空の理由を知ってるから、俺も同罪だよ」
「課長……」
そうしてしばらくは互いに仕事に集中していた。カタカタと、キーボードの音だけがオフィスに響く。
けれど沙耶の集中力はやはり欠如していた。どうしても解せないことがあったからだ。これまで普通に接してきた藤本が、なぜいまさらになって自分を好きだと言うようになったのだろうと、不思議で仕方なかったのだ。
「あ、あの、課長。聞いてもいいですか?」
ふいの台詞に驚いたのか、藤本の手が止まる。
夜のオフィスにわずかな沈黙が流れた。
「どうした?」
「……えっと、ど、どうして課長は……私に対して、その……そういうふうに思ってくれるようになったのでしょうか?」
すると藤本は上向き、ふうっと大きく深呼吸する。
「宮城がうちの会社の面接に来たときからって言ったら驚くか?」
「め、面接って……三年も前の話ですよね?」
瞠目する沙耶に、藤本が苦笑した。
「俺がそのときの面接官だったの、覚えてないだろう?」
コクリと、沙耶は即座にうなずく。面接時は緊張しすぎて、とてもではないが相手のことを観察している余裕などなかった。それに尚樹と同じ『ナルカワコーポレーション』にどうしても入りたかったから、失敗は許されなかった。
「あのとき――」
藤本は記憶を呼び起こすように遠くを見つめる。
「宮城は素直に恋人が働いているからって言っただろう?」
「は、はい」
普通なら色恋にかまけている場合ではないのかもしれないが、それが真の動機だったし、尚樹から会社の子細を聞いていたので、沙耶は率直に質問に答え続けていた。
「ロマンがあっていいなあと、思ったんだ。それに宮城沙耶という人間が、まっすぐで真面目で、愛情あふれる性格をしているんだと好感が持てた」
まあ、ほかの面接官は生温かい目で見ていたけどなと、藤本が面白そうに付け足す。
「お、お恥ずかしい……」
沙耶は全身を真っ赤にして、その場で縮こまった。
そんな沙耶に、藤本は言葉を続ける。
「それからだ。宮城が入社して、なんの因果か同じ課になって、ずっと見てきた」
「課長……」
なぜか胸がいっぱいになり、沙耶の瞳が自然に潤んだ。
藤本は苦笑する。
「だけど入社時から小林と付き合ってることは知ってたから、俺は宮城に何もする気はなかったんだ。この前までは」
「……尚樹が浮気していたから?」
「そう」
真面目な顔で、藤本がうなずいた。
「宮城を幸せにできるのは、俺しかいないって思うようになった」
沙耶は藤本の前でどんな表情をしていいかわからなくて、顔を背ける。けれど、藤本の気持ちはすごくうれしかったことは事実だった。
(尚樹と付き合った当初も、こんなふうにうれしいことがいっぱいだったはず)
尚樹とはやはりきちんと話し合わなければと、沙耶は改めて思う。
そのとき、スマホが音を立てた。長い振動なので着信だ。
「あっ……」
「いいぞ、俺は残りやっちゃうから」
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